第17話 辺境伯と黒すぐりのタルト(1)
「幼子のように声をあげて泣いて……、魔力を暴走させて、全く、……」
聞き覚えのある声。私の頬に触れる小さな手に気づいて、私は顔をあげた。目の前に立つ青い目の銀色の髪の少女がかすんで見える。
「? ……ディア? ……ここは?」
「塔に決まっとる」
憮然とした表情でディアドーネが答えた。
「な……ぜ……??」
「……、おぬしが暴走したのでな。呼んだ」
「?」
「あんな無駄遣いは困る。我がもらう分が減るではないか」
ディアドーネは咎めるような言葉とは裏腹に、私の手をそっと握る。
ひんやり小さな手。その時、私は自分のことでいっぱいで、私の顔を覗き込むディアドーネの目の奥が揺れていることには気がつかなかった。
「……なにがあったか知らぬが、……そんなに、己を
「ひっく、私、……」
父上に嫌われていなかったと知って、今までの自分を責めた。
どうして、自分から父上に声をかけなかったのだろう
どうして、ミーシャの言葉だけを信じたのだろう
どうして……
「……、大方、グレンのことじゃろ?」
やれやれと肩をすくめながらディアドーネが私の頬を触る。
私は泣きすぎてしゃっくりが止まらないまま頷いた。
「ふん。人間は自分勝手な生き物じゃ。自分が覚えていることがすべてだと思い込む。都合いいように記憶をすり替えて、喜んだり悔んだりして本当に忙しい……」
「……ひっく……」
「『どうして』と過去を後悔しても何もならぬ」
「……」
「過去は亡霊じゃ。それに囚われても仕方あるまいて」
呆れたようにディアドーネがため息をつく。
「だがな、ジュリアン、おぬしは自分以外の心に『気づいた』。ならば、変わればよかろう? 過去を後悔しても変わらんが、未来は幾通りにでも選択することができる」
ディアドーネの言葉は水のように自分の心にはいってきた。今はどんな慰めの言葉よりも、説得力がある。もう数えきれないほどの年月をここで過ごしてきたディアドーネの言葉だからだろうか。それとも、ディアドーネの声色が鈴のように軽やかだからだろうか。 少しずつ気持ちが潮が引くように消えていく。
「しかし……」
「本当に、『しかし』が多い奴じゃの。『しかし』ばっかり言っておると、こうやって口をあひるにするぞ」
ディアドーネが私の唇と摘まむとひっぱった。ディアドーネの青い目に、目をはらし唇を尖らせた間抜けな顔の自分が映る。
「あひるもいいかもしれん。これからジュリアンではなく『あひる』とでも呼ぼうかのう」
そして、にやりと笑った。ディアドーネはディアドーネなりに慰めてくれている。その優しさに気づかないほど私は愚かではない。
私は、ディアドーネの手を握ると、自分の唇から外した。もう、しゃっくりもとまって、気持ちも落ち着いている。ディアドーネの目をまっすぐ見た。
「それは遠慮したい」
「ならば、我の前で『しかし』は言うな」
「しかし……」
「『あひる』決定だな」
ディアドーネがくつくつと笑いだした。私もつられて、目元の涙を手で拭きながら笑った。
◇
「のう、『あひる』、さっきからいい匂いがするのじゃが、それはなんじゃ?」
ディアドーネが指さした先には、食べようとしていた黒すぐりのタルトがあった。
―― よかった。崩れていない。
父上に頼んだタルト。父上はどうして私が黒すぐりが好物だと知っていたのだろう? 昔、生の黒すぐりを誰かと食べて、酸っぱいねと笑い合ったことをふと思い出す。あれは、もしかして父上だったんだろうか? もう顔も思いだせない人を父上に重ねてみる。少しだけ、胸の内側が温かくなる。
タルトがここにあるのは、おそらく、ちょっとした手違いだったに違いない。案の定、ディアドーネがもじもじしながら言い訳をする。
「おぬしだけを呼びつけるつもりが、それも一緒についてきたのじゃ。生き物でもなさそうだし、……しかし、……いい匂いがするのぉ」
「ディアも『しかし』と言いましたね?」
ディアドーネの上げ足をとる。このくらいの言葉遊びは許されるだろう。
「おっと、失言じゃったな。ならば、『あひる』呼びは少し控えようぞ」
全く反省するような気配を見せずに、ディアドーネが笑う。私は大げさに三回ほど手をまわし、胸にあてて騎士の礼をする。
「ありがとうございます。……それは、黒すぐりのタルトです」
「ほう、たしかに、上に乗っている実は黒すぐりに似とるの。魔の森にもなぜか実をつけておったわ。しかし、凄く酸っぱいという話だが?」
酸っぱいものを食べた時のように、ディアドーネが頬を手で押さえて口元をゆがめる。
「それは生の黒すぐりです。私も昔食べましたが、とても酸っぱかったです。しかし、これは、砂糖と一緒に煮てあるので甘みもあります」
「……砂糖と煮ると甘くなるのか? では、黒スグリの下のもの茶色ものはなんじゃ?」
興味深々の目をしてディアドーネがタルトを見ている。私は微かに違和感を覚えた。
「? もしかして、ディアは黒すぐりのタルトを知らないのですか?」
「知らぬ。ここに来るものは、魔石しか持ってこなかったからな。してタルトとはなんじゃ?」
「卵と小麦粉と砂糖とバターを混ぜて焼いたお菓子です」
「混ぜて焼くと、そのようないい匂いがするのか?」
ディアドーネが鼻をひくつかせながら聞く。
「はい。そして、匂いだけではなく、食感もさくっとして、口の中でほろっと崩れて、とても美味しくなります。ちょうど、二つに切ってあります。ディアも一つ、いかがですか?」
ディアドーネがおずおずと遠慮がちに両手をだした。まるで、特別なプレゼントをもらう時の小さな子どものように目をキラキラさせている。私は、半分に切られているタルトを一つディアドーネの手の中に置いた。
「……なんていう匂いだ。こんなに心を奪われるような匂いは久しぶりだ」
嬉しそうに、にこにこしながらディアドーネはタルトを眺めている。両手でタルトを持ち、顔をよせるとその匂いを大きく吸い込むと、目尻を下げて頬を緩ませる。
―― ああ。なんて幸せそうなんだろう。
じっとタルトを眺めてばかりいるディアドーネの行動を不思議に思って、声をかけた。
「? ディアは食べないのですか?」
「食べ……る?」
ディアドーネがきょとんとした顔で私とタルトを交互に見る。今度は、私の方が首をかしげた。
「??? ディアは普段何を食べているのです?」
「我は人間ではない故、食べる必要はない」
「そうなんですか。 でも、眺めているだけでは、美味しさはわかりませんよ?」
「そ、そうか? ……」
珍しくディアドーネが戸惑いの表情をするので、私はくすっと肩をすくめると、タルトに口の中にいれた。
「……さくっとした歯触り。口の中であふれる黒すぐりの酸味。バターだけではこのような濃厚なクリームにはならないから、アーモンドをいれたのでしょう」
「なんじゃ、それは? ええい。ままよ」
私の真似をして、ディアドーネがおそるおそるタルトに口をつける。
さくっ
音にならない小さな音が部屋に響く。
ディアドーネの目が大きくなり、肩が震えている。それから、タルトを食べきるまではあっという間だった。
「なくなってしまった」
夢が覚めたような惚けた顔をしたままのディアドーネがいる。
「申し訳ありません。私も食べてしまいました」
私も、両手を広げて、もう食べてしまったことを告げた。
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