オリヴァーの決着
「お兄様!」
肩を怒らせて、よそ行きのドレスに身を包んだクリスタが店の扉を乱暴に開ける。扉が壊れたらどうしてくれるんだと、オリヴァーは眉を顰めた。
「もう少し淑やかに入ってこれないのか、お前は。壊れたら弁償させるからな」
「そんなことより! お兄様のせいですわよ!」
「もっとわかりやすく話してくれないか? それにお前、今日はお茶会じゃなかったのか?」
そのためのドレスを新調しに来ていたから、オリヴァーも知っていた。
「そうですわよ! そのお茶会が問題だったんです!」
クリスタは興奮していて、内容が要領を得ない。オリヴァーはクラリッサに店を頼んで、クリスタと奥の部屋に入った。
とりあえずクリスタを落ち着かせようとお茶を出し、向かいの席に座る。
「それで何かあったのか?」
「何かあったのか、じゃありませんわよ。大変だったんですのよ。デーニッツ伯爵夫人がアデリナの首を絞めようとしておりました。わたくしが踏み込まなければどうなっていたかと思うと、恐ろしいですわ……」
「なっ」
クリスタの言葉にオリヴァーは戦慄した。ローザがアデリナとの噂を広めたのは、不甲斐ないオリヴァーには、アデリナに対して責任なんて取れないだろうという嘲りもあったのだと思う。そうして自分と同じ位置までアデリナを堕としたかったのだろう。
だが、オリヴァーはアデリナを選んだ。そのせいで間違った方向へと怒りを募らせてしまった。
「それもこれもお兄様のせいでしょう? あの方に期待を持たせるようなことをしたくせに、別の女性と婚約してそのままにするから。アデリナもとんだとばっちりですわね……まさか、お兄様、デーニッツ夫人避けにアデリナを利用したのではありませんわよね?」
つけつけとオリヴァーを責めていたクリスタだったが、話しているうちにその結論に達したらしい。怪訝な顔でオリヴァーを見る。
さすがにオリヴァーは声を荒げた。
「そんなわけがないだろう! 俺は責任を取るために……」
「責任を取るためにですの? お兄様はアデリナへの同情で婚約を申し入れたということですのね」
クリスタの顔はみるみるうちに険しくなる。オリヴァーは慌てて否定する。
「いや、それだけで婚約なんてするわけがないだろう。苦労させるかもしれないが、アデリナならその苦労も分かち合って、共に楽しみを見つけていけそうだと思ったからだ」
忙しくて大変な時でも、アデリナは変わらなかった。決して他人任せにせず、努力をする姿勢が眩しかった。だからこそ、簡単に受け入れてはいけない気がしたのだ。
ローザを誰かに依存しないと生きていけなくさせたのはオリヴァーかもしれない。その事実に気づいてしまったから。
ローザにとっての幸せは金や物だと思っていた。ローザを幸せにするためにと、ローザに与えてばかりだった。
もう同じ過ちは繰り返したくない。アデリナを歪めたくなかった。
だが、アデリナは与えられることを受け入れながらも、違う形で返そうとしてくれる。対等な関係であろうとしてくれるから、もしオリヴァーがやり過ぎたらアデリナが嫌がるだろう。オリヴァーにはそんな確信があった。
クリスタは意外そうに目を瞬かせる。
「え、それだけですの? アデリナを好きだからという気持ちはないんですの?」
「……それをお前に言う必要はないだろう。アデリナ本人にも言ってないのに」
「どうして……」
更に追求したそうなクリスタの言葉をオリヴァーは遮る。
「そのローザとの決着がついてないからだ。俺は何度も説明をしてきたのに聞く耳を持たなかったからな。ちゃんと俺が終わらせないといけないんだ」
「それならもう終わったようなものですわよ。あの方がアデリナに危害を加えようとしたことで、ファレサルドからあの方のご実家に正式に抗議いたします、と言ったら蒼白になっておりました」
「それは家同士の問題だろう? 俺個人がローザ本人にわからせないといけない。そうでなければアデリナを完全に受け入れることなんてできない」
「お兄様、真面目ですわね……まあ、そこまでアデリナのことを本気で考えているということでしょうか。ふふ。お兄様のお気持ちはそれで良くわかりましたわ。ですが、アデリナには全く通じておりませんわよ。どうやらアデリナは形だけの婚約だと思っているようですし。精々頑張ってくださいませ」
クリスタの言葉は腑に落ちた。婚約を申し入れた時のアデリナは納得していないようだった。それでも渋々受け入れたのは、いつか解消されると踏んでのことだろう。
もちろんオリヴァー本人がそうさせるつもりはないのだが。そのためにも、家の問題とは別に、ローザ本人にわからせる必要がある。
仕上がったドレスを渡すという名目で、デーニッツ邸を訪ねる約束をすぐに取り付けたのだった。
◇
「いらっしゃい、オリヴァー」
デーニッツ邸の応接室で、ローザが嬉しそうにオリヴァーに話しかける。オリヴァーが来たことで、アデリナへの狼藉が許されると期待しているのかもしれない。オリヴァーは気づかない振りで仕上がったドレスを広げる。
「デーニッツ夫人、仕上がりはいかがでしょうか? 後で試着していただいて不都合がありましたらお知らせください」
「他人行儀なことを言わないで。わたくしに会いに来てくれたのでしょう?」
媚を含んだ口調が、オリヴァーの気を重くさせる。ローザはここまで愚かな女性だっただろうか。思い出そうとしても思い出せない。それくらいローザとのことは遥か昔のことで終わったことなのだとオリヴァーは痛感した。
「ええ、そうですね。私の婚約者がお世話になったと、妹からうかがっております」
「ええ。少し勘違いしているようだったので忠告したのよ」
オリヴァーは遠回しに嫌味を言ったのだが、ローザには通じない。首を絞めたことも忠告に入るのかと、オリヴァーからするとローザの考えが理解できなかった。
「勘違いとは何ですか? 私はベールマン男爵令嬢を見初めて婚約を申し入れたのですが、それが勘違いだと仰るのですか?」
「ええ。だってあなたはわたくしをずっと思っていたから敢えて他の方々と噂を振りまくような真似をしたのでしょう?」
「それは違うと何度も話したはずです。私は見かけで判断されるならその通りに振る舞えばいいと投げやりになっていました。もう、それも必要はありませんがね。私はアデリナという私自身を見てくれる伴侶を見つけましたから。ですから、あなたともこれきりにさせていただきたい。婚約者、いずれは妻ですが、彼女を不安にさせるようなことはしたくないので。今の私はアデリナを愛しています。そんなアデリナに危害を加えようとしたあなたのことは許せません。それが私個人としての気持ちです」
「またそんな冗談を言って」
ローザは苦笑する。信じていないことがわかり、オリヴァーはあからさまに溜息をつく。
「冗談ではありません。先日クリスタが言った通り、ファレサルドからまずデーニッツに正式な抗議文書を送らせていただきます。ご主人が見たらどうなさるでしょうか。昔の男にちょっかいを出し、その婚約者に嫌がらせをし、狼藉を働いたこと。全て包み隠さずお知らせするつもりですので。覚悟なさってください」
オリヴァーが険しい顔で言うと、ローザはハラハラと涙を流す。かつてはその涙に折れて言いなりになってきたが、今度はそうはいかない。今のオリヴァーには守りたい人がいるのだ。
「どうしてそんな意地悪をするの……?」
「あなたが超えてはならない一線を超えたからですよ。私はもう昔の私ではない。おわかりいただけましたか?」
ローザは項垂れる。オリヴァーも味方にはなってくれないと悟ったようだ。
「もしあなたがまた私の大切な人たちに危害を加えるようなら、全力で潰します。もう、こうして個人的に会うことはありません。それではお元気で」
オリヴァーは頭を下げて応接室を後にした。その後ろからすすり泣く声が聞こえ、後味の悪さを感じずはいられなかった。
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