第8話  辺境伯と魔女(1)

 目的の場所は、屋敷の北側の庭の先だ。私の足元では、小さなハート形の葉が特徴の鏡草カガミソウが我が物顔で石畳の間からその葉を覗かしている。


―― あまり手入れもされていないな。


 庭の先へ通じる小さな門扉を開けた。目の前に月紫葛ツクシカズラで作られた迷路のような生垣が広がる。何重にも生垣が重なり合い、出口がどこにあるのかわからない。伸び放題の月紫葛がさらに道さえも分からなくしている。


 生垣を見ていると、思い出が心をぎゅっと摑まえる。


 ここは、小さな私にとって大切な大切な遊び場。生垣は私を大人たちから隠してくれたし、自由を満喫できる唯一の場所だった。そう、父上に見つかるまでは。



 あの時、……、いつものように月紫葛の下をくぐって遊んでいると、目の前に大きな靴が見えた。気まずい気持ちで起き上がると、そこに立っていたのは鬼のように怖い顔をした父上とウォルターだった。言い訳をする時間もなく、いきなり父上に殴られたことを覚えている。それから先は覚えていなくて、気づいたときには、頭は包帯でぐるぐる巻き、ぐらぐらと抜けそうになっていた前歯がなくなり、ベッドの上で3日がたっていた。


 それ以来、ここには来ていない。来ようとすると足が竦んで動けなくなった。父上に明らかに避けられていると知ったのもこのころからだ。母上の子どもだし、私は父上の望むような子どもではない。ギルバートと仲良く中庭で剣を振るっているのを見つける度、心がちりちりと痛んだことを思いだした。



 ―― あの時以来か……。


 思ったほど、怖くないものだと自分の心の変化に少し驚く。絶対に近づけないと思っていたのに、今は好奇心の方が勝っている。サクサクサクっと生垣に沿って歩く。不思議なもので、月紫葛が通せんぼをしたり、よけたりする。この生垣自体になにか魔法がかかっているのかもしれない。そんなことを考えながら歩いていると、不意に視界が開けた。


 目の前には、両脇に黒龍草コクリュウソウが植えられた石畳の道があった。小さなピンク色の花が咲いていて風に揺られている。そしてその石畳の先には、月紫葛とツタが絡みついている円錐形の小さな塔があった。


 ―― こんなところに、塔があるなんて知らなった。


 塔の前に着いたが、入り口らしきものは見つからない。この塔は赤茶けた石材が積み重ねて作られている。入口を探して、ゆっくりと塔のまわりを歩く。絡まっている蔦の陰に、不自然に木彫りの小鳥が十羽ほど置かれている場所があった。その中の一羽の目の部分に、あの青い魔石と同じ色の魔石が埋め込まれている。

 私は、注意深くその周辺の蔦をどかす。ヘンリッシュの葉を重ね合わせたような形をした鍵穴を見つける。鍵穴のまわりの意匠は、ウォルターに代理の印章だと渡された印章に似ているような気がする。さらに複雑な意匠になっていて、別の植物―細く尖った葉、小さく尖った五弁の花びら、これはきっと黒龍草に違いない―も描かれている。小さな実の部分にあの青い魔石が埋め込まれている。


 ポケットに入れておいた鍵を鍵穴に差し込んで回すと、カチリと音がして、蔦が動き出し入口が現れた。私は吸い込まれるように、中に入った。中は、白い壁に覆われていて、光が反射している。


―― まぶしい。


 思わず目を細める。


「誰じゃ?」


 可愛らしい鈴のような声が響いた。私は目を細めながら声の主を探す。真っ白な何もない空間。目が慣れない。私は何度も瞬きを繰り返した。


「誰じゃ?」


 声は後ろから聞こえていた。私は慌てて振り返る。思わず、袖に隠していた短剣に手をかける。


 そこには、腰まである銀色の髪、透き通るような白い肌、あの青い魔石のような青い目、……人形かと思うような華奢な少女が立っていた。袖のない白いワンピースをストンと着ていて、足は裸足だ。


 足音もせず、気配もわからなかった。


―― なにものだ?


 私が声をかける前に、少女が口を開いた。


「おぬしは?」

「ジュリアン」

「何用で来た? グレンはどうした?」

「グレンは私の父です。先日、魔物に襲われて亡くなりました」

「そうか、魔物にのぅ……」


 その少女は、顎に手をあててしばらくの間黙っていた。私は少女を観察した。外見はどうみても10歳くらいにしか見えない。しかし、佇まいも話し方も、幼子のそれとは全く異なっていた。


―― 父上を呼び捨てするとは、本当になにものだ? 


 私は眉をひそめながら、少女を見た。人形に己の魂を閉じ込めた魔女と言われても納得しそうな雰囲気がある。妖精だと言われても、悪魔だと言われても、同じように納得するだろう。それほどの不可思議な感じがする。私は全身で警戒する。


 そんな私の警戒を無視して、少女は「ふむ」と頷くとおもむろに手を差し出した。期待に満ちたように目でこちらを見ている。その目や態度は幼子のおねだりそのままだ。わけがわからない。


「……」


 私は、何か少女の言葉を聞き逃してしまったのか? 


「グレンは死んだのだろ?」


 少女は少し苛ついたように眉をぴくりを動かすと、手をもう一度差し出し直した。そして、床を足でだんだんと踏み鳴らす。


「申し訳ありません。話が見えないのですが……」


 少女は、やれやれと明らかに馬鹿にしたような態度をとった。


「魔石じゃ。魔石。グレンなら、赤い魔石になったじゃろ? 我はそれを所望する」

「赤い魔石?」

「そうじゃ。盟約に従い、我にはそれを所望する権利がある」

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