第三章

その竜の名は


「敵城、凄まじい速度で向かってきます!」

「敵騎兵、上空から多数! このままでは頭を押さえられます!」


 エルカハル帝国軍、聖域包囲網南方の支城。

 動き出したグランソラスの予期せぬ自陣への突撃に、支城内部は大混乱に陥っていた。


「う、う、うろたえるなー! このような事態はカリヴァン様も想定されていた! ここで我々が踏みとどまればやつらの命運は尽きたも同然! 竜騎士は全員外に出ろ! 私もラートリーで出る!」

「オハナ様の仰る通りだ! 全員持ち場につけ! オハナ様もどうかご無事で!」


 混乱する兵卒たちをなんとか統率しようと、この城の指揮官らしき栗色の髪の女性騎士が大声を上げる。


「う、うむ! 君もな!」


 オハナと呼ばれた女性騎士は、士官からの呼びかけにこわばった笑みを浮かべると、くるりと踵を返して一目散に通路を駆け抜けていく。

 壮麗な甲冑に身を包み、勇ましく腰に剣を携えて疾駆するオハナ。

 ――だが、そんなオハナの凜とした横顔に、一粒、また一粒と輝き光る涙がこぼれ落ちていく。

 

「うええええ! なんでなんでなんで! 助けてくださいカリヴァン様カリヴァン様カリヴァン様ぁぁぁ! どうして!? よりによってなんでこっちにくるの!? なんで! なんで! なんでぇぇぇ!」


 通り過ぎる者一人いない士官用の細い通路内に、オハナの悲痛すぎる声が響く。しかしオハナはその歩みを止めはしない。

 多数の竜が待機する竜倉に近づくにつれ、滝のように流れ落ちていたオハナの涙ははっきりと引いていき、竜倉に姿を現したときには泣きはらした素振りすら完全に消えていた。


「オハナ様! こちらです!」

「うむ! 私のラートリーの準備は出来ているか!?」

「万全です!」

「素晴らしい! ならばソラスの軟弱な騎士どもめ、今度こそ我が剣の錆びにしてくれる!」

「なんと頼もしい! 流石オハナ様!」

「ふ、フフフ……! では、行ってくる!」


 勇ましい宣言と共に剣を抜き放つと、オハナは木組みの櫓を小走りに駆け上り、眼前で仁王立つ山吹色の竜に颯爽と乗り込む。

 ただ宣言をするためだけに抜いた剣を竜の中でいそいそと鞘に収めると、解放された胸部装甲を閉鎖して操縦桿を握る。


「オハナ・カパーラ! ラートリー出るぞ! 全員続けぇぇぇ!」


 グランソラスからの砲撃に揺れる城内。急速展開された天板の隙間から、支城上空に殺到する敵竜の姿が見え隠れする。


「フ、フフ……フ(すごいいっぱいいるーーーー!?)」


 再び溢れ出す涙もそのままに、オハナは多数の敵が待つ天上へと自らの愛竜を飛翔させるのであった――。



 ●   ●   ●



「敵支城から竜騎兵、出ます!」

「あらあら……随分とゆっくりなこと。昼寝でもしていたのかしらね?」

「ずっと寝てても良かったのに……アルコスタ、巨神砲に充填開始! 目標は北から追ってくる敵の城! 発砲は私の号令待ち!」

「アイアイ姫様ー!」


 グランソラス指揮室。玉座に座るリーンの視線の先。傾き書けた日の下で空中に黒煙が上がり、無数の砲撃の音が遠くからこだまする。


「……この戦いの趨勢は、既に主力を失った我々の竜騎士たちが、あの支城をいかに素早く制圧できるかにかかっています。リクトさんの頑張りに期待いたしましょう」

「……リクトに?」

「そう……。彼はきっと、我々にとって大きな力になってくれますわ」


 言いながら、薄い笑みを浮かべるエルとは対照的に、納得いかないという風な視線をエルに向けるリーン。


「エル……貴方のする事が全てソラスのためだっていうのは良く知ってるし、疑うつもりもない。でもだからこそ教えて。どうしてリクトはここに来たの? どうしていきなり戦わないといけなかったの? 彼とあの竜は、一体なんなの――?」

「――ええ。喜んでお話しますわ……他ならぬ、リーンの頼みですもの」 


 絞り出すように言葉を発するリーン。彼女の懇願にも似たその言葉にエルは目を細め、指揮室から覗く景色の先、夕日に照らされ、赤く燃えさかるような巨体を晒す聖域の巨人像へと視線を向けた。


「彼――アマミ・リクトと、あの竜は――」



 ●   ●   ●



 ――支城上空。

 

 展開された竜倉から次々と飛翔を開始する帝国の竜騎兵たち。

 しかし、既に支城上空を完全に掌握していたソラスの騎兵部隊は、上昇途中の帝国騎兵に対して四方八方からブレスと呼ばれる射撃攻撃をしかける。

 丁度手首の外側に備えられた発射口から、炎や水、雷撃や突風といった様々な自然現象の渦が撃ち放たれ、帝国の騎兵部隊は剣を抜く間も与えられずに眼下へと押し戻され、撃墜されていく。


『竜は適当にあしらえ! 俺たちは司令塔を占拠するぞ!』

『司令塔を狙えー!』 


 グランソラスの半分ほどの広さの支城内部にあって、一際目立つ中央右側の長大な尖塔に何体もの竜が殺到する。

 迫り来る竜の侵入を防ごうと、尖塔の開口部は即座に分厚い鉄板で緊急閉鎖される。だが、竜はそんなものはお構いなしとばかりに尖塔上部に刃を叩きつけて屋根部分を崩落させ、その部分から次々と竜から飛び降りた騎士たちが内部へと飛び込んでいく。


「抵抗するな! 降伏すれば殺しはしない!」

「く……弱小騎士どもが……調子に乗るなぁぁ!」


 尖塔内部で白兵戦が開始される。生身の両国騎士たちは互いに腰の長剣を抜き放つと、訓練された動きで剣戟を切り結んでいく。

 しかし、既に状況は圧倒的にソラス側が有利である。尖塔上部の崩落した場所から中を覗き込んでいるソラスの竜たちが、主を助けようとその長い爪や頭部の嘴で帝国の兵員を攻撃しているからだ。


「よし、掌握作業にかかれ! 急げよ!」


 竜の援護を受け、帝国の兵員たちを指揮室の外へと押し出していくソラスの騎士たち。司令塔の制圧を完了したソラス軍は指揮室の各座席へと散らばると、最後の仕上げに取りかかっていった――。



 ●   ●   ●



「このっ! このっ! このっ!」


 司令塔からはやや離れた場所。

 リクトは灰褐色の竜を支城の内側に着地させると、上空を見上げるような形で帝国の竜に対して射撃を行っていた。


 ――とはいっても、灰褐色の竜からは弱々しい『輝き』のようなもやもやした光が単発で打ち出されるのみで、リクトは自分の攻撃が効果を発揮しているのかもよくわかっていない有様であった。


「はぁ……はぁ……。なんか疲れてきた……。本当にこの竜大丈夫なのかな……羽も骨みたいだし……俺が話しかけても全然返事してくれないし……」


 竜の内部で一人呟くリクト。

 ロンドは竜の操縦方法をリクトに教えるとき、何度も「竜と話せ」と言っていた。この世界の竜騎士たちは、皆そうやって自分の竜と信頼関係を築くのだと。


 だが、この竜はロンドが試しに話してみても口を開こうとはしなかった。辛うじて座席からの操縦には反応するものの、リクトは未だにこの灰褐色の竜の名前すら知らないままであった。


「どうやったら仲良くなれるんだ……? やっぱりまずは自己紹介からかな? ……俺はアマミ・リクト! 今年16歳で、好きな食べ物は大根のそぼろ煮! 君の好きな食べ物はなに?」

「……」


 つとめて明るいリクトの声。そしてその後に訪れる静寂。

 リクトはがっくりと肩を落とすと、大きなため息をついた。


「とりあえずは今のままで頑張るしかないか……って!?」


 リクトが気を取り直して再び攻撃を開始しようと上空を見上げた――その時である。


『はぁぁぁぁぁ!』


 上空に超高速の銀閃がきらめき、夕暮れの赤く焼けた空から三体もの竜が同時に地面に落下していく。それら三体はいずれもソラス騎士団の竜――。


「あれは……敵!?」

『フ、フ、フハハハハハ! ソラス騎士団め、やはり恐るるに足らず! 貴様ら全員このオハナ・カパーラが成敗してくれよう!』


 竜と一体化したリクトの視線が声の主をとらえる。

 山吹色の流麗な紋様が色鮮やかな、二刀一対の短剣を構えた一体の竜がソラスの騎兵たちを次々と蹴散らしていく。

 

 更に悪いことに、完全にソラス側が掌握していた支城上空の包囲網が今の攻撃で崩壊し、先ほどまで飛び立てていなかった帝国の竜が続々と飛び出してきていた。


「っ! このままじゃ多分まずい! 行かなきゃ、俺も行かなきゃ!」


 リクトは目の前の操縦桿を握りしめると、強くペダルを踏み込んで上空へと飛翔しようとする。しかし――。


「あ、あれ?」


 手が震え、心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。

 踏み込まねばならぬはずの足下のペダルに、力が入らない。


 ――恐怖。


 この世界で初めて目覚め、リーンと出会ったとき。

 そのあと現れたエルによって、戦うことを約束させられたとき。

 リーンの言葉に沸き立つ騎士たちの姿を見たとき。

 ロンドに竜の操作方法を教わり、グランソラスから出撃したとき。


 いずれの時も、リクトは傍目には平然であるかのように見えたし、リクト自身ですらもそう思っていた。だが――。


「くそ! くそっ! いけ! 行くんだ! 行かないと、リーンたちが負けて、俺も死んで、家にも帰れなくて、全部駄目になっちゃうだろ!」


 リクトはただ、あまりにも大きすぎる恐怖から目を背けていただけだった。直視すれば、その瞬間心が壊れてしまうかもしれないほどの恐怖と混乱から、リクトの心の防衛機構が彼を守っていたのだ。


「なんで……! 勝たないといけないのに……! 帰らないといけないのに……!」


 操縦桿に頭をぶつけ、リクトは涙を流す。だがそんな彼の耳に、突然どこか懐かしいような、聞き覚えのある声が響いた。


(わたし……チーズバーガー……好き……)


 聞こえてきたその声に顔を上げ、辺りを見回すリクト。 


「チーズ……バーガー……?」

(おはようリクト……また会えて嬉しい……)


 静かな声。


 その声を聞いた時、なぜかリクトの震えは止まっていた。


「……君は、もしかして、この竜……?」

(私はラティ……何度でも、何度でも教えてあげる……私の名前……)


 操縦桿を握るリクトの手の平にかぶさるように、小さな白い手が重なった気がした――。




 

 

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