第9話  辺境伯と魔女(2)


 父上の赤い魔石はギルバートにあげたから、手元にない。それに、そもそもこの少女に渡す理由がわからない。


 ―― 困った。父上は何を約束したのだろう? どう切り抜けたらいい? 


 言葉につまって視線を泳がせていると、少女はがっくり肩を落しそのまま床に手をついた。


 ―― え?


 まじまじと少女の丸まっている背中を見る。ポトリと涙が床に落ちた。

「……持ってこなかった、…、持ってこなかった……」と言いながら、少女は床にぐるぐる円を指で描いていじけ始めた。落胆の様子がひしひしと伝わってくる。プレゼントがもらえると思って飛んできたのに、それがぬか喜びだったと知った子どものようだ。ぐずっと鼻をすする音まで聞こえてきた。


 ―― 泣かせてしまった。これじゃあ、私が完全に悪者だな。


 小さな子どもを泣かせたという罪悪感が私を襲う。私は慌てて短剣から手を離すと、片足をついて屈んだ。そして、そっと少女の手を取って立たせた。ひんやりとした小さな細い手。

 青い目にいっぱいにためた涙を人差し指でそっとぬぐう。少女の目線に合わせ、胸に手を置いて少し頭を下げて謝罪の態度をとる。


「すまない。ここにくるのに必要なものだとは知らなかったのです」

「ならば、いつじゃ? いつ持ってくる?」


 潤んだ目をパシパシさせ、期待を込めた顔つきで私を見てくる。ここで、人にあげてしまったと言ったら、せっかく止まった涙がまた溢れてしまいそうだ。私は少女の目をじっとみると、ゆっくりと言葉を探した。


「……、少し時間をくれませんか?」

「……」


 探るように私の目を見てくる。耐えきれず、思わず目をそらしてしまった。


「おぬし、……もしかして、誰かにあげてしまった……とか?」


 眉を寄せて、私の顔をじいっと覗き込んだ。


 ―― まずい。


「そ、それは……」

「それは?」


 さらに、ぐっと私に近寄ってくる。もう、逃げられない。こうなったら、正直に話した方がいい。


「父の魔法の威力からすると、魔石の大きさが大きすぎるのではないかと義弟が言いだしたのです。それで、気が済むまで調べればいいと渡してしまいました。調べ終わったら、持ってきます。しかし、どうして、貴女が父の魔石を受け取る権利があるのですか?」

「ふん。そのようなこと。契約したからに決まっておるじゃろ」


 わかりきったことをどうして聞くのか、という態度をあからさまにする。ほんのり桃色の頬がぷうっと膨らむ。そんな顔をされてもわからないものはわからない。私は、眉を下げてあいまいな顔をするしかなかった。


「もしかして、本当になんも知らんのか?」


 私は寂しい笑顔をはりつかせて小さく頷く。


「はい……」

「まったく、グレンのやつ、……わざとだな」


 私から視線をはずすと腰に手をあてて、唇を尖らせた。


「ぬう……」


 少女は顎に片手をあててしばらく考え込むような仕草をしていたけれど、「はぁぁ」と大きくため息をついた。気を取り直すように、首をふって私を見た。


「グレンが作っていたものはなんじゃ?」


 今度は幼子を言い聞かせるような優しい声色だ。これでは、まるで私の方が幼子だ。私は考え込む。


 父上は、三年前の冬、『水を浄化する魔術具』と『水を生み出す魔術具』の二つを発明した。


 この国を北から南に流れているノーム川の水は、そのまま飲むと魔力枯渇症を発症することが多い。神殿は、ノーム川は穢れていて、穢れを祓うには神殿の力が必要だと説いている。そこで、人々は、神殿から『神の加護』によって浄化されたという水を買わざるを得ない生活を送ってきた。

 それに異を唱えたのは父上と現王だ。

 父上は、魔力枯渇症の原因となる物質――ラピスニウム――をノーム川の水の中から発見し、『水を浄化する魔術具』を発明した。けれども、政治的にいろいろ問題があるため『水を浄化する魔術具』は公表されず、王家とランパデウム領だけで使われている。


 一方、『水を生み出す魔術具』については大々的に公表し、現王から画期的な発明として発明賞をもらった。そして、ランパデウム領は、『水を生み出す魔術具』を埋め込んだ容器を売り出した。『魔水筒』と呼ばれるそれは、水魔法も魔力も必要としないで水を生み出せる。誰でも『ウォルム』と唱えれば、5回は魔水筒に水が満タンになる仕組みになっている。金貨50枚とかなり高額にもかかわらず、水魔法を使えない冒険者には憧れの商品だ。


 それをこの少女にどこまで話すべきなのだろう。私は少女の目を覗き込みながら、答えを慎重に探す。


「水を……水に……関する魔術具です」


 わたしの答えを聞いて少女が頷いた。私はほっと胸を撫でおろす。


「それじゃよ。『浄化』と『作成』に使う魔石を我が作る。その対価としてグレンは己の魔力を我に渡す。そういう契約じゃよ」

「??」

「だからな、魔石を持ってこぬ限り、魔石作りはせん。そう……」

「ま、待ってください。話が全然理解できないのですが……」


 私は、少女の言葉を遮った。


「なんじゃ?」


 言葉を遮られて鼻をならして眉を顰めた。


「……あの、貴女が魔術具に使う魔石を作っていたのですか?」

「うむ」

「どうやって? 魔石は作るものではないと思うのですが……」


 魔石は、魔力を持ったもの――父上のような魔力保持者か魔物――が死んだ時に体内にあった魔力が固まったものだ。魔石を作るということは、どういうことだろうか。どこからか取ってくるのだろうか? 確か、父上の魔術具に使う魔石の成分開示はされていない。この少女は、魔石の成分を知っているということはどういうことか? 


「どうやって、と聞かれてもな……。ここに入ってきたのだから、おぬしはランパデウムの守り人もりびとじゃろ?」

「ランパデウムの守り人?」

「はぁ。まったく、今回の守り人は何も知らぬときたか……」


 少女はやれやれというふうに首をふった。


「この塔のことも、貴女と父の契約のことも、何もかも初めて知りました。どうか教えてください」

「なんでも聞けば答えが返ってくると思うなど、まるで子どもだな。ならば対価が必要じゃぞ。それでも聞くのか?」


 少女はその外見に似合わない意地悪い笑みで私を見た。天色の目がきらりと光った。

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