約束の日

 それから数日後。オリヴァーは約束通り、アデリナに手紙で自分の都合のいい日時を教えてくれた。アデリナも了承の手紙を送ると、更に迎えに行くと返事が返ってきた。


 それに驚いたのはベールマン家の面々だ。何せ相手は国王の覚えもめでたいファレサルド伯爵家。こんな下級貴族に何の用かと戦々恐々だった。しかし、誰一人としてオリヴァーがアデリナに結婚を申し込むとは思いもしないのだ。それがアデリナには不服だった。


 ◇


 そして迎えた当日。どんな格好で行けばいいのかわからず、アデリナはまたいつものような背伸びした服を纏って使者の訪れを待っていた。白いブラウスに紺色のタイトスカート、そして黒のハイヒール。いかにもできる女を装っているが、アデリナには似合っていない。白いブラウスには装飾がなく、アデリナの胸がないのを強調してしまっているし、タイトなスカートのせいでお尻の肉付きが悪いのがはっきりわかる。しかもハイヒールを履いたせいで余計に子どもが背伸びしている感じが強い。


 家族もアデリナに、本当にその格好で出かけるのかと何度も確認するほどだ。だけど、アデリナなりに考えてのことだ。


 オリヴァーはシンプルなシャツとスラックスという出で立ちでもあんなに色気があった。それなら自分だって、とアデリナは考えたのだ。ちなみに自信がなかったので鏡は見ていない。


 今か今かとアデリナは玄関ホールをうろうろと歩き回る。その時、扉のノッカーが鳴ってアデリナは急いで扉へ向かう。使用人の中に混じってアデリナも客人を迎えた。てっきり使者が来るかと思いきや、そこにいたのは数日前に会ったばかりのオリヴァーだった。


「え、あ、どうして?」


 さすがのアデリナも混乱していた。迎えに行くと手紙が来たが、本人が来るとは思わなかったのだ。オリヴァーはそんなアデリナの反応に苦笑する。


「迎えに行くと手紙を出しただろう。今日は俺の職場に来てもらおうと思うんだが、さすがにまだ一度しか会ってない男の職場に、一方的に呼びつけるのは申し訳ないという気持ちはあるんだよ」

「そういうものですか?」

「そういうものだ」


 オリヴァーは見かけによらず紳士なのかもしれない。アデリナはそんな失礼なことを考えていた。


「それでは参りましょうか、アデリナ嬢」

「あ、はい。ですが、普通にアデリナと呼んでいただけますか? オリヴァー様はわたくしよりも格上ですし」


 アデリナとしては何の気もなく言ったつもりだった。だが、オリヴァーは面白そうに眉を上げて笑う。


「ふうん。ムカつくのに?」


 やっぱり聞かれていた。だけど、それならあの時に言ってくれてもよかったのに。恨めしげについつい文句を言ってしまった。


「……聞いていたのに聞かなかったフリをするなら、最後までそうしていただけませんか」

「いや、俺もそうしようかと思ったんだけどね。あんまりにも君が猫を被っているのが気持ち悪くて」

「なっ、失礼ね! はっ、しまった……」


 またやってしまった。感情的になってはいけないと淑女教育で散々言われてきたのにと、アデリナは落ち込み、俯く。


 そのアデリナの頭をオリヴァーはぽんぽんと慰めるように軽く叩く。それがまた子ども扱いされているようでアデリナは面白くなかった。


「……子ども扱いしないでください。こう見えても私は十七歳です」

「年齢の問題じゃない。君が幼く見えるのは中身が成熟していないことにも原因があると思う。だからこそ、意地を張って相手の言葉を受け入れない。そんなところもあるんじゃないかな?」


 アデリナはぐっと言葉に詰まった。笑って受け流せるだけの度量が自分にはない。それもまた自分を幼く見せているのだとオリヴァーは言いたいのだろう。


「……仰る通りです。申し訳ございません」

「だけど、君はそうやって反省することもできる素敵な人だと思うよ。これから外見も中身も磨いて、周囲の人間を見返してやりたいとは思わないか?」

「……そんなこと、できるんですか?」

「できるかじゃない、やるんだ。そのくらいの気概はないのかな? 負けず嫌いだと思っていたんだが、俺の見込み違いだったか」


 オリヴァーのどこかがっかりした声音に、アデリナは反応して、勢いよく答える。


「いえ、やります! ですが、どうしてそこまで教えてくださるのですか?」


 それがアデリナには不可解だった。先日知り合ったばかりで、しかも失礼な態度を取り続けた自分に親身になってくれるオリヴァーの考えが理解できない。


「まあ、偶々見かけただけだったが、何というか珍しいとは思ったよ。顔にも態度にも出るし、ここまで礼儀のなっていない令嬢はお目にかかることはなかったからね」

「うっ」


 言葉の刃がぐさぐさと刺さって、アデリナは胸を押さえた。押さえたところで、ない胸が悲しくて余計に辛くなったのだが。


「……まあ、昔の自分を見ているようでいたたまれなかった、というのもあるんだがね」

「え、オリヴァー様が?」

「ああ、そうだ。こんなナリで肩書きがつくと、いろいろとあるんだよ……」


 どこか遠い目で呟くオリヴァーに、アデリナは様々な想像を巡らせる。


(確かに男娼に見えるし、弄ばれちゃったのかしら。だけど伯爵令息という肩書きが後からわかってやっぱりヨリを戻したい、とか言われちゃったりして)


 色気があり過ぎても大変なんだなとアデリナは頷く。


「大変ですね」

「ああ、君ならわかってくれるだろう?」


 お互いに何となく通じた瞬間だった。あくまでも何となくだが。


「まあ、そういうわけだから、あの時の口調で話してもらっても構わないよ。むしろ地を知っているから気持ち悪くて仕方ないし」

「それもどうかと……やっぱりこのままでお願いします。偶に口調が崩れるとは思いますが、気にしないでいただけると嬉しいです。中身を磨くためには礼節も大切だと思うので」

「君がそうしたいならいいけど。言っておくが、礼節を重んじることと中身を磨くことは必ずしも一致はしないよ。慇懃無礼な口調で相手を馬鹿にしている場合もあるからね」

「ああ、それはわかります」


 先日のお茶会でも、よく見たし聞いた。


『あなたのお父様は随分とご活躍のようですわね』

『いえいえ、あなたのお父様に比べるとまだまだですわ』


 こんな会話を聞いたが、要約すると、あなたの父親は随分と悪どいことをしているのね、いえいえあなたの父親の方がよっぽど悪いことをしているではないですか、という意味になる。それを満面の笑顔でやっているから、聞いていたアデリナも背筋が寒くなった。


「人の言葉の裏を読むのは嫌ですね。だけど、そうしないとやっていけないのも事実で」

「そうだろう? だから俺は次男ということもあって、もう貴族社会は懲り懲りだと自分で起業したんだ」

「なるほど」


 確かに、ここまで話して理解したオリヴァーの性格では、貴族社会は窮屈かもしれない。その気持ちはわかるとアデリナは頷いた。


「長々と話して悪かった。そろそろ行こうか。君のご家族が興味津々にこちらをうかがっているようだし」

「……重ね重ね申し訳ございません」


 ちらりとアデリナが視線をやると、柱の陰から両親と兄がアデリナとオリヴァーのやり取りを見ていた。あれで隠れているつもりだろうか。アデリナの視線に気づくと慌てて隠れようとするが、更に柱からはみ出している。


「気にしなくていいよ。君がこんな性格になったわけが何となくわかるね」

「褒めてませんよね」

「いや、褒め言葉だよ」


 絶対に嘘だ。オリヴァーはくつくつとおかしそうに笑うが、アデリナにしてみれば面白くない。


 見返してやりたい人。その第一号にオリヴァーが決まった瞬間だった。

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