第15話  辺境伯と侍女(1)

 コンコンと扉を叩く音がする。扉がひらくとふわっと食べ物のいい香りが部屋に入ってきた。窓の外を見ていた私が振り返ると、ワゴンのそばに一人の少女が立っている。灰色の髪、アーモンド色の目、うすピンクのワンピースと白いエプロン。私と目が合うと、少女はにっこりと笑って膝を落した。


「ジュリアン様、ルチアです。ルチア、自己紹介を」とウォルターが言う。


「ルチアでーす! よろしくです!」

「ルチア! 言葉遣い!!」


 ウォルターが、眉を顰めてぴしゃりと言う。ルチアは、頬を少し膨らませて、ウォルターを見た。


「えー、おじさま、いいじゃん?」

「だめだ。仮にもお前はジュリアン様専属の侍女だ」


 確かに、侍女の言葉遣いとしては、問題ありだ。でも、私にもウォルターにも媚びない。まっすぐと見てくるその態度は逆に新鮮だった。


「大丈夫! 私ってやるときはやれる出来る子だから!!」

「じゃあ、今ちゃんとしろ!」


 ウォルターの目がいつになく、吊り上がっている。けれど、ルチアと呼ばれた少女はどこ吹く風だ。ウォルターの氷のような視線に耐えられるなんて、ある意味鋼の心の持ち主かもしれない。私が内心感心していると、ルチアの言動にはもっと驚かされた。


「それより、食事の支度をしたいから、机の上の邪魔なものをどかしてくんない?」

「邪魔?!」


 ウォルターの声を無視して、ルチアが机にある箱を掴むとぽいっとテーブルに移動させる。その大胆な行動を見てウォルターが慌てて机に近寄り、ぐちゃぐちゃにされたらかなわないとばかりに、大急ぎで大事な書類や印章を片付け始めた。さっきまでの底冷えするようなウォルターの態度とは大違いだ。ウォルターのあまりの変わりように言葉がでない。


 机の上のものがなくなると、ルチアは机を拭いて水色のクロスを机にかけた。裾の部分に刺繍がしてあるだけのクロスだけど、一気に机が華やかになる。ルチアがそっと机の上に花を飾る。黒龍草の花だ。小さなピンク色の花がクロスに映える。


 窓のそばにいる私にむかって、ルチアがにっこり笑った。


「ジュリアン様ぁ、支度できましたぁ!」

「あ? ……ああ」


 私は、ぎごちなく歩き出して、椅子に向かう。大事な書類を抱えて立っているウォルターを横目で見る。ウォルターは、いつのまにか、いつもの無表情な顔に戻っていた。私が一瞬動揺したのを見逃さなかったのか、ルチアが、ウォルターに近づいた。ルチアは、ウォルターを下から見上げると、片手を腰に当て、もう片方の手で扉の方を指さしした。


「おじさまは書類を持って、でていってくんない? ジュリアン様ぁの横でおじさまが眉を顰めて立ったら、せっかくの美味しい食事も不味くなるから!」

「な……なに?? 」


 ウォルターが、口元を震わせている。


「ウォルター、…… もう、仕事がないのならば……」

「ほら、おじさまは用なしよ! あとは、私に任せて! 食事を終えたら、着替えさせて、ベッドへお連れするわ。おじさまがいなくても、ちゃんと侍女のお仕事をするから安心して頂戴。おじさまは、また、明日ね!!」


 ルチアはそう言うと、机の横で書類を抱えていたウォルターの背中を押しはじめた。ウォルターが抵抗するけれど、そのまま押して部屋から追い出してしまった。扉をパタンと閉めると、嬉しそうに笑いながら「これでよし!」とぱんと両手を叩いた。

 


「ジュリアン様ぁ。今日は、イミフなことばかりなのに、あの冷酷冷え冷え魔王に睨まれながら馬車馬のように働かされて、大変だったでしょう」


 ルチアが、自分の眉を吊り上げて、「……いつも、眉をこう吊り上げて眼鏡のつるを動かしながら、『仕事しろー』って顔で脅してますよね」とウォルターの真似をする。


 私も小さく首を縦に振って同意した。


「でも、あの書類で、私達の処遇も正式に決まったからあの冷酷冷え冷え空気読めない魔王にも感謝しなくちゃだけどね!」


 ルチアは、おどけた顔を少し傾けながら、手を組んで感謝の態度をとる。


「私達の処遇?」

「グレン様が亡くなって、ジュリアン様ぁとギルバート様ぁ、どちらを辺境伯にするかもめていたでしょ?」

「……」

「でも、グレン様の一番の腹心であるウォルターは発言しなかった」

「確かに」


 今回の一連の騒動で騒いでいたのは、母上とソフィアだ。議会も母上の息がかかった者とソフィアの息がかかった者が議論していた。騎士団と教会は静観を決め込んでいただけだと思っていたけれども、もしかして他の理由があったのかもしれない。


「…… 冷酷むっつり魔王は、ジュリアン様ぁに何も説明していないの?」

「?」

「今回のことについて。……まあ、それはおいおい私が話すとして……、とりあえず食べたら? ザックがジュリアン様ぁのために腕によりをかけたって言っていたし。美味しそうですよ?」


 私が椅子に座ると、ルチアはカラトリーを机に並べ始めた。


「ザック?」

「新しく入ったジュリアン様の料理人! 今日のメニューは、かぼちゃのスープに、低温でじっくりと蒸した雉肉だって」


 ルチアが私の前に丸い木の器を差し出した。そして、自分が持っている壺からとろりと黄色い液体を入れる。


 ふわっと湯気がたって、それと一緒に食欲をそそる香りが鼻に届く。銀のスプーンですくうと、絹のような光沢を放った。見ているだけで幸せになれそうなくらい素敵なスープ。


 ぱくっ


 「……美味しい……」


 私は、夢中でスープを口に入れる。舌触りもいい。かぼちゃの甘みと一緒に香草の香りが口の中に広がる。今までこんななめらかで濃厚なスープを口にしたことはない。


 そういえば、屋敷で温かいスープを食べたことはなかった。いつも、肉と野菜が入っている塩味のスープをミーシャが部屋に運んできた。『冷めきったスープは、獣臭くて苦手だ』とミーシャに言えば、悲しそうな顔をして『毒見をするから冷めてしまうのです』と言われたことを思いだす。


 私は、じっと残り少なくなったスープを眺めた。


「おかわりもありますよ?」

「いや……いい」

「じゃあ、こっちの雉も食べてみて。ほろっとしてるから!」

「……ん? 本当だ。雉なんて食べたことないけど、臭みもないし、口の中で溶けてしまう……」

「でしょでしょ? その雉は私が取ってきたんだよ!」

「え?」


 私の驚きをするっと無視してルチアがサラダの隣にある白いものを指す。ルチアったら、自分が料理を褒められたかのように嬉しそうな顔をしている。


「じゃあさああ……、今度はこっちのパンも食べてみて!」


 これがパン? 真っ白なそれは手に取るとほかほかして、もちもちしている。今まで食べていた固いパンとは大違いだ。一口噛むと甘みが出てくる。


「美味しい……」

「その白いパン、ザックの自慢料理の一つなんだって。私もちょこっと食べたけど、今までのパンとは大違いだよね?」

「ああ……」



 すっかり、美味しい料理とルチアのペースに飲まれてしまった。




 ―― でも、この時間は、辺境伯になってよかったと思えた素敵な時間だった。

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