第二章

異世界シージニア


 あっという間に迫ってきた光と、その後に続く衝撃。


 突然それまで体を支えていた足場が消え、空中に放り出されたような浮遊感の中で、陸人は自分を呼ぶ大好きな家族の声が遠ざかっていくのを感じていた。


 一体、何が起こったんだろう?

 みんなは無事なんだろうか?

 自分は、どうなったんだろう?


 目を閉じても遮ることのできない光の中で、陸人は遠ざかっていく声を掴むように、離さぬように、必死で手を伸ばした――。 



 ――伸ばされたリクトの手に添えられた、暖かいぬくもり。

 リクトは必死でその手を掴み、握りしめ――。


「――大丈夫?」


 目を覚ましたリクトが最初に認識したのは、自分が必死に掴んでいたぬくもりが、見ず知らずの少女の手だったということだった。


「え? あれ?」


 リクトは慌てて掴んだ手の力を緩めて離すと、横になった姿勢から体を起こそうとする。


「ごめん!? いっつつっ――!」

「大丈夫? どこか痛むの? さっき診てもらったときは、どこも怪我はしてないみたいだったんだけど……」

「あ、いえ――。すみません、大丈夫みたいです。あの、ここは病院ですよね?」

「……?」


 一瞬痛みを感じたような気もしたが、どうやら少女の言うとおり特に体に問題はなさそうだった。体を起こしたリクトは、風変わりな内装の部屋をきょろきょろと見回しながら、少女に尋ねた。


「病院……病院ね……やっぱり、エルの言った通りなんだ……」


 黒髪の少女はリクトの発した言葉の意味を探るように、深い紫色の瞳をまっすぐリクトに向ける。しかしすぐに思い当たることがあったのか、ふんふんと一人頷いて口を開いた。


「――わかった。じゃあ色々説明する前に、まずは自己紹介させて。私の名前はリーン・ソラス。三日前にこのソラス王国の女王になったばかりなの。貴方の名前は?」

「ん? んん? 女王?」

「名前は?」

「あ――アマミ・リクト、です」

「そう! ならリクトでいい? これからは私のこともリーンでいいから。それと敬語とか丁寧語も無し。私が女王とかそういうのも気にせず普通に喋って。わかった? よろしくねリクト!」


 リーンと名乗った黒髪の少女は、リクトの腰掛けたベットに身を乗り出しつつ一息で自分の言いたいことを全て言い切ると、満面の笑みを向けて挨拶した。


「ア、ハイ。どうも、よろしくお願い――」

「なんかその言い方固くない? もう一回!」

「そ、そっか! おっけーよろしくっ!」

「あはは! うん、いいわね!」


 リーンの話すいくつかの単語に理解が追いつかず、あっけにとられるリクト。そんなリクトの様子を気にした様子も無く、リーンは畳みかけるようにリクトに迫った。

 リーンが話せば話すほど、リクトの脳内に疑問が増え続けていく。

 そもそも、よく周囲へと目をこらせば、今リクトがいるこの部屋もまるでファンタジー映画のセットのようであり、明らかに用途のわからない道具や見慣れない調度品がいくつも目についた。


「さて、と――」


 リーンとの会話で徐々に思考がまとまってきたリクトに、先ほどまでとは一転して笑みの消えた表情のリーンが向き直る。


「挨拶も終わったし、説明してあげる。きっと最初は信じられないと思うけど、嘘じゃ無いから。落ち着いて聞いて」


 真剣な様子のリーンに、リクトもまた、先ほどから増え続ける疑問の答えを求めて口を閉ざした。

 静まりかえった石造りの室内。テーブルの上の柔らかなろうそくの灯がゆらめき、二人の影を壁面に映し出す。


「私たちが今いるこの世界はシージニアって呼ばれてる。貴方は元いた世界から、このシージニアに飛ばされてきたの」



 ●   ●   ●



 ――リクトにとって、リーンの話は彼女の言うとおりすぐに信じられるようなものではなかった。

 

 都市の外ではまず人が生きることができない荒廃した大地と、そんな世界でも戦いを続ける都市国家群。そして、そこで日々を生きる人々の生活――。

 リーンは時に、かなりの枚数に及ぶ羊皮紙に描かれた地図や資料を交え、リクトが納得できるよう、少しでも理解できるよう懇切丁寧に言葉を尽くしてくれた。


 話が終わるまで約二時間ほど。


 まだまだリクトの理解は完璧とは言いがたかったが、それでも彼は自分自身が置かれた状況とやるべきことは見いだせていた。


「――で、私たちは今そのエルカハル帝国っていうとこの軍に追いかけれて大変なの。でも、リクトの乗った竜が聖域から飛び出してきたおかげで助かったってわけ!」

「そこで俺!? 全然覚えてない……」

「そうだと思った! 私も竜の動きは何度も見てきたけど、あの動きは人が乗って動かしてるって感じじゃなかったから」


 リクトが特に驚いたのは、昨晩自分自身がこの世界に現れた経緯だった。

 聖域から飛び出した光、その中から現れたボロボロの灰褐色の竜。

 その竜は今まさにリーンを貫こうとしていた帝国の将軍が乗った竜を造作も無く撃退せしめたのだという。

 きっとリクトの竜が怖くて逃げたのだとリーンは言っていたが、その様子を見た帝国軍は、すぐさま踵を返して撤退していったらしい。


「竜からリクトを出すの、結構大変だったんだから。他の竜ならちゃんとお話しすればわかってくれるんだけど、リクトの竜は一言も口をきいてくれなかったから」

「竜って話通じるの!?」

「竜なんだから当たり前でしょ? 人間同士なんかよりよっぽど気が楽よ。リクトの世界に居た竜はそうじゃなかったの?」

「そもそも竜とかいないから!」


 出会った当初の緊張はすっかり消え、リクトの表情にも笑みが戻っていた。ここまで自分のために状況を説明してくれたリーンに感謝を述べると、リクトは意を決してリーンに尋ねた。


「どうすれば、元の世界に戻れる?」

「それは……」


 なんらかの現象が起きてここに来たのであれば、元の世界にもきっと帰れるはず。

 リクトは日々訪れる毎日を一生懸命生き、平穏無事で笑い声の絶えない充実した生活を送っていたのだ。

 きっと、消えてしまったリクトを家族全員が心配しているだろう。早く、一秒でも早く家に帰りたい。顔を見せて皆を安心させてやりたい。

 突然消えた自分を探す家族や友人の悲痛な状況に思いを馳せるだけで、リクトは胸が張り裂けそうなほどの精神的苦痛を覚えた。


「リーンのおかげで、俺が今どういう状況なのかはよくわかったよ。でも、ここが俺の元いた場所じゃないのなら、なるべく早く帰りたいんだ。リーンが知らなくても、誰かそういうのに詳しい人――……」


 そこまで言って、リクトはあることに思い当たる。


「そういえばそうだ。そもそも、なんでリーンは俺が別の世界から来たってことを知ってたの?」


「――それは、私がリーンに教えたからです」


 リクトの問いに言葉が詰まるリーンに助け船をだすかのように、音も無く見目麗しい女性が二人の間で口を開いた。


「エル……」

「初めましてリクトさん。私はエル。この国で内政外交軍事貿易治安維持、その他諸々全てを管轄しているものですわ。以後、お見知りおきを」

「あ――初めまして、アマミ・リクトです」

「ええ、良く存じています」


 エルと名乗った妙齢の女性は、意味深な笑みを浮かべてリクトに目礼する。


 エルの持つ、見る者に圧すら感じさせるほどの美貌は、リクトにもまた例外なく驚きを与えた。足のつま先から頭頂部まで一分の隙も無いその美しさに、リクトはなぜか自分へのを感じ、エルに対して若干の警戒心を抱いた。


「フフッ……そう緊張せずとも大丈夫ですよリクトさん。ご安心なさい、私たちは貴方の味方です。元の世界に戻るための方法も、私に心当たりがあります」

「本当ですか!?」


 エルのその言葉に、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべてベットから身を乗り出すリクト。だがそんなリクトとは対照的に、先ほどまで笑みを浮かべていたリーンは沈痛な面持ちで二人のやりとりを見守っていた。


「――ええ。我が国の女王を救って下さった貴方の願いですもの、できる限り協力させて頂きますわ。ですがそのためには一つ、こちらからも条件を出させて頂きます。いかな貴方が恩人とは言え、一個人のために国を動かすにはそれ相応の対価を頂かなくては――」

「対価……?」


 誰もが魅了されうる、しかしどこまでも冷徹な、仮面のような笑みをリクトに向けるエル。彼女は笑みを浮かべたまま、怪訝な表情のリクトへと言葉を続けた。


「帝国があの程度で我が国への侵攻を諦めたとは思えません。昨晩の交戦で私たちには大きな損害が出ています。今は少しでも可能性のある戦力が欲しい」

「……」


「簡単なことです、アマミ・リクト。貴方には、あの竜と共に私たちのために戦ってもらいます」


 



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