第5話 辺境伯と義理の弟(2)

「開けられなかった木箱?」

「やだなぁ。誤魔化さないでよ。さっき、執務机の上においた義父上の形見の箱だよ」


 ギルバートは顔をあげると、目で執務机の上の木箱を指した。私もつられて木箱に目線を移す。


「昨日の夜遅く、母さんが持ってきたんだけど……、ボクは開けることが出来なかったんだ」


 ―― やはり、ギルバートは開けることが出来なかったんだ。


「別に開けられなかったことを残念がってはいないよ。むしろ、逆だから安心して。ただ、昨日一晩、母さんはぎゃんぎゃん泣いて叫んで、それはもうさんざんだったことが憂鬱の原因かな?」


 ギルバートは遠い目をしてやれやれと言う風に首を左右にふった。確かに、あれほど、ギルバートを辺境伯にすることに固執していたんだ。かなり荒れただろうと容易に想像がつく。


「最後は、そんな木箱を開けることが辺境伯になる条件だなんて認めない!って叫んでさ」

「それは……」

「母さんの言うことも一理ある。その木箱はルシュディールっていう若い司祭が持ってきた。ほら、最近、魔力量が凄いとかで司祭に義父上が任命した黒髪のやつ。でもさ、開けられなかったボクが言うのもなんだけど、それってすごく胡散臭くない?」


 確かに、胡散臭い。母上は私が木箱を開けることができたから、機嫌よく『木箱を開けられたものを辺境伯とする』という条件を認めたに過ぎない。もし、開けられなかったら、ソフィアのように怒り狂って認めないと叫んだだろう。他の司祭たちが持ち出した先々代の辺境伯の遺言と一緒だ。

 

「……ギルバートは辺境伯になりたいのか? もし、望むなら……」

「いや、それは全くない。騒いでいるのは母さんだけだ。ボクの中では辺境伯はジュリアン一択!」

「そんな……」


 ギルバートにあっさり否定されて、がっくりと肩を落した。


「ただ、その木箱の中身を確かめたくてね……。父上の形見ってどんなものだろうっていう純粋な興味だよ」

「私は父上にひどく嫌われていたから……中の魔石と指輪が父上のものかどうか、わからなかった」


 私は、執務机の上の木箱をとると、ギルバートに渡した。ギルバートはひどく困った顔をして箱を見つめている。


「……ジュリアンは義父上が亡くなって、どう思っている?」

「……それほど気落ちしていないが、混乱している」

「よかった」

「?」

「義父上が死んだというのに、母さんは嬉しがっていた。ルシュディールの腕に自分の腕を絡ませてボクの部屋に入ってきたんだよ? ありえないと思わない? 義父上が死んで二日しかたっていないというのにさ」


ギルバートはしばらく箱を撫ぜていたが、意を決したように蓋に手をかけた。


「ふう……。やはり開かないか……」


 ギルバートが少しほっとしたような、困ったような複雑な顔をして、木箱をテーブルの上に置いた。


「ギルバートは父上が死んで、悲しいのか?」

「あ? う、うん。悲しい。これでも、結構、いろいろ話をしたんだ。でも、大抵は魔術具のことかな」

「そうだったのか……」


 ギルバートの趣味は魔術具の研究だ。最近は、魔石で動く伝書鳥なるものを作って、王家から褒美をもらっている。ギルバートが作った小さな鳥の形をした魔術具に黄色い小さな魔石を入れて、言いたいことを吹き込む。すると、届けたい人のところまで飛んで行って伝言を伝えてくれる。吹き込める字数に制限があるのと、届けられる範囲が狭いのが課題点だが、よく出来ている。


「ねえ、ジュリアン、木箱を開けてもらえないかな」


 ギルバートの遠慮がちな声が耳に届く。私は木箱を開けて、ギルバートに渡した。


「指輪は、父上のものだ。昔、この指輪の思い出を話してくれた気がするけど、なんだったかなぁ……」


 この青い魔石がはめ込められた指輪は父上の指輪だったのか。そうなると、私のおぼろげな記憶の中で私を抱き上げてくれたのは父上だったのだろうか? 口をきいてもらえないほど嫌われていたのに、幼いころは違ったのだろうか? 自問しても答えが出ない。


 ギルバートはあっさりと指輪から視線をはずして、食い入るように赤い魔石を凝視し始めた。魔石はゆらりゆらりとその赤みを変えて輝いていた。


「こっちの魔石は父上の中にあった魔力……」


 魔力があるものが死ぬと、魔力が集まって魔石になる。魔物もそうだし、魔力を持つ人間もそうだ。箱の中にある拳ほどある大きな赤い魔石は、父上の中にあった魔力が集まって魔石になったものということになる。


「火の魔法を使う父上らしい赤の魔石だな」


 ギルバートが、ぽつりとつぶやいた。


「私は父上に嫌われていたから、父上が火の魔法を使うことすら知らなかった」

「……?」


 実の子どもだというのに、親の魔力属性を知らないなんて考えられないのだろう。ギルバートが口を開いて指摘される前に、私は慌てて片手をふって言い訳する。


「悪いのは私だ。父上から隠れて暮らしていたのだから……、知らなくて当然だ」

「うーん。確かにジュリアンは義父上が帰ってくると部屋から出なかったね。義父上は熊みたいに大きかったし、顔に頬にざっくりと大きな傷があったから、怖いんだと思っていたよ。手に取って見てもいい?」


 私は、「構わない」と頷いた。ギルバートの手の中で、赤い魔石はくるくると色を変えた。ギルバートも少し頬を緩めて魔石を眺めている。私には、魔石が喜んでいるようにしか見えなかった。なぜかチリっと胸の奥が痛む。


 しばらく、魔石を眺めていたギルバートが、魔石を箱に戻した。少しだけ気まずい雰囲気になる。ギルバートがコホンと咳払いをした。


「……そういえば、昔、義父上に魔法を見せてもらったことがあるんだ。でも、全然大したことなくて……。『フォテア』と叫んでも、ろうそくの火より小さな火球がほわほわっと1つ出てすぐ消えてしまってね。

あの大きな手のひらから小さな火球しかでてこなくて、笑いそうになるのを我慢するの大変だったんだよ」


 ギルバートが思いだしたように、ふふっと口角を上げた。


「でも、義父上って魔力がほとんどないと思っていたから、こんな大きな魔石になるとは思わなかった。体の中の魔力量と自分が使える魔力量が違ったのかなぁ」


 ギルバートが、頭をひねりながら赤い魔石を見ている。確かに、ギルバートの言うような魔法しか使えないのなら、体内の魔力を全部集めても金貨1つくらいの大きさにしかならないと思う。

 しかし、たまに、体内に蓄積できる魔力量が多くても、魔法が使えないという人もいる。それには病名がついていたはずだ。しかし、父上が病気を患っていると聞いたことはなかった。私が知らなかっただけかもしれないが。


「この魔石は父上の魔力から生まれたものだってことはわかったけど、なんとなく釈然としない」

「わかるのか?」


 少し驚いて聞き返した。手に取れば私にもわかるのだろうか? いいや、そんなことはないだろう。最後に父上を見たのはいつだったか思い出せないくらいの仲だったから。


「まあ、なんとなく。この魔石からも、まだ、少しだけ父上を感じ取れるよ」


 死んだ魂は、十日くらい残された魔石に残っていることがあるって聞いたことがある。そんな幽霊話とその時は笑ったけれど、あながち嘘ではないのかもしれない。私は赤い魔石に手を伸ばしかけて、あわててひっこめた。生前嫌われていたんだ。魔石を手にしても、ギルバートのように温かい気持ちになることもできず、拒絶されるのがおちだ。やめておこう。


 じっと赤い魔石を見ていたギルバートが、私の方を見た。いつものチャラけた顔つきではなくて、どこか決心したような顔つきだ。


「ジュリアン、この魔石、ボクに預かってもいいかな?」


 なぜ、そんな言い方をするのだろう? ギルバートの方が、この魔石の持ち主にふさわしいのだから、権利を主張すればいいのに。喉まで出かかった言葉を飲み込む。ギルバートは私が迷っていると感じたのか、言葉を続けた。


「ボク達、知らなすぎることが多いと思わない? 義父上のことも、なにもかも。だから、少し調べてみようと思うんだ」

「……好きにすればいい」


 私は、真っ赤になってそういうのが精一杯だった。



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