斯くして幕は上がり
細く薄暗い石造りの階段を、硬質の規則正しい音を立てながら一歩一歩踏み昇るリーン。
相当な高さの段を上りきった先に広がるのは、グランソラス最上層の戦闘指揮室。室内に足を踏み入れたリーンに対し、既に入り口の横で控えていたエルが恭しく頭を下げる。
時刻は夕刻を回ろうかという頃。昨日攻撃を受けてから、まもなく丸一日が経過しようとしていた。
「お待ちしておりましたわ」
「うん……皆の準備はいい?」
柔らかく微笑みながら面を上げたエルに対し、リーンは緊張した面持ちで頷く。見れば、既に指揮室内の各所では士官が持ち場につき、リーンからの号令を今か今かと待ち構えていた。
「ふぅ――……」
自らに集まる士官たちの視線を受けたリーンは、ゆっくりと胸元に手を当てて深呼吸を一つ。そのまま前を向いて中央の玉座へと進み出ると、片手を前方へと掲げ、運命の号令を発した。
「――グランソラス、起動!」
「グランソラス起動! 炉心出力最大! 加速開始します!」
「目標位置修正! 対象までの距離、南西4200! 交戦可能距離まで320!」
「減速は考えなくていい! 行くわよみんな!」
『『『 御意! 』』』
大地を震わせ、辺り一帯に響き渡る重々しい轟音と共に起動するグランソラス。
山とも見間違うばかりのその巨大な質量が、徐々に速度を増し、粉塵を巻き上げて平原の上を疾走する。その様はまるで、巨大な街が大地を捕食しているかのようにすら見えた。
● ● ●
『――グランソラス、起動開始しました! 城内がもの凄く揺れますのでご注意くださぁい!』
一分の隙間も無く正確に積み上げられ、結合された重厚広大な石室内部。部屋の四隅に設置された通信管から元気の良い女性の声が響く。
石室内部には準備を整えた数十の竜が立ち並び、鈍い駆動音を足下に感じながら多数の騎士たちが慌ただしく行き交っていた。
そしてその石室の一番奥、室内に灯る多数の照明灯に照らされて鎮座する灰褐色の竜――。
全長は9メートルほど。硬質の外殻に個性的で美しい紋様や鋭角の角が現れている他の竜とは違い、その竜の外殻は丸く、ところどころがひび割れ、飾り気のようなものは一切見られない。
唯一、骨格がそのまま剥き出しになったみすぼらしい小さな翼と、鋭く伸びた凶悪な様相のかぎ爪が、特徴らしい特徴と呼べるような外観をしていた。
今、その竜の胸部は大きく上下に解放され、その中に設置された座席に乗り込んだリクトが最後の確認を受けていた。
「リクト、今俺が説明したことをもう一度言ってみろ」
「えっと……目の前の二つのレバーが竜の両腕で、足下の三つのペダルのうち左二つが両足。一番右は踏み込む強さで加速と減速――。あとは、このレバーについてる引き金で攻撃を指示――ですね」
「よし。加速と減速は実際に乗って慣れないとうまく調節できねぇ。初っぱなから速度を上げ過ぎるなよ」
「はい! ありがとうございます、ロンドさん!」
動物の革をなめした厚手の服に身を包んだリクトが目の前の青年――ロンドに笑みを向ける。
負傷し、片手に添え木をした状態で座席を覗き込むロンドも、確認するように大きく頷いた。
「いいかリクト。竜に乗って戦うときに一番大切なことは、なんでもかんでも自分一人でやろうとしないことだ。全身の力を抜いて、お前の竜を信じて身を任せろ。どっちが上とか下とかじゃねぇ。お前と竜、二つで一つだ。もし戦闘中にパニクってわけがわからなくなったら、それを思い出せ」
「はい!」
「いい返事だ」
ロンドは再び頷くと、騎乗席に乗り入れていた半身を後方へと引き上げ、周囲を見渡す。
既に他の騎士たちは全員が竜に乗り込み、各々の装備を構えて整然と出撃の時を待っている。
「すみません! もう一つだけいいですか?」
「なんだ?」
邪魔にならぬよう竜から降りようとしたロンドを呼び止めるリクト。
「あの、今回の作戦で皆さんが言っていた巨神って、何なんですか?」
「……魔女が言ってたとおり、お前が別の世界から来たってのは本当なんだな」
「魔女?」
「エルだよ。あの赤い髪の女。ま、今は時間がねぇからそれはどうでもいい」
ロンドは自身の金色の前髪をうっとうしそうにかき上げると、再びリクトに向き直って説明を始めた。
「巨神ってのは、このグランソラスがでっかい巨人の姿になったときの名前だ。俺たちが住むこの世界の街や城は、大体全部が大なり小なりその巨神ってのになれる」
「巨人の姿に……って、この街がそのまま人の形になるんですか!? それ、中にいる人たちは大丈夫なんですか?」
「大丈夫に決まってんだろ。当たり前のことだからな。俺たちはみんなそうなっても大丈夫な場所に考えて住んだり、区画を分けたりしてんだよ」
「すごい……」
ロンドの話すあまりにも凄絶なこの世界の当たり前に、言葉を失うリクト。
「んでだ、巨神になったグランソラスはとんでもなく強ぇ。世界最強って言ってもいいくらいだ。それこそ、帝国の首都が相手でも一対一ならぶっ潰せるだろうさ」
「そ、そんなに!」
「だが、今の俺たちはこうして死にかけてる。巨神にもなってねぇ。巨神になるには色々条件があってな」
ロンドは言うと、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、忌々しげに拳を握った。
「巨神になるには時間がかかる。しかもその間、城の弱点のコアが外から丸見えになっちまうんだ。巨神になり終える前にそのコアを攻撃されたら、グランソラスは巨神になれないどころか、しばらく全部の機能が停止して動けなくなる」
「コア……ですか」
「だから俺たち騎士が命を張って戦う騎兵戦があるんだ。竜の火力と機動力は剥き出しになったコアなんて速攻で壊せる。騎兵戦で負けて制空権を取られたら、露出したコアを守りきれない」
ロンドは負傷した右腕を上下に振って自嘲気味に笑うと、解放された外殻の横に垂れ下がったロープを掴む。
「情けないが、俺たちはお前が来る前に騎兵戦でボコボコにされたんだよ。だからこっちから仕掛けて無理矢理にでもグランソラスが巨神になる隙を作る。それがあの魔女の作戦だ」
『竜門、開きます! 第一、第二師団は出陣開始! 第三、第四も続いてください!』
鳴り響く声と同時、リクトたちが立つ広大な竜の詰所の天井部分が大きく揺れながら二つに割れ、傾き始めた日差しが室内へと降り注ぐ。
一陣の風と共に室内の空気が循環し、壁面にかけられた布や重石の敷かれた羊皮紙がばたばたとはためく。
「そうだリクト! 最後に一つ言っておく!」
「はい! なんですかロンドさん!」
片腕で掴んだロープを使い、竜の足下へと滑り降りるロンド。
「リーンに手ぇ出すんじゃねぇぞ! んなことしたら、ソラス全土を敵に回すことになるからな!」
「えっ!? なんですかそれ!?」
「はは! 冗談だ! ちゃんと帰って来いよ! さっき会ったばかりだが、ガキが死ぬのは見たくねぇ!」
『第四師団出るぞ! そこの新入り、遅れるな!』
「あっ! はい!」
注意され、リクトは急いで竜の操縦席へと身を沈めると、引き縄を引いて外殻を閉鎖。それによって操縦席は闇へと閉ざされるが、一瞬の停滞の後、リクトの視界が彼が乗る竜のものとリンクする。
「すごい……こんな風に見えるんだ……」
『第四師団、出陣する! 巨神の加護と共に!』
リクトの眼前で、何体もの竜がその翼から色とりどりの粒子を放出して上空へと昇っていく。
リクトはロンドから教えられたとおりに両方の操縦桿を引き絞ると、同時に一番右に位置するペダルを踏み込んだ。
「う、うわっ!」
突然の浮遊感と全身にかかる荷重に思わず声を上げるリクト。
閉鎖された石室から一瞬で視界が開け、広大な空とリクトに平行して飛行する仲間の竜が目に飛び込んでくる。
あまりにも美しく、そして現実離れした景色――。
リクトの目に映るその美しい景色が、僅かにぼやける。
「みんな、心配してるだろうな……」
これは、なんなんだろう。
どうしてこうなっているのだろう。
もしかしたらこれはやっぱり夢か何かで、自分はまだ家のベッドで寝ているんじゃないだろうか?
リクトの胸に様々な思いが去来し、その瞳にうっすらと涙が浮かび上がる。
「帰るんだ……絶対に!」
灰褐色の竜の中。リクトは自分に言い聞かせるようにそう言うと、加速する他の竜に遅れぬよう、しっかりと操縦桿を握りしめた――。
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