第13話 辺境伯と父の背中(2)
「武具購入費の大幅な増額はわかった。では、魔術具研究費の削減理由は?」
「予算は全体の額が決まっていますから、どこかを増やせばどこかを減らさなくてはいけません」
「それならば、他の……例えば、母上や第二夫人にかかる費用を見直せばよいのでは? あれはかなり無駄だと思う」
あの二人のドレスやアクセサリーにかかっているお金はこの領内では不必要。それよりも魔術具研究費の方がこの辺境には必要。ならば削減しなくてはいけないのならば、彼女たちの贅沢代に決まっている。
「ジュリアン様はエリーゼ様とソフィア様に、減額すると言うのですか?」
正論だと思った私の言葉に対して、ウォルターは冷ややかだ。間違ったことを言っていないはずなのに、冷や汗が出るような気がしてきた。
「しかし、予算は決まっていて……」
思わず、しどろもどろになる。
「その金額は、グレン様とエリーゼ様とソフィア様と議会の間でお互いに譲歩して決めた金額です」
「……」
「それを覆すには、理由がいります。ジュリアン様には、エリーゼ様とソフィア様が納得できるような理由がおありでしょうか?」
「……母上たちの贅沢に使うよりは研究に使う方がいい」
ウォルターが小さなため息をつく。まるで出来の悪い生徒の勉強を見ている家庭教師のような態度だ。私は視線を下に落として、唇を噛んだ。
「……そうですか。では、エリーゼ様達のドレスが一着どのくらいするかご存じですか?」
不意に、ドレスの値段を聞かれて、私は顔をあげた。
「あ? いや……知らない」
「では、今、ジュリアン様が着ている服については?」
自分の服を見る。私は、今着ているこの服の値段すら知らないことに気づく。途方にくれた顔をしているに違いない。
「その予算で買えるエリーゼ様のドレスは年間3着です。この3着は、新年の祝いの席、建国祭に開かれる舞踏会、月紫葛の祭り用です」
「え? 母上のところには毎月のように商会が出入りしているはず……」
「あれは、ご自分の私財で購入されています。中には、献上品や賄賂もありますが、そこまでは追及するなとグレン様に強く言われておりました。しかし、グレン様が甘やかすものだから…………コホン、話がそれました。ジュリアン様が衣装代の減額を議会に命令するのは簡単です。いかがいたしますか?」
母上たちが自分のお金で贅沢をしているとは知らなかった。物事のうわべだけみてはいけない。自分がいう言葉には気をつけよう。硬く心に誓う。
「いや、……母上の衣装代については知らないことばかりだ。今の私には母上たちを説得するだけの材料もない。議会に迷惑をかけるわけにもいかない。私の意見は聞かなかったことにしてほしい。ところで、魔術具研究費の削減理由は?」
「もう、必要ないからです」
「必要ない?」
「……グレン様はもういません……」
ウォルターが一瞬迷ったように目を泳がせると、小さく首をふった。さっきから、ウォルターは父上のことが絡むと話を途切れさせてしまう。それは、父上を失った悲しみのせいなのか、それとも私に言いたくないのか、それとも父上に嫌われていた私を憐れんでいるのか、氷のように冷たいウォルターの表情からは何もわからなかった。
「決裁印を押してください」
「……魔術具研究はギルバートが引き継ぐと思うけれど?」
私は、最後の抵抗のように呟いた。
「問題ありません」
そう言われてしまうと、もう反論は出来ない。私は、黙って、代理の印章を押すと左上にサインを書きいれた。ウォルターがサインの入った書類を確認する。小さく頷くと、決裁済みの書類箱に入れた。
「次をお願いします」
「次は、…… これは、人事異動の書類だな。父上が亡くなったから、父上についていた者たちの異動か。私の知らないものばかりだからウォルターに任せる」
そう言って、書類を斜め読みしていると、自分の知った名前の異動が載っている。
「…… 今の私の専属の護衛と侍女が母上のところに行くことになっている」
「ジュリアン様は、辺境伯です。エリーゼ様の息のかかったものを傍に置くわけにはいきません」
「ミーシャも母の息がかかっていた?」
ミーシャとは、小さな頃から私の面倒をよく見てくれた侍女だ。母上につらく当たられても、ミーシャが慰めてくれた。いつも守ってくれた。私をないがしろにはしなかった。それが、どうして?
その疑問をウォルターにぶつけようと、ウォルターの顔を見ると、眉を顰めている。ウォルターは私の言葉を無視して、銀色の眼鏡をつるをもって眼鏡の位置を直すと、書類を指さした。
「今後、護衛はメービスが、侍女はルチアが担当します」
「ルチア?」
「私の姪です。グレン様の下で働いておりました」
ミーシャを退けて、私の知らない侍女をつけるのは決定事項なのか。私の意見など聞いてくれないのは、母上もウォルターも同じなのかもしれない。あきらめにも似た気持ちで人事異動の書類を眺める。ウォルターはそれを了承ととったらしいく話題を変える。
「それから、新しい料理人が一昨日到着しました。ジュリアン様担当の料理人です」
「新しい料理人? 私の担当?」
「ジュリアン様は辺境伯です。食事は気をつけなければなりません。新しい料理人に夕食を作らせております。ご用意しても構いませんか?」
ウォルターの申し出に、目を瞬かせる。そう言えば、朝からほとんど食べずにいたことを思いだす。もう、夕食の時間をとっくに過ぎている。いろいろありすぎて気がつかなかった。
「デザートはブルーベリーと黒すぐりのタルトを用意させています」
「黒すぐり?」
黒すぐりと聞いて、思わず聞き返してしまった。黒すぐりは私の密かな好物の一つ。私の好物を用意しているとはどういうことだろう?
「どうなされますか?」
ウォルターが業務報告を読み上げるような抑揚のない口調で話した。ここで、『食べたい』と素直に言っていいものだろうか。悩んでいると、お腹がきゅうとなった。口が答えるよりも先にお腹が返事してしまった。
―― 恥ずかしい……
顔が火照る。私は、下を向いて「頼む」と言うしかできなかった。
ウォルターは何事もなかった顔をして踵を返すと、部屋の外のメービスに何かを頼んでいる。おそらく、食事の用意をするように言っているのだろう。メービスが嬉しそうに頷いている。
戻ってくると、再び机の前に立った。
「では、人事に関する書類についても決裁印を押してください」
私は、黙って、代理の印章を押すと左上にサインを書きいれた。ウォルターがサインの入った書類を確認する。小さく頷くと、決裁済みの書類箱に入れた
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