聖域



 夜の闇の中に煌々と輝く青い月。


 どこまでも続くかと思われた赤い荒野はいつしか終わりを告げ、城塞都市グランソラスは、緑に覆われた全長数千メートルの巨大な山の麓でついに行動不能となっていた。


 幾筋もの照空灯が漆黒の天に向かって伸びる。

 都市内部で多数の閃光が炸裂し、閃光の視認からやや遅れて重苦しい爆音が響き渡る。各方から黒煙と火柱が上がり、城壁を越えて砲弾の直撃を受けた石造りの建物が音を立てて崩れていく。


 既に住民の避難は終わっていたのだろう、普段は大勢の人で賑わっているはずの通りに人影は見当たらない。

 だが、消えた人影に代わってグランソラスの町並みに漆黒の影を落とす者がいる。

 それも影は一つではない、数十を数える無数の影が、グランソラス上空を高速で舞い踊り、激突と反発を繰り返しているのだ。


「くそっ! 聖域まであと少しだってのに!」


 影の一つがグランソラスを背に口を開いた。


 月の光の下に照らし出されたそれは、竜を模した人型の西洋甲冑に似ていた。

 太く、力強い印象の両手足に、どう見てもその巨体を支えるのは不可能であろう小型の翼が背面に広がっている。小型の翼は羽ばたく代わりに緑色に輝く粒子を翼面から放出し、姿勢を制御していた。


 甲冑の全長は丁度三階建ての建物を超えるあたりだろうか。

 この世界では『竜』と呼ばれるその巨大な生物は、両手で身の丈ほどもある戦槌を構えると、背を覆う一対の無骨な翼から緑光の粒子を放出し、なんとか体勢を立て直しながら眼前に広がる巨大な影へと目を向けた。


 竜が視線を向けた先には、地平線すら見える広大な平地の中で孤独にそびえ立つ巨大な山がある。この山こそ、彼らが目指している聖域と呼ばれる場所であり、300年もの昔より何人たりとも争ってはならないと定められた禁断の地である。


「頼むウィスカ……もう少しだけ粘ってくれ!」


 戦槌を構え、頭上を行き交う多数の竜を見据える竜の内部から声が響く。 

 ウィスカと呼ばれた竜の胸の位置、そこには人が乗り込むことのできる空間が存在し、流麗な金髪をなびかせた青年が左右の操縦桿を握りしめて叫んでいた。

 青年の叫びに呼応するように、ウィスカもまたその全身に力を漲らせると、虚空に向かって甲高い咆哮を上げた。


「――虚勢は死を早めるぞ、ソラスの騎士」

「っ!」


 声と同時。気勢を上げるウィスカの頭上から、青白い粒子を纏ったランスを構えた六枚羽の竜が、視認すらままならない速度でウィスカを貫いた。

 決して油断していたわけではなかった。ただ、反応できなかったのだ。ぎりぎりで致命傷を逃れることが出来たのは、青年よりも早く彼が乗る竜、ウィスカが敵の存在に気づいたからだ。


 ウィスカは肩口の外殻を吹き飛ばされた勢いで大きく体勢を崩されていた。このままでは一方的に切り刻まれる。青年は即座に操縦桿を引き絞ると、フットペダルの踏み込みを調節して巧みにウィスカに指示を与え、空中を大きな弧を描くように旋回して敵の竜と距離を取ろうと試みる。


「ロンド! ロンド・サリアレスタ!」

「カリヴァン・レヴだ。その竜に感謝するのだな」

「カリヴァンだと!?」


 体勢を立て直すべく速度を上げるウィスカだったが、カリヴァンの駆る紺碧の竜は一瞬の加速でウィスカに追いつくと、そこから更に空中でもう一段加速した。雷光にも似た強烈な一撃がウィスカめがけて解き放たれる。


「――っ! やられる!」


 未だ体勢整わぬウィスカはなんとかその一撃を回避しようと加速と回転の勢いもそのままに、カリヴァンの竜が繰り出すランスめがけてがむしゃらに戦槌を振り回す。だが超加速と共に放たれたカリヴァンの正確無比な一撃は、不安定な体勢で振るわれたウィスカの巨大な戦槌を容易くはじき飛ばしてしまう。


「聖域まで逃げ込めば我らが諦めるとでも思ったか?」

「だからここまで来たんだろうが!」


 鳴り響く激突音。美しい星々が輝く夜の空に、青と緑の閃光が迸り、二体の竜が交錯する剣戟の火花が散る。


「お前らはが怖くないのか!? ここで俺たちが戦えば、何が起こるか――」


 二体の竜が激しく争う夜空。必死の機動を試みるロンドは、虚空を滑るように緑光の尾を引くと目の前の騎士に問いただす。


「偉大なる皇帝陛下の勅命は、カビ臭い伝説や形骸化した因習に勝るものでは無いのでな」


 ロンドの問いに平然と答えつつも、カリヴァンはちらと竜の視線を一方に向けた。地上で攻撃を受けるグランソラスと、上空で交戦する竜の軌道――その更に後ろへと。


 聖域。それは闇の中にあればただの雄大な山のように見える。だが、闇夜を見通す竜の瞳を通して見れば、ことはすぐにわかった。


 長い年月を経て苔むし、無数の巨木が根を張る石畳。数え切れない程のさび付いた砲塔が覗く岩窓。そして、未だに何かを掴み取ろうとするかのように虚空へと伸ばされた、長さ一千メートルを優に超える巨大な腕――。


 聖域。それは山では無い。


 それは傷つき、倒れ伏してなお立ち上がろうともがき、その最中でついに力尽きた一体の巨人の亡骸。


 300年前。この巨人が健在だった頃、巨人は大陸各地に現れては訪れた先に抗うことのできない絶望と死をもたらしたという。当時の大陸諸国は力を合わせてこの巨人の討伐を試みたものの、多数の国家が滅亡するほどの甚大な被害を出して敗北した――。


 この巨人がなぜこのような姿になったのか、何者がそれを成したのか、それらは謎に包まれている。

 だが、この巨人の力を恐れる生き残った者たちは、巨人の残骸周辺を禁断の地と定め、決して巨人を刺激しないようにと後生へ伝えた。

 なにしろ、本当に巨人が死んでいるのか、本当にもう二度と動かないのかなど誰にもわからないのだ――。

 

「くだらんな」


 カリヴァンは一瞬でもそのようなに意識を取られたことを内心で恥じると、彼の愛竜『ファラエル』に決着の意志を伝える。


「皇帝陛下は貴様らの命をご所望だ」

「そう言われて素直に従う奴がいるかよ!」

「知っている。だから私がここにいる」


 空中で再度激突するウィスカとファラエル。ファラエルは一度の交錯の後、蒼い光の尾を引いて急上昇を開始。同時に、その背に広がる六条の翼を大きく展開すると、先ほどまでとは桁違いの速度で縦横無尽に天を翔けた。


 それはまるで、漆黒の天を鋭角に切り裂くかのような軌跡。闇の中に無数の残像すら残してウィスカに迫るファラエル。

 ファラエルが見せた圧倒的機動性と加速力、そして制動力は、それを見たロンドが絶望するに十分な力の差だった。


「ふ……ざけんじゃねええええええ!」


 ロンドとウィスカの咆哮が天に響く。全身全霊の力を込めて、全てを打ち砕かんと迫り来るファラエルめがけ戦槌を振るうウィスカ。


「――さらばだ、ソラスの騎士」


 声は、ウィスカの背後からだった。

 同時に金属質の外殻が砕け散る破砕音――。


 吹き飛ばされたウィスカの右腕と、その先に握られた戦槌が空虚に回転しながら跳ね飛んでいく。

 刹那の静寂の後、ウィスカの翼から放出されていた粒子が途絶え、巨大な竜はロンドを乗せたまま肩口の切断面から赤い粒子の尾を引いてゆっくりと眼下の町並みへと墜落した――。


「脆いものだな」


 カリヴァンとファラエルは落下するウィスカには目もくれず、攻撃を受けて炎上する眼下のグランソラスへと目を向ける。竜と言うよりも猛禽の頭部を思わせるファラエルの鋭い眼光が明滅し、炎上する城塞都市を冷たく見据える。


 周囲では未だ竜同士の騎兵戦が行われていたが、元より数は帝国側が圧倒的優位に立っていた。これならば攻城戦にも移行せず、難なく目的を達成できるだろう――。


「――なんだ?」


 カリヴァンの視線の先。未だソラス騎士団の抵抗激しいグランソラス中央の宮殿から、巨大な火柱が突如として出現する。

 火柱は羽ばたくように左右に一度広がると、ソラスの防衛線も帝国の竜も全て無視して一直線にファラエルめがけて加速。わずか数秒でその眼前まで迫ると、そのままファラエルを捕まえ、自身と共に凄まじい力でグランソラス外部に向かって絡み合いながら落下していく。


「まだこのような竜がいたか」

「はぁ――っ! はぁ――っ! お前が! 帝国の、将軍――!」


 カリヴァンの耳に、年若い少女の声が聞こえた。


「ロンドが、最後に位置を教えてくれた――! 私が、私がここでお前を――! 倒せば――っ!」

「――愚かなことを」


 城壁を越え、まもなく地面へと激突するというところでファラエルはその口腔から凄まじい氷雪の嵐が発生し、絡みつく炎を徐々にかき消していく。


「見事な速度と膂力だ。炎のブレスも申し分ない。だが――」


 そしてその炎の下から現れた、深紅の外殻を持つ竜の組み付きを容易くふりほどき、そのまま深紅の竜を地面へと叩き伏せると、自らは三度の旋回の後静かに大地へと降り立った。


「かは―っ! けほ―っ!」

「王自ら戦場に立つなど……。これでは貴方を守るために倒れた貴国の騎士たちも浮かばれますまいな、ソラス女王陛下」

「誰のっ――!」


 叩きつけられた衝撃で半身まで大地へと埋没した深紅の竜が、僅かに震えながらその身を起こす。


「誰のせいで――。誰のせいでこうなってると!」


 リーンの乗った深紅の竜が腰の鞘から長剣を引き抜き、自らを見下ろすファラエルへとまっすぐに斬りかかる。リーンの怒りに呼応したかのような一撃は、一度は消え去った炎を再び燃え上がらせ、行く手を阻む者全てを焼き尽くそうと振り下ろされた。


「あ――っ!」


 だが、カリヴァンとファラエルはその豪炎に前にしても少しもひるまず、それどころかわずかに半身をずらすだけでリーン渾身の一撃を後方へといなし、深紅の竜の腹部へと痛烈な膝蹴りを叩き込む。

 深紅の竜はその衝撃で再び大地に倒れ伏し、長剣は炎を失って力なく地面へと突き刺さった。


「――動きを見ればわかる。貴方は今まで竜に乗ったことも、剣を握ったことも無い」


 ファラエルの視界を通して深紅の竜を見下ろすカリヴァンが、僅かな憐憫の色が込められた声で呟いた。

 カリヴァンの言うとおり、リーンは今の今まで竜に乗ったこともなければ、剣術のまねごとをしたこともなかった。


「う――ふぐっ! くっ……うう……ううう~~~!」


 深紅の竜の内部、ろくに竜を乗りこなすための装備も身につけず、薄汚れた平服姿のソラス女王、リーンは悔しさのあまり涙をこらえることができなかった。

 目の前で大勢の見知った仲間たちが傷つき、倒れていくのを見てじっとしてはいられなかったのだ。


 気づけば、リーンはもはや乗り手がいなくなって久しいソラス王国最強の炎竜『フレスティーナ』に乗り込み、こうして飛び出していた。しかし、竜に乗ったことも無い素人にそのような強大な竜が扱えるわけが無い。


 その結果が、この様である。


 どうすればいい? どうすればこの状況を打開できる? 


 帝国はソラスに一切の要求もせずに攻撃をしかけてきた。こちらからの再三の交渉にも応じず、問答無用で――。


 それはつまり、帝国の目的がの奪取ではなく、ソラス王国そのものの消滅にあることを意味していた。


「なんとか……しないと……っ! なんとか……! そうしないと、みんな死んじゃう……!」


 リーンは後から後からこぼれ落ちる涙もそのままに、必死で目の前の操縦桿を操作してフレスティーナを立ち上がらせようとする。その様を見下ろしていたカリヴァンは深く、静かに息を吐いて操縦桿を引き倒すと、ファラエルにランスを構えさせた。


「――せめて、この後に続く民たちの死に様を知らぬまま眠られよ。若き王よ」


 カリヴァンが呟く。もはやフレスティーナは立ち上がることすらままならない。全てが決し、突き出されたランスが無慈悲にリーンの命を奪うかに思われた、だが――。



 星々輝く満天の夜空から、聖域に向かって一条の光芒が堕ちた。

 炎上するグランソラスを、戦い続ける竜たちを、夜の帳が落ちた暗闇の平原を。まるで世界全てを照らすかのような、空間全てを白で染め上げる凄まじい光。


「聖域から……光が?」

「な、なんなの? なにが、起きてるの――?」


 光がゆっくりと収束する。再び世界を闇が支配し、静寂が包む。

 上空の竜も、グランソラスを砲撃していた帝国の攻城塔に乗る兵員たちも、今まさに生殺与奪の境にあったリーンとカリヴァンすらもその意識を光の堕ちた先――聖域へと向けていた。

 

 大地が揺れている。

 まるで地獄の底から響き渡るような、鈍く、遠く、重い揺れが、大地を震わせている。


「来る――!」


 カリヴァンが叫ぶと同時、聖域を成していた巨人の胸部が大きく崩壊し、先ほどとは逆に天へ向かって光が伸びる。一度天に昇った光芒はグランソラス上空で旋回を開始すると、フレスティーナとファラエルが対峙する城外めがけ、落下した――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る