第二部 

第21話 夜明け

 塔から出ると、そこは塔に通じる門扉の前だった。振り返ると、生垣から月紫葛ツクシカズラの青々しい香りをこぼしながら葉を広げているのがわかる。私はすぅっとその香りを胸いっぱいに吸い込む。

 ふと、見上げた空では、まだ漆黒のドレスをまとった宵の女神と緋色のドレスをまとった明けの女神が優雅に戯れていた。お互いのドレスが混ざり合い、空は紺とも紫とも桃ともいえる色を呈している。薄明とよばれる空は、その色合いを一瞬たりともとどめることを知らない。太陽の水先案内人ともよばれる明け星が東の空にひときわ大きく赤く輝いている。昨日とは違う空気を肌で感じる。心の中の澱が浄化されるような気持ちにさえなる。


 ―― 夜が明けたのか……。


 私は大きく息を吸って、門扉を開けた。すると、そこには、ウォルターに腕を掴まれた見覚えのない顔の青年とウォルターが立っていた。青年は、司祭の服と杖を持っているし、黒髪。そんな人物を私は一人しか知らない。


―― 司祭ルシュディール?


 青年は、頑なに私の方を見ようともしない。ウォルターに小声で何かを囁かれて、私に聞こえるようにわざとチッと舌打ちをした。あからさまな態度の理由がわからず、私は視線をさまよわせた。三人の中に気まずい空気が流れる。ふうっと長いため息をついて一番初めに口を開いたのはウォルターだった。


「ギルバート様が戻ってきました」

「…… 早いな」

「夜通し馬を走らせたそうです。執務室でお待ちです」

「わかった」

「……」

「そうだ! ウォルター、魔石だ」


  私はポケットからディアドーネが作った魔石を取り出して、ウォルターに渡した。ハンカチの中身を確認したウォルターの目が一瞬大きくなる。私は誇らしい気持ちもあって少しだけ胸を張る。


「これは? ジュリアン様の魔力を渡したのですか?」

「いや、ザックがつくったタルトが対価だそうだ」

「タルトが?」

「ああ。お菓子がこんなおいしいものだとは知らなかったと言って、嬉しそうにしていた」

「?」

「今度は、大きなタルトを持っていく約束をしている」


 ディアドーネのタルトをほおばった時の顔を思い出して顔がほころんだ。突然、そっぽを向いていたルシュディールの笑い声をたてた。私はびっくりしてルシュディールを見る。


「ぶわっはっはっはっはっは……。あの魔女が菓子とはね……」


 ウォルターが、「ルシュディール」と冷たい声でたしなめる。


「ならばボクの必要なしだ。自分大好きおこちゃまの相手はウォルターに任せる。菓子を対価にままごとをすればいい」


 ルシュディールがひどく馬鹿にしたような顔をして私を見た。私はその言葉にいらっとして、つい言葉を口にした。


「司祭ルシュディール。聞き捨てならない。自分大好きおこちゃまとは……無礼ではないか。いったい、なにが言いたい?」

「はぁ? わからない? 馬鹿だな、お前」


 ウォルターの手を乱暴に払うと、ルシュディールは自分の袖をはたいた。手にしていた杖を私に向ける。


「ウォルターはお前がいなくなってから、ずっとここにいてお前を待っていた。お前のことを心配してな。しかし、お前は感謝の言葉もねぎらいの言葉もなしだ!」

「そ、それは……」

「それなのに、あの魔女から魔石を手に入れたことを自慢して……」

「そ、それは……」

「お前は、自分勝手なおこちゃまだ。女のくせに、あてつけのように男の恰好をして、グレン様を困らせて! どれだけグレン様が悩んでいたか知らないだろう!」

「……!!」

「それなのに、自分だけ悲劇の主人公よろしく嘆いて……」

「ルシュディール!!」


 ウォルターがめずらしく声を荒げた。ルシュディールは、チっと舌打ちをすると踵を返して足早に立ち去っていく。私は呼び止めることもできず、ルシュディールの薄紫色の司祭服の背中を見るしかなかった。


 ぎりっと歯ぎしりをする。


 自分自身変わろうと思って塔からでてきたけれど、人の評価は簡単には変わらない。


 ―― 何も変わらないのか……。いや、変わらないと嘆くより、変えようと努力をすることが大切だ。


 自分の気持ち次第で未来は変えることができるとディアドーネは言った。今は、それを信じて、前に進むしかない。


 ルシュディールは私のことを嫌っている。それはさっきの態度で痛いほどわかった。でも、私には彼が必要だ。塔のことも、父上のことも、一番知っているのはルシュディールに違いないから。


「……ルシュディールの無礼を許してください」


 私が黙っていたから、怒っていると思ったのだろう。ウォルターが声をかけてきた。


「いいや。司祭ルシュディールは間違っていない。確かに、私は今まで自分の不遇をなげいて、そこから逃れたいとそればかり考えていた。父上のこともルチアに言われるまで全く気がつかなかった。もっとちゃんと話せばよかったと、後悔をしている。しかし、後悔しても何も始まらない。それもわかった。

 だから、自分自身を変えようと決心してきたのに、……だめだな。まだまだだ。ウォルター、心配をかけた。すまなかった……。そして、ありがとう」

「謝罪と感謝はルチアに。目の前でジュリアン様が消えて動揺して取り乱していましたから……」

「そうだな。ルチアにもちゃんと謝らなくてはいけないな……」


 私はウォルターを並んで朝靄が立ち込める庭を歩き始めた。



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