第16話 辺境伯と侍女(2)

 食事の道具を片付けると、ルチアが私の前にお茶とタルトを置いた。ウォルターが言っていた通り、黒すぐりのタルトだった。


「ザックは料理も出来るけれど、お菓子作りの方が好きだって言ってました」

「そうか」

 

 丸いタルト地の上に、黒スグリとラズベリーが宝石のようにキラキラ輝いている。私は、目の前に置かれたタルトに釘付けだった。


「ここに来るまでは、王都のチョー有名店のパリエット菓子店で働いていたんだって」

「パリエット菓子店?」


 パリエット菓子店というのは、公爵令嬢であるウィステリアージュが王立学院の執行部への差し入れに使っている高級菓子店だ。サクサクッとした生地の上に乗せられた季節の果物やクリームをちりばめたタルトは、この世のものと思えないくらい美味しい。誰にも言ったことがないけれど私の大好きな菓子店のタルト。そのタルトを作っていた職人が作った? その味を思いだして、さらに頬が緩みそうになる。


 フォークでタルトを押えながらナイフにいれる。サクッとした音が聞こえてきそうなくらい軽い感覚。幸せな気持ちでタルトにフォークをさしなおそうとした私に、ルチアがなにげなく聞いてきた。


「ジュリアン様、パリエット菓子店のタルトが大好きなんですって? グレン様が言っていたけど……」


 

 ドクン……

 心臓が跳ね上がる

 ドクン……ドクン……


 あまりの内容に、言葉が出てこない。

 ガチャンとフォークが皿にぶつかる音が部屋に響く。


 ぎごちなくルチアをみると、ルチアはぺろっと舌をだしている。


「ザックにね、『……娘が大好きなんだ。お前の作るお菓子で、猜疑心の塊のような娘の心を救ってほしい。黒すぐりも娘の好物だから、最初は黒すぐりのタルトで頼む』って言っていたところを見ちゃったんだ」


 ―― ムスメ ヲ ……?


「グレン様もさ、裏でこそこそ、なにやっているんだかって思っちゃった」


 ―― ワタシ ノ タメ ……?


 ルチアがてへへと笑いながら、ティーカップに紅茶をいれ続けている。

 私は、自分の心の揺れを抑えようとした。でも、ナイフとフォークを持つ手が震える。視界がぼやける。


 父上に嫌われていたのは私だ。あの日、寝込むほど殴ったのに見舞いに来ないのは、女だからだとミーシャが教えてくれた。期待外れの子どもにかける時間はないと……。


「わ……私こそ、父上に嫌われて……」


 カラカラに乾いた口から零れた声に、ルチアの紅茶をいれる手が止まる。そして、少し首を傾げながら、私の方をみた。

 

「えっ、そうなの? グレン様もウォルターも、と思ってたわよ。だって、いつもグレン様のことを避けてたでしょ?」

「父上に石ころを見るような何の感情もない目で見られて、つらくて、悲しくて……」


 動揺した私は、思わず誰も言えなかった気持ちを言葉にする。


「グレン様は頬にざっくりと大きな傷があったから、顔がこわばって表情が上手く作れなかったんです。それに、普通、人間、嫌われている相手にいい顔なんて出来ないわ」


 ルチアがまっすぐ私を見てくる。その口調には僅かに非難が混じっている。


「でも、ミーシャが……」

「ん? ミーシャ? あ、あぁ、ジュリアン様専属だった侍女ね? ……で、彼女に何を言われてたんです?」

「期待外れの子どもは目障りだと父上が言ったと……」

「はあああ? なんで、グレン様がそんなことを言わなきゃなんないの? ばっかじゃない!! 」


 ひどく怒ったルチアの声が部屋に響く。持っていたティーポットが机に乱暴に置かれて音を立てる。


「グレン様はジュリアン様のことばかり気にかけていました! でも、ジュリアン様はエリーゼ様についたんでしょ? エリーゼ様と一緒になって、グレン様を困らせるために男のような振る舞いをしていたんでしょ? 」


 私を責めるようにルチアの口調が強くなる。


「そ、それは、違う!!」

「じゃあなんで?」




―― そ、それは……。


 だって、父上は私に声をかけてくれなかった

 ギルバートとばかりいて、私のほうを見向きもしなかった

 だって、母上は男の子じゃない私はいらないと言った



 独りぼっちの私を、ミーシャは抱きしめて囁いた

 

 『お可哀そうに。男の子だったら、ご不興も買わなかったでしょうに』

 『男の子だったら……』


 だから、私は…………







「……、母上の機嫌が悪くならないために、父上に、ギルバートではなくて私を認めてもらうために……」

「えっ、…… そうだったの?」


  ルチアが心底驚いたような表情をする。


「しかし、駄目だったんだ。母上の言いなりで……。父上には蔑まれただけだ……」

「なぜ、そう思うんです?」

「母上の傀儡でしかない私にはなんの価値もないと……」

「……、それもミーシャ? ……となると、あながち、メービスの陰謀説は間違っていなかったわけだわ。でも、黒幕は誰? 神殿?……、まさかね」


 ルチアの言葉は私の耳には届かない。




 初めは、ミーシャの言葉だった。

 『男の子』なら、母上も父上も喜んでくれる。

 そう思って、髪を切り、剣を学び……。

 でも、父上は近づいてきてくれなかった。


 ミーシャが言う

 『お可哀そうに。グレン様にはジュリアン様の気持ちは通じない。グレン様の心はギルバート様だけ。ジュリアン様は嫌われるばかりで、本当にお可哀そうに……』


 何故? どうして? 

 

 『男の子』であることは、母上の傀儡にすぎないからだ。

 母上の傀儡はいらない。父上の拒絶はそこにあると信じた。


 抜け出したい。ここから抜け出して自由になりたい。

 そう思いながらも、『男の子』であり続けた……。

 そんな自分が一番嫌いだった……。


 

 …… 父上は私のことを嫌っていなかった?

 




身体中を血と魔力が駆け巡って熱くなってくる。



 耳鳴りもする

 顔も火照る

 体の中から熱が、魔力が、私の意志とは関係なく、外へ出ていく……



 部屋の中が真っ白になり、私は……。








 「ジュリアン様!!」


 珍しく慌てたルチアの声が、私のいなくなった部屋に響いた。

















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る