いつも通り?
「おはようございます!」
翌朝、アデリナはいつも通り出勤した。昨日のことは昨日のこと。オリヴァーが気まずくならないようにと思ったからだ。
意識はして欲しいが、困らせたいわけではない。その違いは何だと問われると説明が難しいが、要するに女扱いされたい、これに尽きる。
ということで、今日は特に服装に気合を入れてみた。オリヴァーがそれに気づくかはわからないが、期待しながらオリヴァーに近づく。
アデリナの気配に気づいたオリヴァーが振り返る。
「ああ、おはよう」
「今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
オリヴァーもいつも通りだ。そのことにホッとしながらも、何となく釈然としない気持ちになる。
少しは意識して欲しかったのと、自分の変化に気づいて欲しかったのだ。そんなわがままな自分が恥ずかしい。アデリナは頭を下げると、そそくさと荷物を置きに奥へと向かう。
だが、ちゃんと足元を見ていなかったアデリナは、床に置かれた荷物に足を引っ掛けた。
「えっ、きゃっ……」
「危ない!」
前のめりに倒れそうになったアデリナを、オリヴァーがアデリナの腕を掴む。だが、それではアデリナの勢いが止まらない。オリヴァーが力を込めて掴んだ腕を自分の方に引くと、アデリナはそのままオリヴァーの胸の中に収まった。
「ふう、間に合った……」
「え? え?」
アデリナのすぐ上から、オリヴァーが安堵する声が聞こえる。アデリナの背中に回された腕は力強くも温かい。アデリナは今、自分が置かれている状況が信じられなかった。
転びそうになって跳ねた鼓動は一層高まり、アデリナから周囲の音を奪いそうなほどにうるさくなる。
ゆっくりと顔を上げると、オリヴァーの心配そうな瞳と目があった。
「アデリナ、大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫、です……」
「大丈夫って顔色でもなさそうだが。赤いぞ」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
そんな二人にタイミングよくクラリッサが声をかける。
「おはよう。あら、ごめんなさい? お楽しみのところをお邪魔しちゃって」
「あ、クラリッサさん、おはようございます!」
そう返事するアデリナは、まだオリヴァーの腕の中だ。クラリッサが登場したことで、離れるタイミングを逃してしまった。
「おはよう、アデリナ。今日も可愛いわね」
「いえ、そんな。クラリッサさんは今日もお綺麗です」
「あらまあ。どこぞの気がきかない男と違ってアデリナはわかってるわね。その褒め言葉が女を綺麗にさせるのよ」
クラリッサは嫌味たらしくオリヴァーを見る。オリヴァーもアデリナを離すことを忘れてため息を吐く。
「……お前に言っても仕方がないだろう」
「なら、アデリナにはちゃんと言ったの? 今日もあんたのアドバイス通りに服装や化粧に工夫しているのが見てわからないの? あーやだやだ」
「あのなあ……ただでさえ俺はお前に猥褻物だのと言われてるんだぞ。そんな俺がアデリナを口説くようなことを言えば、お前は更に面白がるだろうが」
「ふうん。じゃあ、気づいてたの?」
「そりゃあ、気づくだろう」
オリヴァーの言葉にアデリナは嬉しくなった。ただ言わなかっただけで気づいてはくれていたのだ。
そこまで話すとオリヴァーが眉を顰めた。
「ちょっと待て。その言い方だと、俺とアデリナの会話を聞いていたようだが……お前、もしかしてずっといたのか?」
「ふふふ。実は、アデリナが来る少し前からね。オリヴァーが気の利いたことを言えるか、物陰からこっそりと様子をうかがってみました!」
「みましたって、お前……」
オリヴァーは呆れたように言うが、アデリナにはクラリッサの気持ちがなんとなくわかった。
「……もしかして、私がちゃんと来るか、心配してくれたんですか?」
昨日、クラリッサはアデリナとオリヴァーの間に何かがあったことに気づいていた。その後オリヴァーが話したかはわからないが、アデリナを心配してくれたのだろう。だが、クラリッサはどこ吹く風ですっとぼける。
「さあ? 何のことかしら?」
「ふふ。ありがとうございます。でも、私がやりたいって言ったんです。それを中途半端に投げ出すことはしませんから、安心してください」
「そう。いい顔してるわね。だけど、二人はいつまで抱き合ってるつもりなのかしら? 仲がいいのはいいけれど、まだ未婚のアデリナが噂になったら困るでしょう? それがここで働く条件でもあるんだから」
そこでアデリナははたと気づいて、オリヴァーの顔を見上げた。すると、オリヴァーもアデリナを見下ろしていたようで、視線が交差する。この体勢はまるでアデリナが口づけをせがんでいるようだ。慌ててアデリナは俯く。
「あ、す、すみません。オリヴァー様」
「あ、いや、こちらこそ悪かった」
そしてようやくオリヴァーはアデリナを離した。だが、ついさっきまで感じていた温もりが離れていくのが寂しくて、アデリナは思わずオリヴァーの服の裾を掴む。そんなアデリナにオリヴァーは不思議そうだ。
「うん? どうしたんだ?」
「あ、いえ、何でもないです……」
近づくのは緊張するのに、くっついたら離れたくないなんてどうかしている。初めての感情にアデリナは戸惑っていた。アデリナは余程不安そうな表情になっていたのか、オリヴァーはアデリナを安心させるように頭を撫でる。
「まあ、それならいいが。そこに荷物を置いたのは俺だから、悪かったな」
「いえ、いいんです。こちらこそ、なんだかすみません。凹凸がなくて……」
アデリナのような幼児体型だと、抱きしめたところで楽しくもないだろう。クラリッサのような体型だったらよかったのに。アデリナが謝ると、オリヴァーは苦笑する。
「いや、そんなことを謝らなくても。それに、アデリナはそう言うが、凹凸がないことはなかったぞ」
「うわ、オリヴァー最低! アデリナをそういう目で見てるのね! 不潔!」
「クラリッサ……お前、面白がってるな。そこで俺が否定しなければ、アデリナの乙女心を踏みにじっただのと言うつもりだろうが」
「まあね。よくわかってんじゃない」
「わかりたくもないが」
ぽんぽんと言い合う二人の関係が今ほど羨ましいと思ったことはない。アデリナは呟く。
「いいなあ……私もクラリッサさんみたいだったらよかったのに」
美人でスタイルが良くて、オリヴァーの片腕で信用されていて。クラリッサのようだったらオリヴァーだって恋愛対象として見てくれたに違いない。
だが、クラリッサは笑いとばす。
「アデリナが私みたいだと、オリヴァーが逃げるわよ。私だけはないって言ってるくらいだから」
「ああ。俺の中でクラリッサは男だ。アデリナは見習っては駄目だぞ」
「私だってあんたみたいな男はお断り」
「アデリナはアデリナだ。誰かと比べる必要なんてない。アデリナらしい大人の女性を目指せばいいんじゃないか?」
「オリヴァー様……」
そしてアデリナとオリヴァーは、暫し見つめ合う。
「あのー、もしもし? 二人の世界を作るのはやめていただけませんかね? 私がすごく居辛いんですが」
クラリッサがそうして茶々を入れる。アデリナの顔がまた赤くなった。
「す、すみません! そんなつもりじゃ……!」
「わかってるって。クラリッサはそうやってアデリナの反応を楽しんでいるんだ。本当にしょうがない奴だな。アデリナはあんな風になるなよ」
「ええ? 私、一番クラリッサさんに憧れているんですが……だって美人だし、カッコいいし、スタイルいいし、頼り甲斐あるし、それに……」
「あああー! もうやめてー! アデリナ、褒めすぎだから! 聞いてる本人が恥ずかしくなるから!」
クラリッサは赤くなって羞恥に悶えている。軽く褒められるよりも真剣に語られると、結構堪えるのかもしれない。オリヴァーは吹き出す。
「ははは。よかったな、クラリッサ」
「……くそう。アデリナ恐ろしい子……」
「ええ? 私のせいなんですか?」
納得いかないアデリナは、この後更にオリヴァーを真剣に褒めてオリヴァーを赤面させるのだった。
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