幸せなひと時

 その後、ローザはあれこれと注文を付けてはクラリッサの神経を刺激し、その度にアデリナの寿命が縮みそうになった。ローザは貴族で普段から使用人に命令することに慣れているのだろう。ちょっとしたことでもクラリッサに命令するので、代わりにアデリナが率先して動いた。神経を張り詰めていたせいか、ローザが帰った後はアデリナはヘトヘトになっていた。


「……終わった」

「ええ……すごく長かったわね」


 疲れ切った二人が店じまいのために掃除を始めると、ようやくオリヴァーが帰ってきた。オリヴァーは二人の様子に怪訝な顔をする。


「ただいま……って、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。お帰りなさい」

「……何が大丈夫か、よ。あんたのせいでしょうが!」


 先程までの疲れを滲ませつつも、クラリッサは怒鳴る。その剣幕に押されたオリヴァーは助けを求めるようにアデリナに視線を向けるが、アデリナは笑うしかなかった。察したオリヴァーは素直に謝る。


「悪かったな、二人とも」

「……たしかに彼女はお客様よ。だからどんな注文でも聞くわよ。だけど、限度があるのよ! 何かにつけてオリヴァーじゃないと嫌だの、言われた通りにすればあなたはわかってない、やっぱりオリヴァーじゃないと駄目だのって。あの様子じゃ、そこまでドレスではなくあんたが目的だってすぐにわかるわ。それもこれもあんたが中途半端に優しくするからでしょう!」

「……俺はちゃんと終わったことだと言っているんだが、聞く耳を持たないんだ。多分、そこまで追い詰められているんだろう」

「あの調子だと、これからもずっとあんたに執着するわよ。さっさと本命作って諦めさせなさいよ」


 クラリッサが腹を立てるのはそれだけオリヴァーを心配しているからだろうとアデリナにはわかる。大切な友人であり、共同経営者なのだ。


 アデリナがオリヴァーに視線をやると、オリヴァーと視線が絡まった。何か言いたげな顔にアデリナは首を傾げる。オリヴァーは何故か目を逸らした。


「……本命といっても、相手に責任を持てなければ駄目だろう。中途半端なことをすればそれもまた相手を傷つけることになるんだから」

「あんた、見かけと中身の差が本当に激しいわね。まあ、でもいい傾向よ。前は来るもの拒まず、去る者追わずだったもの。最近は話を聞かないから落ち着いたのね」

「いや、まあ……そうだな。そんなことよりさっさと片付けるぞ。今日も続きをやるんだろう、アデリナ?」

「はい。お願いします!」


 ローザとのやり取りでの疲れは何のその、時間は有限なのだ。思い描いたドレスを完璧に仕上げるためにも休んではいられない。アデリナは元気よく頭を下げるのだった。


 ◇


「それじゃあ後は二人でごゆっくりー」

「ごゆっくりも何もドレスを作るだけなんだが」

「そうですね」


 手を振りながら帰っていくクラリッサに、オリヴァーとアデリナは顔を見合わせて苦笑する。とはいえ、アデリナにとってはオリヴァーと過ごせる貴重な時間だ。クラリッサの気遣いに感謝していた。


「型紙を作って、布の裁断までやってきました。こんな感じでどうでしょうか?」

「ああ、いいと思う。というより、ここからの方が難しいからな。ここで躓くと後が大変だ」

「後は仮縫いして試着、補正ですよね。それはさすがにオリヴァー様にお願いできないので、クラリッサさんにお願いしようと思っています。次のお休みは一緒にダンスのレッスンがあるので」

「ああ、そうか。社交界デビューもあと二ヶ月足らずだな。そちらの準備は順調か?」

「ダンスが苦手なので相手の足を踏まなければいいのですが……オリヴァー様も夜会には出席されるのですか?」

「ああ。顧客の方々もいらっしゃるから、出席する予定だよ」


(誰と行くのかしら)


 夜会にはパートナーが必須だ。婚約者や配偶者がいればパートナーは必然的に婚約者や配偶者になる。だが、いない場合は家族や意中の異性を誘うこともある。そのためアデリナはオリヴァーが誰を誘うのか気になった。


「あの……」

「それで……」


 二人が同時に口を開いて、同時に口をつぐむ。アデリナがまた口を開こうとして、オリヴァーも何か言おうとしていることに気づき、次の言葉を待った。


「遮ってすまない。それで、アデリナはパートナーはいるのか?」


 アデリナは思わず目をパチクリとさせた。同じことを言おうとしていたことに気づいて笑ってしまう。オリヴァーが怪訝な顔になったので首を振る。


「いえ、同じことを聞こうとしていたので、すごいなって思って。私のパートナーはお兄様です。クラリッサさんはまだ貴族籍に入っていないので出席できませんから」

「そうか。俺はクリスタと出席するつもりなんだ。婚約者も妻もいないからな」

「そうなんですね」


 クリスタと聞いてアデリナはほっとする。ローザはと思いかけたが、ローザは人妻だ。夫と出席するのだろう。


「社交界デビュー、うまくいくといいな」

「はい。一生に一度ですから。そのためにドレスも妥協はしたくないんです。やり遂げたらまた新たな目標も見つかるかもしれませんし」


 先のことなんてわからない。今を全力で頑張るだけだ。アデリナが笑いかけるとオリヴァーは眩しそうに目を細めた。


「それでドレスのことで質問があるんですがいいですか?」

「もちろん。どんなことだ?」

「あのですね……」


 そうして二人きりの勉強会は遅くまで続いた。


 アデリナが自分のドレスを製作するようになってからは毎日のように帰りが遅い。その度にオリヴァーはアデリナを心配して馬車止めまで送ってくれていた。


 二人きりの大切な時間。短時間でもアデリナにとってはかけがえのない時間だ。


 そんな幸せを噛み締めながらアデリナは帰路についた。

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