移動国家ソラス


 地平線に日が沈む。

 

 どこまでも広がる荒れ果てた大地の上を、細かな砂塵混じりの風が吹き抜けていく。

 草木もまばらな露出した地肌は、赤く焼けた夕暮れの光を浴びて黄昏の様相をより一層強めていた。



 そんな、風と沈みゆく太陽以外、動くものもまばらなこの荒野を横切る影が一つ。



 沈みゆく日の光を受けて浮かび上がるその巨大な影は、それが小高い丘か起伏の緩やかな山に見えただろう。


 だが、よく目をこらしてみればわかる。

 それは決して、山や丘のような自然物ではない。


 円形に広がる高い城壁と、要所に備え付けられた分厚い金属製の城門。

 城壁の四方を守るように配置された高く重厚な尖塔と、中央にそびえ立つ壮麗な宮殿――。

 

 移動する城塞都市、その名はグランソラス。


 由緒ある伝統国家、ソラス王国の首都である。

 だが、そもそもソラス王国は特定の領土を持たない移動国家だ。つまり、今地上を猛スピードで走っているこの城塞都市こそがソラス王国の領土の全てである。


 そして今、その長い歴史を放浪と共に過ごしてきたこのソラス王国に、未曾有の危機が迫っていた――。



 ●   ●   ●



 足下から伝わる小刻みな駆動音に、重々しい爆発音が混ざった。


「っ! 捕まった!」


 夕暮れの光が射し込む無骨な石造りの小窓から身を乗り出し、藍色がかった黒髪を短くまとめた少女が双眼鏡を覗き込みながら叫ぶ。


「西門の兵員詰所に着弾! 負傷者多数!」

「急いで救援を送って! 西側の避難状況は?」

「まだ七割ほどです。西は避難に時間がかかる老人が多かったので……」

「そんなことわかってるわよ! ……――ごめん、できる限り急がせて」


 覗き込んだレンズの先で立ち上る黒煙を確認した少女は、金属管が束になった装置の前に座る兵員に苛立った様子で指示を出すと、そのままの勢いで部屋の奥にある座席にため息をつきながら腰を下ろした。


 平時であれば誰もが好印象を抱くであろう活発さと利発さを兼ね備えた面立ちに、どこまでも透き通った紫の瞳。勢いをつけて座り込んだ少女の小柄な体は、成人男性用に作られたふかふかとした椅子にすっぽりと埋まってしまう。


「あらあら。随分とご機嫌斜めね、リーン」

「あたり前でしょ!」


 明らかにサイズの合っていない椅子に半ば埋まりながら、不機嫌そのものといった表情で瞼を閉じる黒髪の少女――リーンに、椅子の隣に控えていた妙齢の女性が冗談めかした口調で声をかけた。

 今は陽光の影になって目立たないが、その女性は100人が見ればその全員が虜になるであろうほどの美貌の持ち主だ。深く燃えるような赤い髪を腰まで伸ばし、無骨な石壁で包まれたこの指揮室にはおよそ似つかわしくない華美なドレスを身にまとっている。一切の無駄が見られない美しい肉体と、完璧なバランスで配置された目鼻立ち。その過剰にも思える美貌からは、魔性の怪しさすら漂っている――。


 リーンたちが今いるこの場所は、グランソラス中央に存在する一際目立つ長大な主塔部分に備えられた戦闘指揮室だ。

 全方位をくまなく見通せるように作られた内部構造と、グランソラスの各地区と即座に情報のやりとりを行える機能を備え、長年修羅場をくぐり抜けてきたメンバーが交代で詰めていた。


「大体、帝国との交渉ごとは全部エルがやってたじゃない! なんで私たちが攻撃されないといけないわけ!?」

「そうねぇ……。色々と思い当たる節はあるけれど――」


 座ったまま斜め後ろに立つ女性――エルをジト目で見上げるリーン。リーンの責めるような視線をさらりと躱すと、エルはその美しい横顔に深い憂慮の表情を浮かべ、呟く――。


「全然わかりませんわ」

「……イラッ」

「うふふ、リーンは怒った顔も素敵ねぇ」

「……あんたを信じた私が馬鹿だったわ……」


 既にこういったやりとりには慣れているのだろう。リーンはげんなりとした表情で首を小さく左右に振ると、それ以上エルの相手はせずに再び視線を正面に戻す。

 

 先ほどまで上方から斜めに射し込んでいたオレンジ色の光が、西側の小窓からほぼ水平にリーンの深い紫色の瞳に飛び込んでくる。眩しさに目を細めるリーン。もうすぐ、日が沈む――。


「日が沈めば砲撃の精度も落ちるでしょう。夜襲に備え、場外で交戦中の騎士団は一度城内に戻すのが得策ではなくて?」

「うん――。アルコスタ!」

「はいよぉっ!」

「城外のロンドたちに撤退命令! 信号弾は青・青・緑! 西は狙われてるから、北門を使って!」

「りょーかいです姫様ぁ!」


 リーンの出した指示に、アルコスタと呼ばれたフルフェイスマスクの男は威勢良く応えると、眼前に伸びる色あせた三つのレバーを迷い無く引き倒していく。


「――さて、私たちがに逃げ込むのが先か、帝国に追いつかれるのが先か。ここからが本番といったところかしらね?」

「そんなの……どうにかするしかないじゃない。この国の女王は、私なんだから――」


 日の光が弱まり、赤から青、そして漆黒へと色を変えた夜空の入り口に、鮮やかな信号弾の輝きが炸裂する。

 その美しい光に横顔を照らされながら、ソラス王国女王リーン・ソラスは、決意と共に呟いた――。


 

 

 

  

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