オリヴァーの思い

 しばらくしてアデリナが帰った後、オリヴァーとクリスタは人払いをして、客室で話していた。


「お兄様、アデリナのこと、満更ではないのでしょう? どうして応えてあげないのです?」

「可愛いとは思うが、それだけで応えられるわけがないだろう。アデリナは貴族の令嬢だ。遊びで付き合える相手じゃない」


 オリヴァーの言葉に、クリスタは片眉を上げる。


「よく言いますわ。それならあの女、いえ、デーニッツ伯爵夫人はどうなりますの?」

「……だからわかったんだ。ローザとは本気で付き合っていたつもりだったが、俺は覚悟がなかった。だからローザは俺じゃない男と結婚したんだろう」


 オリヴァーがローザと付き合っていた時は、相手の人生を背負う責任まで考えていなかった。ただ、好きだという気持ちさえあればいろいろなことを乗り越えられると楽観視していた。それが間違いだったのだろう。


 ローザは一人では生きていけない女性だった。


 ローザは生まれた時から貴族である父親の庇護下で育ち、守られるのが当たり前だと思っていた。妻子持ちの男性に惹かれながらも、自分を守ってくれる男を探していた。


 オリヴァーにもそれを求めたが、経済力、精神面で不安があったから見限って、これまで守ってくれていた父親の勧める男と結婚した。父親の勧める男なら問題はないはずだと信じて。


 だが、ローザの夫はかつてローザが惹かれた男と同じように未婚女性と関係を持ち、ローザを裏切った。ここからがローザとは違うのだが、ローザの夫はその女性と再婚したいからローザと別れたいと話しているそうだ。


 それでローザはオリヴァーに逢いに来たのだ。また守ってくれる男を求めて。


 男性優位の社会だから、夫から離婚を求められたら妻は応じるしかない。そして、一方的に離婚を申し渡された女性は、本人に過失がなくてもあると見なされ、悲惨な末路を辿る。実家に帰ったら後ろ指をさされ、再婚するとしても後ろ暗い噂のある男ばかり。それが嫌なら修道院に入るしかない。だが、規則が厳しく世俗から離れた暮らしに、贅沢に慣れたローザが耐えられるはずがない。


 そういったことをドレスの打ち合わせの時にローザはオリヴァーに訴えた。


 だが、オリヴァーの心は欠片も動かなかった。それどころか冷めていく一方だ。盲目的にローザを愛していたあの頃ならともかく、歳を重ね、様々な人と関わり、見る目を養ってきた。


 クラリッサにしろ、アデリナにしろ、自分の生き方を模索している女性を知った今では、ローザの他人に依存するところが重く感じる。そして、毎日楽しそうに働くアデリナを好ましいとオリヴァーは思っていた。


「覚悟とはどういう意味ですの?」

「それは……ローザを幸せにするという覚悟だ。俺は貴族籍にあっても、跡を継ぐわけでもない。何不自由ない生活をさせることはできないと思ったから、何も言えなかった。だから、ローザだけが悪いわけじゃない。俺の考えが甘かったんだ」

「呆れた……お兄様がそこまで責任を持つ必要はないでしょう? 何不自由ない生活って何ですの。わたくしたちだって、食べ物には困らないかもしれないけれど、貴族としての責任の上に生活が成り立っているではないですか。不自由はどこかしらに生じるものですわよ」

「そうだな。だが、あの頃はローザに頼られることが嬉しかった。だから俺は彼女のために何でもしようとして、彼女を誰かに依存しないと生きていけないような女性にしてしまったのかもしれない。それもまた、俺の責任だろう」


 オリヴァーは昔を懐かしむように目を細める。ローザには悪いことをしたかもしれない。だが、あれからどれだけの時間が経ったのか、ローザはわかっているのだろうか。それなのに、ローザはまだオリヴァーが自分を愛していて、助けてくれるだろうと期待しているのだ。もう昔のことだと何度も説明したのだが、あの頃はよかったと言ってはさめざめと泣く。


 ドレスが出来上がるまでの間、ローザはきっと店に通い詰めるだろう。その熱意を何か別のものに使えばいいのにと、オリヴァーは疲れたように溜息をつく。


 クリスタはそんなオリヴァーに刺々しい口調で言う。


「勘違いなさらないでくださいませ。女性は男性の庇護下でしか生きられないわけではありませんわ。置かれた境遇を嘆くだけでなく、立ち向かおうとする方もいらっしゃいます。クラリッサやアデリナを見ていてわかりませんの? 彼女たちは与えられることを望んではおりません。自分で手に入れるために努力しているではないですか」

「そうだな……だから俺は……」


 先程ドレスのデザインについて真剣に語るアデリナの横顔に見惚れた。子どもだと侮っていた彼女の大人びた眼差しが眩しかったのだ。


 至近距離でアデリナと見つめ合い、オリヴァーの心に思いが溢れてきた。


 ──触れたい。


 クリスタが来なければ、甘やかな感情に支配されるまま、アデリナに口づけしていたかもしれない。それがオリヴァーには怖かった。


 一時の感情で手を出して、アデリナを傷つけることにならないか、アデリナをローザのように変えてはしまわないだろうかと。


 真っ直ぐにオリヴァーを好きだと言ってくれるアデリナを、可愛いと思い始めたのはいつからだったかは覚えていない。確かに外見が幼い彼女を、最初は恋愛対象には見られなかった。


 少しずつアデリナを知るたびに、オリヴァーの心の隙間をアデリナが埋めてくれた。頼れる相手なら誰でもいいとローザは思っていたようだが、アデリナは違う。オリヴァーだけを求めてくれることが表情や態度でわかる。その嘘のつけないわかりやすいところにも好感を持った。


 オリヴァーだけを求めているのがわかるのに、アデリナは決して寄りかかりはしない。依存するのではなく、自分も頼られたいと思っているのがわかる。そのバランス感覚も、一緒にいるとほっとする。


 もうだいぶアデリナに気持ちが傾いている自覚はあるが、それでもオリヴァーはアデリナの気持ちを受け入れようとは思えなかった。


 アデリナに逃げ道を与えるため、と言えば聞こえはいいが、結局はオリヴァーはアデリナを幸せにすることに責任を負う自信がないだけなのだ。


(俺はあの頃から何も変わっていないのかもしれないな……)


 こんなに情けない男だとわかれば、ローザ同様アデリナだって離れて行くに違いない。


 遊びなら付き合えるのに、本気となると尻込みしてしまう。


 見た目も仕事の腕も成長したのに、肝心の中身が育っていない。


 オリヴァーが自嘲するように笑えば、クリスタは嘆息する。


「まあ、いいですわ。失って後悔するのもお兄様ですし。ただし、ローザだけはやめてくださいませ。彼女と結婚するとなれば、わたくし今度こそお兄様と縁を切りますわよ。彼女なら、あなたの子どもです、と言って別の男の子どもを押し付けかねませんわ」

「いや、さすがにそれは……」


 オリヴァーは苦笑いで否定しようとしたが、それもあり得ない話ではないと思い至り、声が小さくなった。


「ほら、やっぱりお兄様も思っていらっしゃるのではないですか。本当に女性を見る目がありませんわね。真面目にお付き合いできる方を見つけてはいかがですの?」

「うるさい。お前こそさっさと嫁ぎ先を見つければいいだろう」


 痛いところを突かれてオリヴァーはついつっけんどんな口調になる。だが、クリスタは頓着することなく、自慢気に胸を張る。


「あら。わたくしこう見えても引く手あまたですのよ。ファレサルド伯爵家の娘として恥ずかしくない教養もありますし、顔もスタイルも悪くありませんもの」

「……自分で言うな」

「自分で言わなければ誰も言ってくれませんもの。自分の味方はやっぱり自分。わたくしが一番わたくしを愛さないでどうしますの」

「……お前、大丈夫か?」


 オリヴァーとは違った意味で、クリスタに恋愛ができるのかと心配になるオリヴァーだった。

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