ファーストダンス

 城内に入ったアデリナは、陛下への謁見のためにオリヴァーと別れて謁見の間へ向かう。オリヴァーも、マーカスと同じくアデリナが失敗しないかと心配して、ついてこようとしていた。二人にはどれだけアデリナが粗忽に見えているのだろうか。アデリナはより一層やる気になったのだった。


 ◇


 陛下への謁見はそれほど時間がかからなかった。成人する貴族の子女の数がそれほどではなかったこと、この後の夜会に備えて陛下が一言二言お祝いの言葉を述べるだけに留められたことが大きな要因だろう。


 これを皮切りに本格的な社交シーズンに入るのだ。アデリナは大人の一歩を踏み出して、気持ちが高揚していた。急いでオリヴァーの元へ急いだ。


 廊下で待ってくれていたオリヴァーに駆け寄ろうとして、アデリナは足を止めた。


 離れた位置から見てもオリヴァーは際立って格好いい。これまで普段着しか見たことがなかったアデリナだが、黒の礼装に身を包んだオリヴァーは元々のスタイルの良さに加え、いつもの色気に上品さが足されて、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


 まあ、近寄りがたいと感じる一番の原因は、オリヴァーを取り囲んでいる夫人や令嬢の存在が大きいだろう。オリヴァーという花の蜜を求めて近づいてきた蝶のように華やかだ。彼女たちに気後れして、アデリナはオリヴァーに声をかけるのを躊躇してしまった。


(……私、いつのまにか忘れていたんだわ。オリヴァー様が別世界の住人だってことを)


 格上の伯爵令息で、外見も申し分ない。あのお茶会がなければ知り合うこともなかった。そう考えると、アデリナはオリヴァーに近づいてはいけない気がした。


 オリヴァーがアデリナに気づいて、こちらに寄ってこようとするのをアデリナは手を振って制した。『先にホールに行きます』と身振り手振りで合図をすると、アデリナは身を翻して歩き始めた。


「アデリナ!」


 アデリナとは足の長さが違うから、難なくオリヴァーに追い付かれた。後ろから肩を掴まれ名前を呼ばれる。アデリナが観念して足を止めて振り返ると、不機嫌なオリヴァーがいた。


「どうして先に行くんだ」

「いえ、ちょっと声を掛けづらくて……」

「彼女たちなら顧客の方々だよ。クラリッサが直接屋敷の方にお邪魔することが多いから、アデリナは会ったことがないだろうが。俺は潔白だよ」

「いえ、オリヴァー様を疑っているというわけではなくて」

「じゃあ、なんだ?」


 我ながら卑屈だと、アデリナは自嘲するように笑う。


「……オリヴァー様はやっぱり、別世界の方だと思って。本来なら私と接点もない方だったんですよね。だから、傍にいることが信じられなくて……全てに現実味を感じられないからそう思うのかもしれません」

「アデリナもか? 俺もなんだ」

「え?」


 オリヴァーは苦笑しながら頭をかく。アデリナはオリヴァーの言葉が意外で目を瞬かせた。


「俺もなんだか場違いな気がして、いつも居心地が悪いんだ。だから今日は浮かないように一緒にいてくれないか?」


 そう言ってオリヴァーはアデリナに手を差し出す。それがアデリナへの配慮だとすぐにアデリナにもわかった。アデリナが一人で心細い思いをしないようにと。


 本当に優しい人だ。アデリナはオリヴァーの手を握った。


「……ありがとうございます」

「何のことだ? 礼を言われることはしていないが」


 オリヴァーはとぼけるが、アデリナには伝わった。強く手を握ると、わかっているとでもいうように握り返される。言葉はなくても気持ちが伝わった気がして、アデリナは頬を緩めるのだった。


 ◇


 会場のホールに入ると、アデリナはオリヴァーに手を引かれながらきょろきょろと周囲を見回しながら奥へ進む。


 高い天井から吊り下げられた真鍮でできたシャンデリアが等間隔に配置され、蝋燭の炎で複雑な模様を浮き彫りにしている。模様だけでなく、シミ一つない白壁や、その下の部分に施された精緻な彫刻、鮮やかな真紅の絨毯までもが、その光ではっきりと見える。


 そして、やはり着飾った人々の多さだ。よくもここまで集めたものだと思う人数を、難なく収容している。その上、ダンスが踊れるくらいの空間まであるのだから、広さは推して知るべしというところだろう。


「オリヴァー様、すごいですね……」


 呆然と呟くアデリナに、オリヴァーもしみじみと答える。


「そうだろう? 俺も初めてここに来た時は圧倒されたよ。それに、この人混みだ。はぐれたら会えなくなりそうだから、離れるなよ」

「はい」


 ところどころで談笑する人の隙間を縫って、二人はようやく落ち着ける場所へ来た。


「本当にすごいですね。なんだかクラクラします」

「そうだろう? だから俺も必要以上に来たくはないんだ」

「それなのに今日はエスコートしてくださってありがとうございます」

「いや。アデリナの一生に一度の思い出だ。一緒に参加できてよかったと思っているよ」

「オリヴァー様は本当に優しいですね。ですが、形だけの婚約者に気は遣わなくていいんですよ」


 アデリナが苦笑すると、オリヴァーは顔を顰めた。小さな声で呟く。


「……やっぱりそう思っているのか」

「え、何ですか?」


 聞き取れなかったアデリナは聞き返したが、オリヴァーは「何でもない」と首を振る。いかにも何かあるという顔をしていたが、どうしたのだろうか。そういえば、オリヴァーが夜会当日に何か話があると言っていた。いつ婚約を解消するかという話なのかもしれない。寂しさを押し殺してアデリナは笑って問う。


「そういえば、話したいことがあると言ってましたよね。何のお話ですか?」

「ああ。それなんだが、とりあえずファーストダンスが終わってからにしよう。ほら、音楽が流れてきたぞ」


 オリヴァーの言う通り、ワルツのリズムが聞こえてきて、周囲の人たちがホールの中心へと集まり始める。そちらに視線を向けていると、オリヴァーが言う。


「それでは踊っていただけますか?」


 身長差があるからか、オリヴァーは跪き、手のひらを上にしてアデリナの返事を待っている。


 これは一夜の夢。幸せな夢なのだ。アデリナは、浮かされたように赤い顔でオリヴァーの手のひらに自分の手を重ねる。


「はい、喜んで」


 オリヴァーは笑って立ち上がると、アデリナの手を引っ張ってホールの中心へと向かう。向き合った二人はお辞儀をして近づいていく。


 アデリナは忘れていたが、ワルツとなると密着具合が半端ではない。オリヴァーの胸に抱かれるように引き込まれた。


「アデリナ、ほら手を背中に回して」

「は、はい」


 オリヴァーのリードに合わせて体を動かすが、ドキドキして頭が真っ白になる。自分の鼓動がうるさくて、音楽さえ聞こえなくなりそうだ。


 オリヴァーのリードがうまいおかげで、アデリナの動きが多少ぎこちなくても足を踏まずに済んでいる。


(どうしよう。何だか汗をかいてきちゃった……)


 興奮しているせいか背中が汗ばんできて、アデリナの背中に回されたオリヴァーの手が気になり始めた。徐々に焦りの表情を見せるアデリナにオリヴァーが気づく。


「アデリナ、大丈夫か?」

「……大丈夫、じゃ、ないです……すごくドキドキして……私、汗臭くないですか?」

「別に汗の匂いはしないが……何だかいい匂いがする」

「ひゃっ……」


 耳元でいい声で言われて、アデリナは腰砕けになりそうだ。これじゃあ、身がもたないと、アデリナはヘトヘトになりながらファーストダンスを終えるのだった。

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