第12話 辺境伯と父の背中(1)

 父上のこと、ディアドーネのこと、塔のこと、あれこれ悩みながら歩く。わからないことばかりで、頭の中が真っ白になりそうだ。はぁと大きくため息をつく。

 執務室の扉が見える角をまがると、メービスが走り寄ってきた。私の前に立つと腰に手をあてて顔がむうっと怒っている。


「ジュリアン様! 中庭まで探しにいたのに、いなかったじゃないですか!!」


 理由も聞かずに非難するメービスの言葉に無性に腹が立った。今までうんざりするほど文句を言われてきた。母上や母上の息のかかった侍女や護衛。毎日、文句を言われないことはなかった。やっと母上から解放されて自由を手に入れたのだ。文句ならもう十分だ。メービスから視線を逸らすとそっと耳のピアスに手をあてた。


「も! 心配したんですから! 今まではエリーゼ様に阻まれてジュリアン様に近寄れず、遠くから見るしか出来なかった俺の気持ちを察してくださいよ。

 やっと、ジュリアン様がこの部屋に来て、エリーゼ様の息のかかった奴らを排除することが出来た時の俺の喜び!! 俺がどれだけ喜んだか、この胸の内を見せたい!!


 それなのに、ジュリアン様はどこかへ行ってしまうし、…… もしも、ジュリアン様に何かあったらと思うと心配で、心配で……。やっぱりついていけばよかったとどれだけ後悔したと思っているんですか! 


 ウォルターに聞いても知らぬの一点張りだし……」


 メービスがまくしたてるように何か言っているけれど、私の耳には届かない。意趣返ししたようですこし気分がよくなる。ギルバートの魔術具は役に立つと感心しながら、メービスの横を通り過ぎた時だった。


「…………でも、よかったぁ。ちゃんと戻ってきてくれたぁ……」


 すうっとメービスの手が伸びてきた。私は咄嗟にメービスの手を払いのけてメービスを睨みつけた。私は、数歩後ずさって、メービスとの間に距離を置く。


「何をする??」


 私は慌ててギルバートの魔術具を解除した。ただ文句を言っているだけだろうと思っていたけれど、手も出るタイプ? 私は警戒心をむき出しにしてメービスを見る。メービスは困ったような顔をして、両手をあげている。


「申し訳ありません。他意はありません。ただ、つい、嬉しくて…」


―― 新しく文句を言える相手が見つけることができたことがそんなに嬉しいのか?


 私は眉を顰めて、メービスを無視して部屋に入ろうとした。ピリピリした私の背中にメービスの声が当たる。


「……ウォルターからの伝言です。『決裁をお願いします』だそうです。……でも、ジュリアン様が辺境伯に決まったからって、そんな急に辺境伯の仕事をしろだなんてウォルターもひどい奴です! 俺が文句を言ってきましょうか?」

「その必要はない」


 私はメービスに振り返りもせず冷たく言うと、扉の中にはいった。









 ウォルターが置いていった書類を眺めながらあれこれ考えていると、規則正しい控えめな音と共にウォルターが入ってきた。


「ここ十年の帳簿をお持ちいたしました。……書類には目を通していただけましたか?」

「あ? いや、ああ、……いくつかは目を通したけれどわからないことだらけだ。ウォルターの意見を聞きながら決めていきたい」

「……ジュリアン様がそうおっしゃるのなら、そうしましょう」


 私は一番気になっていた書類を手に取る。ウォルターの目が僅かに光ったような気がしたが、ウォルターの気持ちを考えている余裕は私にはなかった。


 手にしたのは、大幅な予算の修正見直し案だ。魔術具研究費が七割削られ、武具購入費が三倍以上になっている。それも父上が死んでから申請書が出されている。


 今の国王は外交に力をいれているから、隣国との付き合いも上々。戦争の気配もない今、期の途中で武具購入費を増額する理由が見当たらない。それに、魔術具研究は父上が力を入れていた分野だ。だから、この見直し案は父上が死んだから、騎士団が執行部に圧力をかけてきたように見えた。


 ウォルターが過去の帳簿を机の上にひろげた。十年前、武具購入費と魔術具開発費の予算は同じだった。それが次の年から大幅に変わっている。確か、私が父上に殴られたのも、叔父上が亡くなられたのも、このころだったと苦い気持ちが湧き上がる。ぐっとお腹に力をいれて客観的に予算の数字だけを目で追う。


 武具購入費はここ十年ほとんど変わらない。この武具購入費額だと、模造剣が一万本買える。本物の剣や盾はどのくらいの金額がするのだろう? ふとそんな疑問が頭をよぎる。


 逆に、魔術具開発費は年々増えていき、今年の予算は十年前の十倍だ。父上はどんな魔術具を開発するために、これだけのお金を使ってきたのだろう? 確か、三年前の『水を浄化する魔術具』と『水を生み出す魔術具』以来、新しい魔術具の発表もない。発表できないものを研究していたのだろうか? いくら開発費には糸目をつけないとはいえ、少し高額な気もしてきた。


 何が正解なのかわからなくなり私は軽く首をふった。私が帳簿とウォルターの顔を見比べると、ウォルターが僅かに眉を顰めた。


「昨年は、魔の月を過ぎて風の月になっても魔物が領内に入ってきたのでかなりの討伐回数がありました」

「?」

 

 ウォルターが唐突に魔物のことを口にした。私はウォルターが何を言いたいのか考える。 


 魔の森に生息する魔物達は、森の周辺に植えられているヘンリッシュの効果か、別の理由からか、基本的には森から出てこない。けれど、魔の月だけは違う。魔物が森から出てきて、村を襲う。それが、去年は、魔の月を過ぎて風の月になっても、魔物が現れた。それも、今まで見たこともないほどに凶暴化した魔物が!


 私は、机の上に置かれている風の印が描かれた暦に目をうつす。風の月が始まって十日。父上も風の月だというのに、魔物に襲われた。今年も去年のように風の月にも魔物が現れているのか……。


 私が考えていることがわかったのか、ウォルターが小さく頷いた。


「今年も、おそらく風の月にも討伐に出ることになるでしょう。それに……」


 ウォルターの声が僅かに震える。ウォルターのほうを見ると、ウォルターがすっと目を逸らした。唇を僅かに動かし一瞬躊躇したように見えたけれど、次にウォルターから出てくる言葉は平坦な事務的なものだった。


「グレン様がいないので、騎士達には今まで以上に働いてもらわなくてはいけません」

「!!」


 ウォルターの言葉に私ははっとして目を大きくする。


 そうだった。父上は、圧倒的に強かった。魔法に頼らずに大剣一つで魔物に立ち向かうほど強かった。ウォルターの言葉で父上がいないことが騎士団にとってどれだけの損失なのか理解した。


 ―― 父上のような戦い方を出来るものは騎士団にはいない。


「……父上がいなくなった穴は、数で補うしかないな」


 私では、役不足のお荷物状態だ。父上の愛用の大剣を持ち上げる腕力さえない。大剣? 私は執務室を見渡す。葬儀の時も見かけなかった本来あるべきものがないことに気がついた。


「……父上の大剣は?」


 父上の大剣は、――私は魔力を纏わせたところをみたことはないが――、おそらく魔剣だ。


「『竜の火焔』は森に」

「『竜の火焔』?」

「グレン様の大剣の名前です。グレン様を襲ったレッドベアは腕に『竜の火焔』を刺したまま森へ逃げて行きました」

「それで?」

「グレン様の傷が深かったので、レッドベアを追うことはせず屋敷に戻ってきました」

「そうだったのか……。でも、何故、父上が……?」

「……珍しい植物を見つけたのです」


 ウォルターが顔をゆがめてきゅっと唇を強く噛んだのは一瞬だった。すぐに銀色の細い眼鏡の縁を持ち上げると、冷たく私に言った。


「それで、納得していただけましたか? 決裁印をお願いします」


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