社交界デビューの日

 アデリナのドレスは、クラリッサの指導もあってデビューまでになんとか仕上がった。初めて自分で作り上げたから縫い目は綺麗ではないかもしれない。それでもアデリナにとってはこの世界でたった一着しかない特別なドレスだ。


 本当は一番にオリヴァーに見せてお礼を言いたかった。だが、オリヴァーはローザとのことで走り回っていると、クリスタから聞いて連絡ができなかった。


 そこまでする必要はないと当事者であるアデリナはクリスタに主張したのだが、現場を見ていたクリスタは、ローザがまたアデリナに危害を加えかねないと渋い表情だった。


 結局、オリヴァーはファレサルドの名前で抗議したそうだ。貴族籍であることを嫌がっていたオリヴァーが家の名前を使ってまで抗議したことに、アデリナは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 そして、待ちに待った社交界デビューの日が来た。


 ◇


「お兄様、おかしくない?」


 自分が作ったドレスに身を包んだアデリナはマーカスの前でくるくる回る。多くの人たちが集まる中、オリヴァーにエスコートしてもらうのだ。恥ずかしい格好はできない。


 紺色のドレスに合わせて、オリヴァーが贈ってくれた真珠のネックレスをし、髪は編み込んでシニヨンにした。


 オリヴァーには贈り物はいいと言っておいたのだが、婚約の証の指輪と共に渡されてしまうと、受け取らざるを得なかった。そのため、アデリナの左薬指にはその証の指輪が輝いている。


 気合が入ったアデリナとは反対に、マーカスはやる気がない。クラリッサがいないからだろう。つまらなそうにアデリナを一瞥して言った。


「ああ。いいんじゃないか」


 心がこもってないと文句を言おうかと思ったが、そんなことをしている場合ではない。もうオリヴァーが迎えにくる時間だ。


「お兄様も後から来るんですよね? 私は陛下への謁見があるので先に行きますね」

「ああ、行ってこい。陛下に失礼のないようにな」

「もちろんです。頑張ってきます!」


 アデリナは力強く頷いた。


 社交界デビューをする者たちは、夜会の前に陛下へ謁見してお祝いの言葉をいただくようになっている。これが慣習だ。これまで失敗した人はいないと聞いたので、アデリナも大丈夫だろう。


 それよりも心配なのは、その後の夜会でのダンスだ。ファーストダンスは基本的にパートナーと踊るようになっているのだが、アデリナはオリヴァーの足を踏みそうで怖い。


 心配を振り払うようにアデリナは小さく首を振ると、迎えにきたオリヴァーの馬車に乗り込んだ。


 ◇


「アデリナ、そのドレスよく似合ってる。頑張ったな」


 隣り合って座っていたオリヴァーが、アデリナを見て笑顔になった。アデリナも釣られて笑顔になる。


「はい! 間に合ってよかったです。いろいろとありがとうこざいました」

「いや、それはこちらが言わなければ。面倒に巻き込んだ上に、こちらの都合で振り回してしまった。申し訳ないし、ありがたいと思っているよ」

「そんなことはないのですが……ローザ様のことは本当によろしかったのですか? 確かにローザ様がオリヴァー様にしたことは酷いと思います。それでもこれまで黙っていたのは、ローザ様のことを思ってのことだったんでしょう? もし、今回の抗議が私へのものなら、私は気にしていないので取り下げてくださっても……」

「いや、それもあるが、それだけじゃないんだ。彼女はあの美貌もあって、これまで自分の思い通りにならないことがなかったんだろう。そのせいで、自分が間違っていても誰かのせいにして自分の行いを反省することなくここまできた。このまま放っておいては、また彼女は同じことをするだろう。俺は彼女を増長させた責任を取らなければならないんだよ」

「そう、ですか……」


 それならいいのかと納得しかけたが、ローザのその後が気になった。


「それで、ローザ様は……?」


 オリヴァーも後味は良くないのだろう。目を伏せて、苦渋を匂わせる声音で言う。


「……元々デーニッツから出される予定だったから、変わりなく実家に帰されたよ。それで、ファレサルドからローザの実家にも事の顛末を記した抗議文を送ったから、両親の監督不行き届きということでローザはしばらく実家にいることになったそうだ。後で聞いたんだが、ローザは他の男にも同じようなことをしていたらしい。その中から自分を守ってくれそうな男を見つけようとしていたんだろうな」

「……」


 アデリナには何も言えなかった。

 女は男に従うものという風潮が強いこの国では、職業婦人として身を立てていくのは厳しい。だから誰かに縋りたくなる気持ちもアデリナにはわかる。


 アデリナのように、理解のある両親がいて、貴族の子女であっても働かせてもらえる場所に恵まれることは、それほど多くない。


 ローザ自身の育ってきた環境が、彼女をそうさせてしまったのかと思うと、やるせない気持ちになる。


 落ち込んだアデリナを慰めるようにオリヴァーの手がアデリナの頭に置かれた。


「アデリナが落ち込まなくてもいいだろう。君は被害者なんだから」

「いえ、私は……」


 アデリナは別に被害者だとは思っていない。むしろ今回の被害者はオリヴァーの方だ。オリヴァー自らが愛していたローザを追い詰めたことで、オリヴァーは傷ついているのではないかと思う。終わったことをくよくよ考えても仕方がないのはわかっているのだが、オリヴァーの心痛を思ってアデリナも辛くなる。


 オリヴァーはアデリナの顔を覗き込むと笑いかける。


「ほら、今日の主役の一人は君なんだ。一生に一度のことなんだから笑って迎えよう」

「そうですね」


 これ以上はアデリナが踏み込んではいけないのかもしれない。アデリナもぎこちなく笑ってその話は終わった。それから他愛もない話をしているうちに会場へ着いた。


 ◇


「すごい……」


 アデリナは呟く。


 夜の王宮は圧巻だった。

 白亜の城の所々に明かりが灯され、暗闇の中に城を浮かび上がらせている。昼間は威容を誇っている城が、今は幻想的に見えた。そして、そこを行き交う色とりどりの衣装に身を包んだ人々。


 朝が訪れると、この幻想的な光景は消えてしまうのだろう。忘れないようにとアデリナは熱心に周囲を見回す。


 オリヴァーは苦笑する。


「アデリナ、それではいつまで経っても動けないだろう。ほどほどにして早く中に行かないか?」

「すみません。なんだか夢を見ているみたいで」

「今からそう言っていたら、中に入れば卒倒するぞ。俺は中に入ってからの方が驚いたからな」

「ええ? 脅かさないでください」


 アデリナが顔をひきつらせると、オリヴァーは吹き出す。その様子にアデリナは目を眇めた。


「あ、オリヴァー様、私をからかったんですね!」

「いやいや、そんなことはないぞ。本当に君はわかりやすいと思っただけだ」

「……褒めてませんね」

「褒めてるよ。だから俺は救われたんだ」


 オリヴァーは優しい眼差しでアデリナを見る。アデリナも吸い寄せられるようにオリヴァーを見返す。しばらく止まっていたが、後ろから急かすような言葉をかけられ、二人は顔を見合わせて苦笑すると中へと入った。

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