第7話 辺境伯と秘密の鍵

 

 「自由……?」 


 私は、ギルバートの言った言葉を声に出してみる。もちろん、誰からも返事がない。私は小さく首をふると形見の箱の蓋を閉めた。パタンと閉まる軽くて小さな音が部屋に響く。

 さっきまで、この小さな箱が鉛のように重たくて、箱に描かれている月紫葛さえ陰湿な雰囲気だった。それが今は普通の小さな箱に見えるのだから、不思議だ。気持ち一つで目の前の景色は変わるものかもしれない。


 トントントン……と、静かだけれど正確に扉を叩く音がした。


「ジュリアン様、よろしいでしょうか?」


 入ってきたのは、浅めの銀盤を両手で抱えていたウォルター。細い銀色の眼鏡越越しに睨まれて、思わず生唾を飲み込む。ウォルターが眉を少し寄せた。


「ジュリアン様の席は執務机です」

「え? ……あ、ああ」


 私は慌ててソファーから立ち上がると、執務机の椅子に座りなおした。ウォルターが持っていた銀盤を机の空いている場所に置く。銀盤から机の上に並べる。印章、ペン、紙、蝋、……。


「とりあえず、正式に王家から通達がきて正式な辺境伯になるまでは、この代理の印章でお願いします」


 ウォルターが代理の印章と呼んだそれには、ヘンリッシュの枝が描かれている。ヘンリッシュは辺境ランパデウムの地にしか生えない薬草の一つ。葉を煎じて飲めば浄化作用があり、枝を焚けば魔物がその匂いを嫌って逃げて行くと言われている。ランパデウム辺境の印章らしいといえばそのような気もするけれど、形が三日月なのはおかしい気がする。


「代理の印章ですから、ヘンリッシュの枝だけです。印章を押した後、左上にジュリアン様のサインを書いてくだされば結構です。正式に決まればその部分のデザインを決めて辺境伯の印章を作成いたします」

「……」


 代理の印章? おそらく、ウォルターは私を正式な辺境伯と認めていない。正式な辺境伯の印章を作らずに済ませようという腹積もりなのだろう。

 母上は父上の形見の箱を開ければ辺境伯と言ったけれど、現実はそんなものかと思う。言いたいことはあったけれど、淡々と説明するウォルターにただ頷くしかできなかった。


「決裁待ちの書類は机の右側の箱にありますから、目を通して、その印章を押してください」


 決裁待ちの書類? 今まで領内の政にかかわってきていない私に何が出来るのだろう。


「内容についての吟味は?」

「三日も公務が滞っておりました。早々に決裁を行わなければならない案件ばかりです。そこにある書類については、私と、ネフルド、ヨハン、あとは辺境領内の家令をしているパイソンとアーシラで、吟味してあります。決裁印を押したものは左の箱にお願いします」


 私は、言われた右の箱に乗っている書類の山を見る。


「決裁……」

「そうですが、何か問題でも?」


 大ありだと言いたいところをぐっと我慢する。


「父上はどのようにしていたのだろう……」

「グレン様と同じようになさりたいのですか?」


 ウォルターの眉が僅かに上がる。


「いや、ふと思っただけだ」


 父上には嫌われていたから、近づくことも話しかけることもなかった。辺境伯になるつもりもなかったから、領内のことに関心もなかった。そんな私に、決裁をさせるとはどういうことなのだろう。出来ないと言わせたい? 私が失敗するのを待っている? 私は一枚書類を持ち上げると、書類越しにそっとウォルターの顔色を伺う。ウォルターは無表情のまま立っていた。だめだ。わからない。ウォルターには私の考えなどお見通しなのかもしれない。それならば、失敗するよりも無知であると馬鹿にされた方がまだいい。


「……父上のことも領内のこともさっぱりわからない。わからないものにむやみに印章を押したくない」

「……ふぅ……。では、帳簿をお持ちいたしましょう。王立学院の執行部で会計をなさっていたのですから、領地経営がどうなっているか読み取れるでしょう」

「頼む」

「それから、これを」


 そう言って、ウォルターが私に差し出したのは、何の飾りもない小さな木箱だった。大きさは父上の形見の箱と同じくらい。また、新たな試練かもしれない。さっきの母上の件で疑心暗鬼になっている私は、伸ばしかけた手を引っ込める。


「それは?」

「グレン様に、自分が死んだ時には次の辺境伯様へ渡してほしいと頼まれていたものです」

「今、ここで開けなくてはいけない?」

「ご自由に」


 ウォルターは机の上に木箱を置くと、そのまま私の前で立って動かない。私の意志を尊重するような言い方だけれど、『開けろ!』という圧がひしひしと伝わってくる。


 ―― ええい、ままよ!


 大きく息を吸ってから、箱を開けた。中には、……頭の部分に小さな青い魔石がいくつか埋め込まれている鍵が1つ。この形と大きさからするとどこか部屋の扉の鍵のような気がする。


―― 小さな青い魔石は、父上の指輪の魔石と同じ?


 私は父上の形見の箱を開けると、指輪の魔石と見比べてみる。確かに、同じ晴天の澄んだ空のような天色。

 陰りのない青。この青色、どこかで見たような気もするけれど、……わからない。それなのに、この魔石を見ていると心の奥がざわざわする。鍵と指輪。二つを見比べて考える。


 ―― 何故 これほど気になるのだろう?

 ―― 何故 思い出せないのだろう?


 どう考えても答えが見つからないので、私は大きくため息をついた。そして、指輪を父上の形見の箱に戻すと、ウォルターを見た。


「どこの鍵だろう? この部屋?」


 ウォルターが僅かに私から視線を外した。ということは、この部屋のものではないということか。


「母上はこの鍵のことをご存じか?」

「いいえ」

「第二夫人は?」

「いいえ」

「ギルバートは?」

「……おそらくご存じないかと」

「誰も知らない、父上だけの秘密?」

「……」


 ウォルターの眉が少しだけ動いたような気がする。


 父上の秘密。父上の秘密。私は口の中で、何度か転がしてみる。父上のことを知らない私に心当たりがあるはずもない。

 月紫葛と蔦の模様の箱には父上の指輪が、なにも模様のない箱には鍵が、それぞれ入っている。埋め込まれている魔石は同じ天色。天色の魔石を生む魔物はいない。だとすると、なんだろう。自分の持っている記憶と知識を総動員して考える。月紫葛と蔦、天色、指輪、鍵、月紫葛と蔦、天色、指輪、鍵……。


―― 月紫葛と蔦?


「あ!」


 思わず大きな声をあげてしまった。誤魔化すようにコホンと咳払いをする。ちらりとウォルターを見ると、口角が僅かだけど上がっている。


「私が近寄れない場所が、この屋敷の中に一か所ある。昔、近づいた時には父上にひどく怒られた。その場所の鍵?」

「……」

「行って調べても構わない?」

「……もう、グレン様はいらっしゃいません。誰も、ジュリアン様を止める人間などおりません」


 ウォルターはそう言うと、頭を下げて出て行った。


 ―― よし! 例の場所に行ってみよう! 


 鍵をポケットに入れて、執務室の扉を開けた。そこには、背の高い人物が一人立っていた。濃い緑色の髪には見覚えがある。父上の護衛だったメービスだ。ウォルターとは違って、メービスは愛想よく笑いかけてくる。


「ジュリアン様、どこへ行かれるのですか?」


 ――き、距離が近い!!


 メービスのあまりにも馴れ馴れしい態度に、私は数歩後ずさりをする。


「散歩に」

「それではお供しましょう」


 メービスが、嬉しそうに私に腕を差し出す。私ににこにこ笑いかけてくる。子どもだと思われているのだろうか? ギルバートより背が低いと言っても、もう17歳だ。母上がつけてくれた護衛達はいつも離れてついて来ていたのだから、屋敷の中は一人で歩ける。


「いや、いい」

「しかし、危険が……」


 少し不満げに鼻を鳴らすけれど、とても嬉しそうだ。


「すぐ戻る」

「しかし……」

「一人になりたいんだ。考えることが多すぎて、少し歩いて整理したい」

「……わかりましたぁ。じゃあ、中庭を一周したらすぐに戻ってきてくださいね! 約束ですよ!!」


 私は笑って頷くと、一人歩き出した。


 後ろでメービスが真っ赤になって壁をドンドン叩いていたことなど全く知らずに、

私は小さな頃の記憶を頼りに中庭から外にでた。

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