第二章

二城征く


「あ、あの――っ!」

「――?」


 彼女を不意に呼び止めたのは、年端もいかぬかわいらしい少年だった。


 蒼い輝きをうっすらと纏った黒い髪に、紫色の大きな瞳――。

 その白い肌をリンゴのように真っ赤に染めた黒髪の少年は、何度も何度も言い淀んだ後、今にも過呼吸になりそうな有様でその一言を絞り出した。


「ぼ、僕と――け、けけ、結婚してください!」


 初めの一瞬は冗談かと思ったものだ。しかし、その少年の無垢で汚れ一つ無い瞳を見れば、その言葉が冗談ではないことなどすぐにわかった。


 私を得たいと思うならば、大きな男になりなさい――。

 この世に存在するあらゆる残酷を受け入れる、大きな人に――。


 告白などという行為を受けたのは、一体何百年振りだっただろうか。純粋な想いの元――という条件をつければ、もしかすると過去に一度たりともなかったかもしれない。


 だから、その言葉はちょっとしたお礼のつもりだった。


 人は誰しも、何かを得る対価として純粋さを失っていく。

 もしかしたらこの少年はいずれ大事を成すかも知れないが、きっとその頃には私のことなど忘れているだろう――そう思っていた。ほんの戯れのようなものだった。


 だが――。


「永遠にも思える貴方の時間……その中のほんの一瞬でも良いのです。その一瞬を、私にください」


 いつしか少年は彼女の言葉通り誰よりも大きくなった。

 誰よりも強く、深く、広い心を持った一人の男へと。


 つい、頷いてしまった。


 あまりにも長く生きてきたし、どうせこれからもそれは続くのだ。

 たまにはこのような人並みの戯れも、してみてもいいかもしれない。


 ――それからは、色々あった。


 子供が生まれて――その子たちがこの過酷な世界で安全に暮らせるようにと、それはそれは立派な城を探して――それがいつのまにか小さな国になって――。


 この私としたことが、随分と必死こいてしまいましたわ――。


 少年がその生を終えて数百年。

 私は、今もここで彼が遺したものを守り続けている――。



 ●   ●   ●



「――っ! ――ル! エル!」

「……あら?」 


 自らを呼ぶ声に気づき、まるで夢から覚めたかのように周囲を見回すエル。見れば、隣では戦闘指揮室の玉座に座ったリーンが不思議そうな顔をしてその様子を見つめている。


「ふふっ。エルも居眠りとかするんだ?」

「あらあら……恥ずかしいところをみられてしまったわね」

「良い夢でも見てた? 少し――笑ってた」

「そうね……とても、良い夢でしたわ」


 そう言ってエルは微笑み、自身へとその紫色の瞳を向けるリーンに穏やかな笑みを返した。


「貴方も、貴方が愛するこの国も、私が必ず守って見せるわ――必ずね」

「それがエルの役目だから?」

「あら――」


 少し悪戯っぽい表情を浮かべてエルに尋ねるリーン。


 エルについては、既にリーンもリクトから聞いて知っていた。

 即ち、エルもまたリクトと同じく5000年前から生き続けてきた旧世界の生き残りであること。リクトとは違い、特に眠ることもなく大陸を渡り歩きながら、様々な手段で世界の危機を救ってきたことを。


「ぶっちゃけますと、そんなこともうどうでもいいわ。今の私にとっては貴方が全て。貴方が幸せに生きていてくれれば世界なんてどうでもいいの。ああ……なんて可愛いのかしら……私のリーン……!」

「あ、あっそう……それは嬉しいけど、いつまでも子供扱いしないでね。私ももう立派に一人でやれるんだから!」

「ええ……本当に立派になったわ」


 少しだけ得意気に薄い胸を張るリーンの姿に、エルはより一層目を細めると、彼女を通して今はもういない少年の姿を重ねた――。

 それは、エルにとってなんとしても守ると決めたものが、今もここに存在していることの確かな証だった。


『姫様! 作戦開始時刻、来ます!』

『アーハレヴより信号連絡! 「生きて再び祝杯を交わさん」以上です!』


 通信士から報告が上がり、穏やかな時はついに終わりを告げる。

 張り詰めた緊張の中、リーンは大きく息を吐いて静かに瞼を閉じる。


「いよいよね――」

「ええ……行きましょう。全てを終わらるために」


 その双眸を大きく見開き、玉座から立ち上がるリーン。

 リーンは片腕を前方へと掲げ、ついにその時を告げる号令を発した。


「戦旗を掲げよ! たとえ門破れ、城が崩れ落ちたとしても、私たちは絶対に諦めない! グランソラス、最大戦速! 目標、霊峰プリオングロード!」


『グランソラス加速開始! 炉心出力最大! 最大戦速到達まで20秒! 目標までの距離6800!』


「最大戦速到達と同時に巨神への移行開始! 騎兵隊、全軍出撃開始!」


『最大戦速到達! 巨神への移行、開始します!』


『騎兵隊、第一、第二師団は進行方向を塞ぐ帝都へ進軍! 第三、第四師団はグランソラス防空に当たれ!』


「みんな……絶対に生きて帰ってきて! 巨神の加護と共に!」

「「「「 巨神の加護と共に! 」」」」


 禍々しい色で塗り込められた天の下、ソラス王国の居城、城塞都市グランソラスと帝国の機動要塞アーハレヴの二城は、大地を鳴動させながら眼前にそびえ立つ霊峰プリオングロードへと加速を開始する。

 

 二城はプリオングロードの外周を囲む広大な湖へと荒波を上げて突入すると、そこで加速を続けながら天と地、双方に巨大な紋様を展開。

 天を割り、大地を割り、そしてなみなみと湛えられた水面を割ってその姿を巨神へと変貌させていく。


 通常、城内に非戦闘員がいる場合取ることができない強行変形。全ての非戦闘員を退避させ、決戦に特化した今の二城だからこそできる大地を切り裂く超弩級の構造変化。

 凄まじい烈風と乱気流の渦。衝撃によって巻き上げられた波の高さは軽く二十メートルを超え、巨大質量の急激な加速と組み替えによって発生した大気の断層は縦横に無数の竜巻と雷雲すら生み出した。


『あわわわわ! み、みなさぁーん! 城内はたたた大変ゆれておりますので! 足下、お、お気をつけくだささささいいいい!』


 通常の巨神変形とは比べものにならない振動にあらゆるものが揺れ、歩くこともままらない城内。

 しかし既に竜倉の騎士たちは出撃準備を完了しており、今正にその翼を大空へと羽ばたかせんとしているところであった。


「第一、第二師団出るぞ! これが最後の戦いだ。いつもいつも帝国の騎兵隊にいいとこもってかれてんじゃねぇぞ!」


 完全に解放され、雷鳴と乱気流の渦巻く外界を臨む天門の下、深緑の竜、ウィスカに乗るロンドが騎士団を鼓舞するように竜の翼を広げる。

 ソラス王国騎士団、その総数は83機を数え、その全ての整備が万全。ここまでくれば、後はもう死力を尽くして戦うのみ。


「リクト! この作戦の要はお前だ。途中で雑魚にやられたりするんじゃねぇぞ!」

「はい! 気をつけます! ロンドさんも!」

「ばーか! 誰にもの言ってやがる! ロンド・サリアレスタ、ウィスカで出るぞ!」


 ロンドの乗るウィスカが乱気流と雷鳴の中へと緑光の粒子を展開してその身を躍らせる。

 その他の竜騎兵たちも続々とその後に続き、今正に巨神へと変貌を遂げようとしているグランソラスの一角から、無数の光芒が戦場へと解き放たれていく。


「そういえば、今まではずっとラティと二人だけで戦ってたっけ……」


 その光景に目を奪われながら、リクトはラティの操縦席で独りごちた。


 世界が終わった時も、その次に目覚めたときも、その次も――。

 リクトはいつも戦っては傷を負って眠りにつき、また目覚めては眠りにつくの繰り返しだった。


 殆どの大地に人が住めず、永遠とも言えるような戦乱が続くこの世界で、戦い以外でその時代その時代の人々とリクトが触れ合う事は今までなかったのである。


「でも今は違う。今の俺には、俺が戻ってくるのを待ってくれてる人がいる。俺と一緒に戦ってくれる人がいる――」


 悠久の時の先、魔貌の賢者と呼ばれ流浪を続けたエルがついにその身を一所に休め、その結果としてグランソラスとリーンがリクトの目覚めた先に現れた――それによってリクトはようやく多くの人々と出会い、絆を深める機会を得たのだ。


 今のリクトには、それらの事実全てがたとえようもなく愛おしく、暖かく感じられた。


「……行こうラティ! 俺たちの新しい家は、俺たちが守るんだ!」


 言って、操縦桿を引き絞るリクト。

 ラティはリクトに応えるように力強い咆哮を響かせると、その光翼を大きく展開し、他の騎士たちに混ざって決戦の天上へと飛び立つ。


 日差しが消え、雷鳴と波しぶきが舞う天を切り裂く一筋の光芒。


 その光はただひたすらにまっすぐに、自らを待つ巨大なる影へと一直線に飛翔していった――。

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