帰る場所


「こちらから打って出ます」


 グランソラスの戦闘指揮室。開け放たれた窓からはやや強めの風と陽光が射し込み、部屋の外からは破損した各所を修理する音が響いていた。


 時刻は丁度正午。多数の傷ついた騎士たちや兵員が見守る大机を前に、エルが広げられた地図上に指を指す。


「すでに我々は竜の質・量共に劣勢に立たされています。帝国に対して確実に上回っているのは巨神となった際のグランソラスの力のみ。しかし、ただ守っているだけではグランソラスの巨神への移行は不可能でしょう」


 その場にいる誰しもが、重苦しい空気のなかじっと口を閉じてエルの言葉に耳を傾ける。エルが語る現状の分析は、聞くもの全てに自らの道行きの困難さを覚悟させるものだった。


「しかし活路はあります。先ほど述べたように、帝国は傷ついた我々が聖域付近で時間を稼ぐか、もしくは防衛の手薄な方角から逃走を試みると予測しているでしょう」


 エルが指し示した聖域の場所に重なるように、グランソラスを模した粘土細工が小気味よい音を立てて置かれる。

 続けて、グランソラスを囲むように北と西、南の方角に帝国紋の彫られたコインが置かれた。


「帝国の城は機動力に優れた攻城砦が三つ。このうち一つ……西を守る城は将軍であるカリヴァン・レヴの居城ですが、それ以外の二つは独自の指揮権を持たない支城です。我々が持つ全ての戦力を単独で抑えきるほどの力は持っていません」


 そこまで言って、エルは聖域に重なったグランソラスの模型を指先でゆっくりと南へと滑らせ、そこに配置されたコインをはじき飛ばす。


「南の支城にグランソラスを含めた全戦力で速攻をしかけ、その城を北西からやってくる帝国軍の盾としつつ、グランソラスを巨神へと移行させます。我々が生き残るにはこれしかありません」


 エルが提示した作戦内容に、既に手負いとなって満身創痍の騎士たちは皆押し黙った。


 幾度かの交戦で、帝国騎士団の精強さはまざまざと見せつけられていた。たとえ帝国にとって取るに足らない支城だったとしても、間違いなく苛烈な抵抗が待っているだろう。

 ましてや、今回はそこに時間制限まで加わるのだ。南の支城を無力化するのが遅れれば、残りの帝国軍がグランソラスに殺到し、もはや巨神への移行など夢のまた夢だろう。作戦の遅延はこの場に居る全員の死を意味していた。


「みんな、聞いて」


 今ここにいる全ての者の心にの二文字が去来し、重苦しい静寂がその場を支配する。その静寂を打ち破るように、エルの隣から進み出て声を上げる少女。リーン・ソラス。


「みんな、ここまで戦ってくれて本当にありがとう……私もさっき戦ったからよくわかる。今エルが言った話は簡単なことじゃない。でも――」


 リーンは、自らに注がれる仲間たちの視線一つ一つに対して自身の紫色の瞳を向けると、はっきりとした、決意に満ちた言葉を発した。


「――それでも、ここは私たちがずっと一緒に暮らしてきた大切な家だから――。だから、私たち皆の力で守ってあげたい。そして、私と一緒に居てくれる皆の命と、皆が作ってくれたいつも通りの日々を守りたい」


 静寂の中、リーンのまっすぐな声が貫く。

 彼女の声が発せられる度、僅かずつ、僅かずつ絶望に塗り込められた騎士たちの心に熱が戻っていく。 


「お願い、みんなの力を貸して。そして明日も、その次の日も、これから先もずっと――ずっと皆で、一緒に生きていこう!」


「「「――オオオオオオオオオオッ!」」」


 静寂が破られる。

 リーンの言葉が終わると同時、その部屋にいた全ての者から決意の声が響き渡り、騎士たちの心を天にも届かんばかりの気炎で燃え上がらせたのだった――。



 ●   ●   ●


「すごい……」


 作戦会議が終わり、騎士たちが慌ただしく各自の持ち場へと散っていく。彼らの瞳にもはや絶望はない。誰もが自分たちの暮らすこの家を守るべく、今の自分に出来る限りのことをするために行動していた。


 リクトは、そんな彼らの様子を戦闘指揮室の奥で驚きと共に見つめていた。彼にとっては映画の中でしか見たことが無いような光景が、実際に目の前で起こっているという現実。

 つい先ほどまで自宅のベランダで玄関マットを取り込み、スマートフォンやパソコンで様々な娯楽を消費していたはずなのに――。

 目の前の非現実的な光景を見たリクトには、最早あの頃の日々が遙か遠くに、もう二度と戻ってこないもののようにすら感じていた。


「リクト、少しいい?」


 そんなリクトの目の前に、人混みから離れてリーンがやってくる。

 リーンは戦闘指揮室の屋外に設けられた哨戒用のテラスにリクトを案内すると、そこで大きく伸びをして深い深い息を一つついた。


 地上からざっと百メートルは上方に位置するテラスには、乾いた風が止むこと無く吹き抜け、目に映るのは眼下の町並みとどこまでも広がる青い空。地平線の果てすら見通せるその幻想的な景色は、リクトに今自分が居る場所が異世界であることを否応なく認識させた。


「んん――……っ」

「今の、リーンの話」

「……ん?」


 伸びをするリーンを横目に、リクトはテラスの欄干部分に両腕を乗せると、元の世界では一度も感じたことが無いほどの透き通った風の感触に目を細める。


「なんか、うまく言えないけど凄かった。俺なんてさっきここに来たばっかりで、この世界のことも、この国のことも何も知らないのに、それでも何かこう――とにかく力になりたいって思った」

「あー…まあ、そう思ってくれるのは嬉しい、かな」


 リクトの言葉に、リーンはばつの悪そうな、複雑な表情を浮かべる。


「でもさっきのエルの話。リクトは本当に良かったの? いきなり戦えなんて。竜に乗るのだって、初めての人は動かすのも大変なのに――」

「そりゃ嫌だよ! 俺だって出来れば危ないことはしたくないし。でも、とにかく俺は早く家に帰りたいんだ! たとえそれがどんなに大変なことだったとしても、なら……やるよ!」

「そっか……たしかに、私もリクトと同じ状況ならそうするかな――」


 リーンはリクトの返答に安堵したのか、穏やかな笑みを浮かべた。吹き抜ける風に、リーンの美しい碧がかった黒髪がなびく。

 

「――ここから東にまっすぐ行くと、キルディアっていう街があるわ」

「街?」


 不意に発せられたその言葉に、リクトは不思議そうにリーンを見返す。


「うん。どっちが東かは太陽を見ればわかると思う。太陽が昇ってくる方角よ。リクトの世界でも同じだった?」

「それは俺の世界でも同じだったけど――なんでそんな話を?」

「……もし作戦が失敗して私たちが負けそうになったら、貴方は無理に留まろうとしなくていいわ。リクトにはあの竜もいるし、一人でもキルディアまでなら逃げられると思う」

「えっ!?」


 リーンの言葉に思わず声を上げるリクト。リーンはその双眸でリクトを見据え、言葉を続けた。


「貴方があの竜から運び出されて眠っている間、貴方はうなされながら沢山の人の名前を口にしていたわ。きっと、家族や友だちの名前を、何度も――」


 その様子を思い出したのか、辛そうな表情を浮かべるリーン。


「さっき、皆に言ってたでしょ。グランソラスは私たちの家だって。だからみんなで守ろうって。でも、貴方の家はここじゃない。貴方には、ここ以外にちゃんと帰らないといけない場所がある」

「リーン……」

「リクトが家に帰りたいっていう気持ち、私にもとてもよくもわかるし、そのために私たちと一緒に戦ってくれるのも凄く感謝してる。けど絶対に無理はしないで。死んじゃったら、そこで人は終わりなんだから」


 決して揺らがぬまっすぐなリーンの瞳に見据えられ、リクトはその言葉に頷くことも、否定することもできなかった――。

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