一触即発
ドレスのデザイン画が仕上がったので、今度は型紙だ。とはいえ、アデリナにはまだそこまでの技術が身についていない。そのためクラリッサかオリヴァーに教えを請うつもりだったが、クラリッサは慣れない淑女教育で疲れているし、オリヴァーはローザのドレスの仕立てで忙しそうだ。どちらにも頼みづらくて迷っていたら、オリヴァーから申し出てくれた。アデリナは、それにありがたく甘えさせてもらうことにしたのだった。
◇
仕事中はオリヴァーが教えられないからと、仕事が終わってから見てもらうことになった。家には連絡済みだ。
「それじゃあ、型紙を作る工程だな。とりあえず上半身部分とスカート部分にわかれるということまでは大丈夫か?」
「はい。最初の頃に教えていただきましたし、何度か仮縫いを見学させていただきましたから。パーツにわけるんですよね」
「ああ、そうだ。上半身は前面部の前身頃が一枚、その両脇の前脇身頃が二枚、後身頃が三枚、その両脇の後脇身頃が二枚」
「ちょっと待ってください!」
オリヴァーが図を書きながら説明するのを、アデリナも書き写していく。アデリナが写し終えたのを確認すると、オリヴァーは続ける。
「次にドレス部分だが、前スカートが二枚に、前脇スカートが二枚、後スカートが二枚に、後脇スカートが二枚必要になる」
「はい」
アデリナは書き写すと溜息をつく。上下合わせて十六枚。枚数は少ないように感じるが、そこからの手間を考えると途方もない。そんなアデリナにオリヴァーは苦笑する。
「型紙が終わったら布を裁って仮縫いで、仮縫いを元に補正する。その後は本縫い用に布を裁って本縫いといった感じだ」
「……すごく簡単に言っていますが、そうじゃありませんよね」
「服一つを仕上げるにはそれだけの労力がいるってことだ。しんどいなら俺が作ってもいいぞ?」
「いえ、それは結構です」
即答だった。
マーカスはちょこちょこ店を訪ねてくるからアデリナの仕事ぶりを知っている。だが、両親はマーカスやアデリナからしか、その様子を知ることがない。だからアデリナは学んだ結果を両親に見せるためにも、自分で作り上げたいのだ。
オリヴァーもそれはわかってくれているようで、柔らかな笑みを浮かべる。
「まあ、アデリナならそう言うだろうと思ったよ。だが、どうしても無理だと思えば言ってくれ」
「ですが、オリヴァー様はデーニッツ伯爵夫人のドレスが……」
オリヴァーとローザの関係を知っているから、アデリナの声は徐々に小さくなる。オリヴァーは笑顔で首を振る。
「いや、大丈夫だ。それに、そのデーニッツ伯爵夫人のドレスを作るのに、アデリナにも協力して欲しいんだ。仮縫いになれば男の俺では調整しにくいからな」
「あ、そうですね。体に合わせて針で留めていかないといけませんが、下着姿でないと無理ですから」
人妻であるローザをオリヴァーの前で下着姿にさせるのは憚られる。それこそ醜聞を再燃させることにも繋がりかねないだろうと、アデリナも納得した。
「そういうことだ。だから、俺も喜んでアデリナに協力させてもらう。遠慮はいらない」
「オリヴァー様……ありがとうございます。それでは型紙を作ってくるので、またご指導よろしくお願いします」
「ああ、任せてくれ」
その後、詳しい手順を教えてもらううちに遅くなり、オリヴァーがアデリナを馬車まで送ってくれた。これから自分がデザインしたドレスが形になっていくのを想像して、アデリナは心地よい疲れに浸るのだった。
◇
「ようこそいらっしゃいました。デーニッツ伯爵夫人」
「ええ。今日は仮縫いしたドレスの試着をお願いしているのだけど、オリヴァーはいるかしら?」
迎えたアデリナに目もくれず、ローザはきょろきょろと周囲を見回してオリヴァーを探す。その様子から、ローザはまだオリヴァーが好きなのだとアデリナも察した。
「いえ、本日はわたくしとクラリッサが担当させていただきます。試着ともなると肌を露出させることになりますので……」
「あら、わたくしでしたら気にしないのだけど。オリヴァーとは知らない仲ではないし」
ローザはそう言うが、そういう問題ではない。仮にも伯爵夫人が外聞を気にしないのはいかがなものかとアデリナでもわかる。ただ、そうまでしてもローザはオリヴァーを手に入れたいのかもしれない。
「申し訳ございません。オリヴァーからも頼まれておりますので、承知していただければと思います」
「仕方ないわね。まあ、いいわ。どうせまた会えるでしょうし」
つまらなそうにローザは呟く。
サイズ補正はクラリッサ一人でもよかったのだが、オリヴァーはアデリナをクラリッサの助手につけた。アデリナが自分のドレスを作る時に参考になるからという理由のほかにもう一つあった。
アデリナの後ろからクラリッサが出てきて挨拶をする。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。わざわざ足を運んでいただき、誠にありがとうございます」
「いえ、いいのよ」
にこやかに話すクラリッサのこめかみには青筋が立っている。本当は怒り出したいのを必死に我慢しているようだ。
アデリナは、ふとオリヴァーがクラリッサにローザの仮縫いの手伝いを頼んだ時のことを思い出した。ローザの名前を出すや否や、クラリッサは不機嫌になった。クリスタ同様、クラリッサもローザに好感を持てないらしい。
今の言葉も遠回しな嫌味だ。さしずめ、夫のいないところで男を追いかけ回してるんじゃないわよ。オリヴァーに手出しができないように屋敷に呼びなさいよ、といったところだろうか。事実、クラリッサは昨日そんなことを言っていた。
貴族の遠回しな嫌味の応酬に慣れているアデリナだったが、クラリッサはそういった会話術ができるのだと感心してしまった。これなら貴族社会にも馴染みやすいかもと、変なところでほっとする。
まあ、そういうわけでクラリッサを止める役割としてもオリヴァーに頼まれたのだった。そのオリヴァーは、姿を見せたらローザがオリヴァーがいいと言い出しかねないので、別の客の屋敷での打ち合わせに出かけている。店じまいの後にアデリナのドレスを指導するため、その時間に合わせて帰ってくる予定だ。
「それではこちらにどうぞ」
「ええ、仕方ないわね」
あからさまに我慢してやっているという態度を出すローザに、クラリッサの笑顔が崩れそうだ。ハラハラと手に汗握る思いで、アデリナは二人の後をついて行った。
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