祈り
漆黒の空間から蒼い大気の境界を抜け、大地へ。
もつれるように絡み合い、激しい剣戟と交錯を繰り返しながら落下していく二体の竜。
漆黒の竜ミーティアと、純白の竜ラティ。
遙か数千年の昔から、戦い続けることを因縁づけられた原初の竜が今、その因縁に決着をつけるべく黒と銀の閃光と共に舞い踊る。
「リクトっ! 嫌だ! 僕は嫌だ! 最後なんて――っ! 最後なんて嫌だ! 僕とずっと遊んでくれるって言ったじゃないか! ずっと一緒に居てくれるって言ったじゃないか! お願いだから、僕を置いていかないで! リクトっ!」
「アムレータ……! どうすれば君を……っ!」
アムレータのその叫びは、もはや悲鳴にも似た懇願だった。
絶叫し、その蒼い瞳から涙を零し、半狂乱になって、リクトの乗るラティへとミーティアを肉薄させる。
「駄目だ……帰るなんて許さない! 君はずっと、僕とこの世界が終わるまで、ずっと一緒に遊ぶんだ!」
「アムレータ! どんなに楽しい時間だって、いつかは終わるんだよ! 君はあのとき、俺の楽しかった生活の全てを奪った……! 君が俺の楽しい時間を終わりにしたんだよ!」
ミーティアは自らが従えた無数の十字架状の砲台を操り、そこから発せらる熱線で、ラティの行動を阻害しようと試みる。
だが、先ほどまで難なくラティの障壁を貫通していたその赤と黒の閃光は、ラティが展開する圧力を持った光輪によって逸らされ、弾かれる。
「どうしてわかってくれないの? 全部君のためなのに! 君が汚れないように、ずっと君が綺麗なままでいられるようにしただけなのにっ!」
「俺はいくら汚れてもいい! 大好きな人や、大切な人と過ごすことが君の言う汚れるってことなんだったら、俺はいくらだって汚れてもかまわない!」
純銀の光芒を奔らせてラティが長剣を振るう。その一撃はミーティアを掠めるが、ラティを追従する羽状の自律兵器が、ラティの剣戟を回避したミーティアへと追いすがり、その漆黒の外殻を大きく切り裂いていく。
「違う違う違う! 君はなにもわかっていないんだ! 僕があいつらにつけられた汚れは、そんな――っ」
「そんなことわかってる! 君が俺の想像もできないような酷い仕打ちを受けてきたことも、君がずっとそれで苦しんでいることも!」
叫ぶリクト。だが、その瞬間にも先ほどラティがミーティアに与えたダメージは傷一つ無く修復されている。
かつて、100年にもわたって決着が付かなかった戦いと同様、巨神のシステムによるサポートを受けた二体の竜の力は完全に拮抗していた。
たとえ一瞬の隙を突いて致命的な一撃を叩き込んだとしても、その損傷は即座に修復され、再生してしまう。
「でも俺は君にはなれない! 俺には君の本当の痛みがわからない! 俺じゃあ君を治してあげられない! 君の抱えた痛みをなんとか出来るのは、君だけなんだ!」
ラティから受けた損傷を回復し、上空高くへと飛翔したミーティア。漆黒の竜は無数の十字架の砲口を集中させると、眼下から自らへと迫るラティへと惑星すら貫通するまでに収束させたエネルギーの渦を撃ち放つ。
「ラティ! このまま突っ切る!」
だが純白の竜はその速度を緩めない。追随する無数の羽を自身の前方に集中させると、そこを中心として凄絶な輝きを放つ力場を形成。
大地をも穿つ極大の破壊エネルギーの中を光の矢となって貫き抜く。
「リクト! 僕は、ただずっと君と一緒に――!」
「いるよ! 君がそうしたいなら、俺はいつまでも一緒にいる! 俺にはそれしかできない!」
赤黒の閃光を霧散させ、その勢いのままミーティアの眼前へと肉薄するラティ。逆袈裟に振り上げた長剣がミーティアの前面外殻を大きく切り裂いた。
「頼む――! お願いだから、お願いだから前を――前を向いてくれアムレータ! 君はまだ、ここで生きてるだろ!」
「リクト――君は――まだ、そんなことを――」
アムレータと同様、リクトも大粒の涙を零していた。
リクトのその叫びもまた懇願だった。
人類文明を滅ぼし、家族を、友人を、百億を超える生命を地上から消し去った目の前の少年に対して、リクトはそれでも立ち上がるように、前を向いて生きることを願った。
それはもはや常人の測りを越えた、狂気すら帯びた祈りだった。
もううんざりだ。
もう、誰一人として消えて欲しくない。
もう誰も苦しんで欲しくない。
アムレータの闇がリクトと出会ったことでその深さと濃度を増したのと同様、リクトが本来持っていた小さな光もまた、アムレータの闇によってどこまでも強く――今となっては直視することすら難しいほどの輝きを放っていた。
お互いの持つ色は双方をより一層強く、その輪郭を明確にさせ合いながらも、決して交わることはない。
光と闇。二体の竜とその竜に選ばれた二人の少年の戦いは終わらない。
凄まじい衝撃と閃光を天上に幾度も輝かせ、激突し、反発する。
そして、そのはるか眼下では――。
「さあ――! 行くわよみんな!」
山脈にすら匹敵する、もはやその巨大さを比べるものすらこの世界に存在しない二体の超巨神――エクスリューンとデウスエスカ。
双方の一歩は直径数キロにも及ぶ長大なクレーターを大地に穿ち、大陸全土へと響き渡る大地震を引き起こす。
天に浮かぶ白雲はその全てが消滅し、周囲を飛ぶ鳥は巻き起こる乱気流に抗えずに消えていく。
「見える――! いつもと同じ――みんな、私と一緒にここにいる!」
紫色の炎が灯るリーンの瞳に、眼前に立ち塞がる超巨神――デウスエスカの軌道が無数に浮かび上がる。
それはいつもと同じ。今までとなにも変わることのない、リーンだけが見ることを許された領域――。
「右腕装填! 射角マイナス17! 出力100%で打撃用意!」
今、彼女が発したその号令に応える者はいない。
だが彼女にははっきりと聞こえていた。
自分の言葉に応える仲間の声が。
ずっと一緒に戦ってきた皆の声が――。
「右脚前進! 北西の方角に距離500! デウスエスカの左腕攻撃を想定! 着弾は60秒後と予測!」
かつて、この星に存在するあらゆる文明を滅ぼし、全土を荒野へと変貌させた破滅の巨神。
リーンが発した号令に呼応して、エクスリューンが重苦しい咆哮と共にデウスエスカめがけてその長大な右腕を引き絞る。
「左腕装填! 射角30! 出力60%! 打撃開始! 着弾まで50秒!」
――その時、リーンには全てが見えていた。
今まで戦ってきたどの戦いよりも遠く、深く、遙か彼方まで――。
エクスリューンの小山にも匹敵する超質量の拳が、ゆっくりと、しかし確実にデウスエスカの脇腹へと突き刺さった。
同時に放たれていたデウスエスカの左拳は、すでに踏み出されていたエクスリューンの一歩によって虚しく空を切る。
必要最小限の力で放たれたデウスエスカへの一撃は、見事その頭部を半壊させ、デウスエスカの動きに遅滞をもたらす。
「右脚後退! 南西の方角に距離600! 続けて左脚第二動作確保! 左脚前進! 第一動作完了後50秒で北東に距離800!」
動作を開始して、それが到達するまでに一分近くも要する巨体同士の戦い。それをリーンは時間に換算して10分以上先の事象すら読み切り、予測してみせた。
「右腕装填! 標的はデウスエスカ! 射角0! 出力120%! 左脚前進完了と同時に打撃開始!」
輝きを増すホールの中、響き渡るリーンの声。
エルも、ソラスの兵士たちも、そこに居合わせた誰もが、ただ静かに彼女を見守ることしか出来ない。
だが、そこにいる全ての人々にはわかっていた。
この攻城戦におけるリーンの勝利を。
普段と何も変わらず、自分たちの女王はこの戦いにも勝利することを。
岩盤すら打ち砕き、無数のクレーターを生み出しながら行われる超弩級の肉弾戦。だがその推移はあまりにも一方的だった。
「右腕射出開始! 予測修正率0%!」
デウスエスカの繰り出す拳はその全てが空を切り、ただ虚しく真空の断層を生み出すだけに留まった。
「デウスエスカ、大破――戦闘続行、不能――!」
紫色の粒子を纏い、その双眸に炎を灯したリーンが、最後の戦いの終結を告げる――。
踏み込みと同時に力強く放たれたエクスリューンの右拳が、デウスエスカの胸部へと――その先に存在する全ての元凶となったメインシステムにゆっくりと穿たれ、全てを散り散りに圧砕。
大気全てを震わせる断末魔を上げ、破滅の巨神デウスエスカは今、その全ての機能を完全に停止して沈黙した――。
「あれ――?」
その遙か上空――。
漆黒の竜を駆り、未だ戦いを続けるアムレータはその異変に気づく。
ミーティアの眼孔から光が消え、禍々しくその全身を覆っていた緋色のラインが消滅する。
アムレータは自らの掌を見た。
その褐色の肌が薄くぼんやりと輝き、透けて、崩れていく――。
「まさか……デウスエスカが……?」
先ほどまで軽々と音すら置き去りにする機動を見せ、無限とも言えるエネルギーを縦横に操った漆黒の竜が、色を失い、砕けた石灰岩のようにひび割れてゆっくりと落下軌道へと入る。
それを見るラティは既にその剣を収めていた。
落下するミーティアを助け起こそうと、純銀の粒子と共に飛翔する。
崩壊するミーティアの外殻。
アムレータが座る胸部も砂のように崩れ去り、驚きに目を見開く褐色の少年が、虚空を見つめて堕ちていく――。
「アムレータ! 手をこっちに伸ばして!」
「りく……と……?」
リクトはラティを落下するアムレータへと近づけ、胸部外殻を開いて生身を晒し、その手を限界まで伸ばしてアムレータをラティ内部へ誘導しようとする。
システムの加護を完全に失い、脆くなったアムレータの身体構造をラティで直接掴むことはもはや出来なかった。
それでもラティの内部なら、リクトの行使できる力でアムレータを生き長らえさせる事ができたかもしれない。しかし――。
ああ――そうか――僕は――。
アムレータは伸ばされたリクトの手をその蒼い瞳でじっと見つめ、一度は伸ばし、そして――結局その手を握ることは無かった――。
君に会ったあのときに――もう、救われていたんだ――。
身を乗り出したリクトが、自らに向かって必死に叫んでいた。
アムレータには、その姿がなによりも眩しく、美しく見えていた。
やがてその姿は遠ざかり、アムレータの意識は闇の中に消えた――。
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