あこがれのノーティーは

 それからマーカスとクラリッサはすぐに婚約し、半年の婚約期間の後に結婚した。マーカスは結婚を急ぎたかったが、クラリッサの仕事の引き継ぎや、結婚式の準備に半年かかったのだ。


 マーカスは弱小男爵家とはいえ、次期男爵家当主だ。そのお披露目に恥ずかしい格好はできない。それにクラリッサも、一生に一度のウェディングドレスには思い入れがあり、デザインから縫製までを、仕事や淑女教育の合間にこなしていた。しかも、ウェディングドレスの作り方を、次に嫁ぐであろうアデリナに教えながら仕上げたのだ。あまりの忙しさに、クラリッサが倒れないかと周囲が心配するほどだった。


 その頑張りもあって、クラリッサはベールマン家の嫁として、両親に温かく迎えられた。


 そして──。


 ◇


「なあ、アデリナ。ネルリンガー子爵令息に口説かれたって本当か?」

「あっ……!」


 不機嫌そうなオリヴァーの問いに、布を裁っていたアデリナの手元が狂いそうになる。話をするならせめて布を裁ってからにして欲しいと、アデリナは恨みがましくオリヴァーを見た。それに今は仕事中でオリヴァーは出かけていたはずだが、いつの間に店に戻ってきていたのだろうか。


「誰から聞いたんですか。そんなに大袈裟な話ではありませんよ」

「ということは事実なんだな。ネルリンガー子爵令息、本人から聞かされたよ。人の婚約者に一体どういうつもりなのか。もう、こうなったら結婚するぞ。これ以上は待てない」


 オリヴァーは憤慨するが、アデリナとしてはそんなに大層な話だと思っていない。そのネルリンガー子爵令息は十六歳で結婚できる歳ではないのだ。仕事で会った際に、『あなたの婚約者よりも先に出会いたかった』という社交辞令を言っただけに過ぎない。だから言わなかったのだが。


「君の意思を尊重して婚約期間を延ばしたが、もういいだろう? 結婚した方が一緒にいられるから君の手助けだってできる。まだ半人前だと言うなら、クラリッサのように結婚して実地で学んでいけばいいし」

「それはそうですが……」


 マーカスとクラリッサが結婚してから約三ヶ月。アデリナとオリヴァーはまだ結婚していなかった。アデリナには結婚生活と仕事の両立ができる自信がなかったし、クラリッサの妊娠が最近わかったのだ。環境が変わった上に初めての妊娠で不安になるクラリッサを支えたいと思ったので、せめて出産が終わるまでは待って欲しいとオリヴァーにお願いしていた。


 だが、一番の理由は閨を共にしていないことが大きい。結婚した後にオリヴァーにがっかりされたらどうしようという不安につきる。


 クラリッサにスタイルを維持するための秘訣のようなものを教えてもらってはいるが、アデリナにはあまり効果が出ていない。


 オリヴァーは真剣な表情でアデリナの手を握る。


「君の気持ちもわかるし、尊重したい。だが、婚約期間が長くなれば長くなるほど、この婚約が建前のものだと勘ぐられて変な男が寄ってくるだろう? 心配なんだよ」

「……そんなことはないですが」


 オリヴァーの心配は杞憂だろう。アデリナがそんなにモテるはずがない。むしろ心配なのはオリヴァーの方だ。婚約してからも、色っぽい女性たちに秋波を送られていることをアデリナは知っている。顔を曇らせるアデリナに、オリヴァーもアデリナの不安に気づいたようだ。視線を合わせて尋ねてくる。


「何が不安なんだ?」

「……私、相変わらず凹凸がないですし、結婚してやっぱり違うってオリヴァー様が後悔するんじゃないかって」

「え?」


 オリヴァーは虚を突かれたような表情になった。アデリナとしてはその反応に驚く。


「何で驚くんです? オリヴァー様は少女趣味ロリコンじゃないでしょう?」

「いや、だから言っただろう? アデリナは子どもじゃないと」

「……ですが、私にその、触れようとしないのは私に魅力がないからじゃないんですか?」

「してもよかったのか?」

「私、ダメだって言ったこと、ありましたっけ?」

「いや、ないが……アデリナは初心うぶだから、アデリナのペースに合わせようと思ってしなかっただけで……そうか。それで不安になったのか……」


 オリヴァーは一人で納得している。アデリナにはオリヴァーの考えなんてわからない。話してくれないとわからないのだから。


「……わかった。そんな心配がいらないとわからせればいいんだな。よし。アデリナ、今日はうちに泊まると家に連絡しておくように」

「え、そんな、急に言われても……」

「いいや。もう聞かない。アデリナは言葉だけだと不安になるだろうから、体で思い知らせた方がいいと俺にもわかった。ああ、着替えなら俺のもあるし、安心してくれ」


 アデリナの顔がみるみるうちに赤くなる。言われた内容に目を白黒させるアデリナの両頬を挟むと、オリヴァーはニヤリと笑う。


「……今夜が楽しみだ」

「っ!」


 垂れ流しの色気にアデリナは鼻血が出そうになる。やっぱりオリヴァーには敵わないのだ。『歩く猥褻物』のあだ名は伊達ではないと思い知るのだった。


 そして、お持ち帰りされたアデリナがどんな目に遭ったかはアデリナの口からは言えない。しばらくはオリヴァーの顔をまともに見られずに逃げ回っていたことから察して欲しいと思う。


 アデリナの心配はこうして晴らされ、あれよあれよという間に結婚し、思った以上にオリヴァーの愛が深いことを知るのだった。


 その後、アデリナも腕を上げていき、オリヴァーの片腕として恥ずかしくないほどになった。そんなアデリナには侯爵家に嫁いだクリスタやベールマン男爵夫人になったクラリッサという顧客がいる。そこからの紹介もあって仕事も順調だ。


 その合間に妊娠や出産も経験したが、オリヴァーが手伝ってくれ、何とか両立ができている。


 ◇


 ひょんなことから知り合って、あこがれたノーティー淫らな人は、アデリナの人生のパートナーになった。本当に人生はどう転ぶかわからないものだ。


 それに、ノーティー淫らな人だと思っていたオリヴァーは、臆病で優しい人だった。オリヴァーを外見で判断していたらきっと、こんな幸せは手に入らなかっただろう。


「……私、オリヴァー様に出会えてよかったです」

「うん? どうしたんだ、急に」


 まだ一歳の長女であるティアを寝かせた後、アデリナはソファに腰掛けたオリヴァーの隣に座って、もたれかかる。


「こうして仕事も順調で、子どもにも恵まれて……すごく幸せです」

「それは俺もだよ。仕事に家事に子育てにと、アデリナに負担ばかりかけていないか?」

「そんなことないです。オリヴァー様も手伝ってくれるし」


 結婚しても相変わらずアデリナはオリヴァーを様付けで呼んでいる。オリヴァーはやめてくれと言うが、癖というのはなかなか抜けないので、このままになっている。


「それならいいんだが……体の調子はどうだ?」

「え? 元気ですが、どうしてです?」

「いや、ティアも一人っ子で寂しいんじゃないか? だから、もう一人欲しくないか、なんて……」

「ええ? ティアはまだ一歳だし、そんなことは言わないと思うのですが」


 アデリナが目を丸くすると、オリヴァーがバツが悪そうに白状する。


「……俺がもう一人いたら楽しいと思っただけだよ。だって一人娘だぞ? 嫁に行ったら寂しくなるだろう。もう一人娘がいればまだ寂しくないかもしれないし、男の子がいれば店を任せることもできるし」


 アデリナは吹き出す。


「何年先の話をしているんですか。それに、結局何人欲しいんですか。これまで言わなかったのは両立が大変だと思ったからでしょう? もっと早く言ってくれればよかったのに」

「いや、大変なのはわかるから。そんな無理は言ってはいけない気がしてな」

「……私にも兄がいるからティアにも兄弟がいるといいとは思いますよ。ただ、そんなこと私の口からは言いにくいじゃないですか」

「ん? なんでだ」

「だって、つまり、子どもができるということは、そういうことをねだるってことで……」


 アデリナがモジモジすると、オリヴァーは苦笑する。


「それは今更じゃないか?」

「だとしてもです!」

「そうか、気がつかなくて悪かった。それなら同じ気持ちだと思っていいんだな」

「……はい」


 アデリナが目を瞑り、オリヴァーの顔が近づいてきたと思うと、けたたましい泣き声が割って入る。


 二人は顔を見合わせて苦笑する。


「また後で、だな」

「ですね」


 だけど、家族が増えるのも近い将来だろう。アデリナはそんな予感に微笑んだのだった──。

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あこがれのノーティー 海星 @coconosuke

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