第14話 辺境伯と父の背中(3)
「これは、新しい商会の出入り許可願い?」
私は手に取った書類をウォルターに見せる。ウォルターが小さく頷く。
「それは、屋敷へのメル商会の出入り許可願いです。メル商会については今まで取引のあったゴッテン商会の紹介もあり、調べたところ問題なしと判断しました」
「新規に商会をいれる理由は? 」
「メル商会は王都で最近、起業した商会です。王立学院にも出入りしていると聞いていますが、ご存じでは?」
「メル商会……、メル……、メル……、思いだした! 治癒に効果がある新しい薬草を発見した商会だ」
「そのメル商会です。今回、ランパデウム領内でも取引したいとの申し出があり、検討をしてきました。新しく見つけられた薬草『ブルーセリビア』の効能は従来『セリビア』と比べて五倍の治癒効果が認められたとネフルドが申しておりました」
セリビアは、傷を負った時に使う薬草だ。痛みを和らげて治りを早くする。その効果が五倍と言われてもピンとこないけれど、医師長でもあるネフルドの言うことだから問題ない。
「そう……」
私は、代理の印章を押すと左上にサインを書きいれた。黙って、ウォルターがサインの入った書類を確認する。小さく頷くと、決裁済みの書類箱に入れた。後は繰り返しだった。ウォルターに概要を聞く。いくつか質問して印章を押す。20枚近くの決裁書類に代理の印章を押しサインしただろうか。やっと、書類がなくなった。私はペンを置くと、ふぅっと息を吐いた。ウォルターが印泥の器の蓋を閉じながら、さりげなく切り出した。
「……それから、今月は、王城から、『水を浄化する魔術具』の魔石の交換を依頼されています。書類はありませんが、魔石の用意をお願いします」
ウォルターの言葉にどきっと心臓が跳ね上がる。ディアドーネの『魔石を持ってこぬ限り、魔石作りはせん』と言った言葉が頭に浮かぶ。内心ひやひやしながら、目を泳がせて、室内を見渡す。誰も助けてはくれない。……ディアドーネの話によれば、ウォルターは塔に出入りしていた。ここは、素直に話した方がいい。
「……実は、ディアドーネに父上の形見の赤い魔石を渡せなかった」
「ディアドーネ? ああ、あのあざとい魔女のことですね? しかし、何故渡せなかったのですか?」
いつになく、ウォルターの声が低い。私は、汗ばむ手を握ったり開いたりした。それは、長い時間のような気がしたけれど、わずかな時間だったかもしれない。
私は、ごくりと唾を飲み込んで、「持っていないんだ」と小さな声で答えた。
「はい?」
珍しくウォルターが声をあげた。私は驚いてウォルターを見る。もう、その時にはウォルターは無表情に戻っていた。
「ギルバートに……渡した」
「理由をお聞きしても?」
「ギルバートが、父上の形見の赤い魔石に父上の想いが残っていると言われた。もし、魔石に魂が残っているなら、嫌っていた私より信頼していたギルバートと一緒にいる方が父上にとってもいいと思った」
「……ジュリアン様は、魔石に触らなかったのですか?」
私は力なく首をふった。嫌われていたんだ。怖くて触れなかった。でも、そんなことは言えない。私は唇を噛みしめる。
ウォルターは非難するわけでもなく目を伏せて黙っている。ウォルターの沈黙が、思慮が足りなかったと私を責めているようだ。
「……ギルバートに返してくれと頼んでくる」
私は席から立ちあがった。サインをするために使っていたペンがコロコロっと転がっていく。小さな音を立てて床に落ちる。ウォルターが黙ってしゃがむとペンを拾い、机の上に置いた。焦る私とは対照的だった。
「残念ながら、ギルバート様は夕方に王立学院へ戻るため出発なさいました。日が暮れる前にロッカ村に着きたいとのことです」
「!」
へなへなっと力が抜けて、私は椅子に座ってしまった。こめかみを押える。
「……今から馬で追いかけても駄目だろうか?」
「もう、無理かと」
「そう……。では、ギルバートに連絡をとる。ギルバートの伝書鳥はある?」
「今、ご用意します」
ウォルターが礼をして、机から離れて私の後ろにある本棚の方へ歩きだした。
ギルバートに帰ってくるように連絡をとって……、と考えていたが、なにかの拍子に耳のピアスに手があたった。それが引き金になって、この部屋でのギルバートの行動が頭に浮かぶ。
ギルバートは慌ててここへ来たのに、魔力が漏れないように細工がされてある巾着を持っていた。
―― このピアスを対価に父上の形見の赤い魔石を手に入れようと考えていたのなら、帰ってきても素直に返してくれるだろうか?
―― ギルバートは辺境伯に興味はないと言っていたが、もし、ソフィアにギルバートが父上の形見の赤い魔石を持っていることを知られたら?
私は、自分の疑問に答えられなかった。となると、ギルバートに連絡するだけでは駄目だ。私自身に出来ることを考えなくてはいけない。
「……、魔石は父上のものではないと駄目なもの?」
私は、後ろに向き直り、ウォルターの方に顔をあげた。ウォルターは私を見降ろす形になる。
「いえ。そんなことは……」
「ウォルター、『ルート パラデーノ』ってどんな魔法か知っている?」
ウォルターの目が一瞬大きくなった。
「それをどこで?」
「ディアドーネが教えてくれた。私の魔力を魔石に変えれば、『水を浄化する魔術具』の魔石をディアドーネに作ってもらえるのでは?」
ウォルターが銀色の眼鏡の縁を触って眼鏡を僅かに動かした。眼鏡を触るのはウォルターの癖らしい。
「あの狡猾な魔女のこと、ジュリアン様の魔力を手に入れられると知ったら嬉々として作るでしょう。しかし、王家から依頼にはまだ時間があります。ギルバート様に連絡して、もどってきてからでも間に合うかと」
「ディアドーネが狡猾? そうは見えなかったが……」
私は小さく首を振った。ディアドーネと父上やウォルターの関係はわたしとディアドーネとは違うのだろう。
「ギルバートには連絡をとろう。そして、ウォルターの知っている限りでいいから、『ルート パラデーノ』について教えて欲しい」
「申し訳ございません。私は魔法を使うことが出来ません。魔法については、ルシュディールにお聞きください。明日、ここへ来るようにルシュディールに伝えましょう」
「ルシュディール?」
ここで、ルシュディールの名前を聞くとは思わなかった。確かに、塔にはウォルターとルシュディールがついてきたとディアドーネは言っていた。
「最近、司祭になったものです。ジュリアン様はご存じないのですか?」
「顔と名前だけは知っている。背の高い黒い髪の若い司祭だったはず。 母上が父上の形見の箱を預かったのもルシュディールからだと聞いている」
「はい。……グレン様の最期の祈りもルシュディールが一人で行いました」
「そうか……一人で……」
ウォルターの眉が微かに動いたように見えた。きっと、父上のことを考えているに違いない。
父上の最期を看取ったのは、母上達でもウォルターでもなく、ルシュディールだけだったんだ。私とギルバートは王立学院にいて間に合わなかったから、父上の最期を知らない。
ウォルターが、静かに私から目をそらして、本棚にむかう。そして、青い小さな鳥の形をした魔術具を手に取ると黄色い小さな魔石とともに机の上に置いた。青い小さな鳥は、ギルバートが私に作ってくれた色と同じ色。父上にも同じものをあげていたんだ。ギルバートが、あげる人によって色を変えると思っていたから、ちょっとだけ驚いた。
『ギル、カエッテキテ。ハナシガアル』
私は黄色い魔石に言葉を吹き込む。黄色い魔石がぼおっと淡く星花のように光った。うまく吹き込めたことがうれしくて、少しだけ笑みを浮かべる。
『ルート・フライト』
呪文を唱えると、伝書鳥を窓から離した。ぱたぱたぱたっと、青い小さな鳥がきらきら光りながら闇の中に飛んでいく。どうか、ギルバートまで届くように、そう祈りながら青い小さな鳥を眺めていた。
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