閑話
第19話 ルシュディール視点 ― グレン様の最期
「ルシュディール様……」
「グレン様をベッドに寝かせたら、他のものは出ていけ! 誰が来ても入れるな!」
オレは怒鳴り散らして、グレン様を抱えてきた護衛もお湯をもって待機していた侍女達も追い出した。
「なあ……ルシュ」
ベッドの上にそっと寝かされたグレン様からいつもと変わらない優しい声がする。
「グレン様は、喋らないで!!」
オレはグレン様を巻いている布を取り払う。声にならない叫び声をあげる。胸から上はあるのに、腰から下はあるのに、その間にあるべきものがなくて真っ赤に染まった布があった……。
レッドベアに背中から襲われ、あの爪で背中から切りつけられたと聞いていた。その場にいた魔術師が凍結魔法をかけたと聞いて能無しめと思っていたが、それが最善の魔法だということは明らかだった。
グレン様を守り切れなかった者達への怒りとグレン様を失うという現実を突きつけられた悲しみでぐちゃぐちゃだ。
オレは、上半身と腰の間にある腹部を再生しようと必死で治癒魔法を使う。乾いた砂の上に水をかけるように魔力だけがどんどん消えていく。
わかってる。失ったものは治せないんだってことくらい。
わかってる。本当なら肉体から逃げてしまう魂をグレン様の魔力と意志で引き留めているだけにすぎないことくらい。
それでも、オレは必死で治癒魔法をかける。魔力切れを起こしそうになって視界が真っ白になる。玉のような汗とも涙ともつかないものがベッドの上を濡らす。自分の命を引き換えにしたっていい。グレン様の命を助ける。
「ルシュディール……」
グレン様が身じろぎしてオレの手を握ろうとする。
「動いちゃだめだ!!」
オレは慌てて、グレン様の手をきつく握りしめる。氷よりも冷たい。
「……、もう、いいんだ……」
「でも!!」
「それよりも、俺の話を聞いてくれ」
「嫌だ。オレが治すから、オレ、治癒魔法は得意なんだ……」
つないだ手から魔力を押し込むのに、全然入っていかない。グレン様がわずかに唇の端をあげたように見えた。
「ルシュ。いい子だ。俺の最期の願いだ。聞いてくれるか?」
「嫌だ。最期なんて言わないでくれ! そうだ!! オレの肉体をあげるから、だから……」
「……ルシュディール……俺がこうして話していられるのも残りわずかだ。駄々っ子のようにごねていないでちゃんと役目を果たしなさい」
優しいけれど凛としたグレン様の言葉にオレは何も言えなくなって、ベッドのそばの椅子に座りこんだ。もう、グレン様の生命の残りは心臓を動かすこと、想いを伝えることだけにしか使えないことがひしひしと伝わってくる。
「ウォルターはきっと自分を責めて俺の後を追おうとするだろう。だが、お前にはちゃんと未来を見届けて俺に報告する義務があると伝えてくれ」
「……わかった」
「護衛についてきた者たちのことはウォルターに任せる」
「……」
「今回のことは誰も悪くない。いいな。どうしようもないことだったんだ」
オレはそっぽをむく。それじゃあ、オレの怒りはどこへも持っていけない。
「……ルシュには迷惑ばかりかけるな」
そう言われてしまうとオレは拗ねるわけにはいかなくなる。
「そんなことはない。グレン様がいれば、オレはそれでいい。オレを闇の中から助け出してくれたのは貴方だ。オレは貴方のためならなんだってする」
「ありがとう。ルシュディール、いつもお前にはお願いばかりだ。もっと、自由にさせてあげたかった。すまない……」
グレン様の瞳から涙が零れる。
「そんなことはない。オレはグレン様のそばにいて、幸せだ」
オレはグレン様の頬に顔を寄せる。石のように硬くなった胸を抱きしめる。零れていく命を少しでもつなぎとめたくて、オレは魔法を唱える。グレン様が、動かなくなりつつある顔を左右に動かす。
「……これからが本題だ。俺の机の上にある木箱をとってくれ」
オレは立ちあがって、グレン様の机の上にある
「俺が死んだら、魔石と指輪をそこに入れてくれ。俺の最期の賭けだ」
「……」
「その箱は細工がしてある。ジュリアンが、少しでも俺のことを、ランパデウムのことを想ってくれているのなら箱が開くようにしてある。もし、ジュリアンがこの箱を開けることが出来たのなら、なにがあってもジュリアンを護って欲しい」
「なんで、グレン様はいつも、あのバカを気にするだよ! あのバカは何もわかっていない、母親の単なる操り人形だというのに!!」
ジュリアン。グレン様の死ぬ間際まで、グレン様の心を占めているというのに、なにも気づかない大バカ者。オレは大声で叫ぶときつく唇を噛みしめた。だって、グレン様の顔がジュリアンと呼ぶときにすこしだけ和らいだからだ。
「娘と言うのは、どうしようもなく可愛いものだぞ。愛さずにはいられない。しかし……」
グレン様の顔つきがすっと領主の顔に戻る。
「しかし? ……もし、箱を開けることが出来なかったら?」
オレは、どうしても自分の心が意地悪くなるのを止められなかった。
「その時は、ランパデウム辺境伯として命じる。ジュリアンを殺して塔へ行け。道は作ってある」
グレン様の指にはまっている小さな青い魔石の指輪が輝きを増し始めた。グレン様の身体の中の魔力が胸元で渦巻き始め魔石に変わっていく。
オレは、ベッドの脇に立てかけてあった司祭の杖を持ち、グレン様の胸にそっとあてる。
「汝が、虹の根もとにある死者の扉をくぐりぬけ、永遠の平和があるという世界樹の世界へ、旅立てるよう、最期の祈りをささげよう しがらみである肉体と魔力をおいて 空へ飛び立てるよう 祈りを重ねよう……」
「………… あ…… ルシュ……………」
石のように冷たくなったグレン様の口から、オレの名前がこぼれたような気がした。
◇
「貴方がルシュディール?」
あからさまに誘うような薄いピンクのワンピースを着たソフィアが面会に来た。胸元にピンクのリボンをつけて馬鹿みたいに大きい胸を強調している。男は胸さえ見せれば落とせると思っているに違いにない。オレは心の中で冷たく笑う。
「ようこそお越しくださいました。ソフィア様。こんな朝早く、いかがいたしましたか?」
「お礼をいわなきゃって思って、飛んできたの。旦那様の最期の祈りをありがとぉ」
舌ったらずな言葉遣い。上目遣いな顔つき。女であることを最大限に見せながら近づいてくる。神殿勤めの司祭だから女に飢えているんだろうと思っているところが手に取るようにわかる。思っていた通りの女だ。オレは、自分の心に蓋をして、この茶番を乗り切るべくにこやかな笑顔をふりまいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます