婚約後のお茶会で

 オリヴァーは、約束通りアデリナと婚約し、それを周知した。クラリッサやクリスタが入れ替わりでベールマン邸を訪れて祝福してくれたが、アデリナの気は晴れない。


 気持ちが通じた上での婚約ならよかった。婚約したことで、オリヴァーは余計にアデリナの手が届かない場所まで行ってしまった気がする。


 夜会まで空いた時間はドレス作りに専念したいからと、アデリナはオリヴァーの来訪を避けた。


 気分は優れなくても、義務は変わらずに果たさなければならない。アデリナは茶会に出席した。


 ◇


「アデリナ様、ようこそお越しくださいました。婚約されたそうで、おめでとうございます」

「こちらこそ、お招きありがとうございます。お祝いの言葉も、重ねてありがとうございます」


 外は肌寒くなってきたため、茶会は室内で行われることになった。アデリナは、ホスト役の夫人に挨拶をして、空いている席を探す。周囲を見回していると、クリスタと目が合った。


 小さく手招きされてアデリナの顔が綻ぶ。クリスタの元へ向かおうとして視界の端にローザの姿が入り、アデリナの歩みが止まった。


 ──デーニッツ夫人がアデリナへの嫌がらせでやっているようなんだ。


 オリヴァーの言葉が蘇る。アデリナにはローザやオリヴァーの考えがわからなかったが、敵意を持たれていることだけは察した。事実、ローザは冷めた目つきでアデリナを見ている。それに気づかない振りをして、アデリナはクリスタの傍へと急いだ。


 ◇


 クリスタの向かいの席に座りながらアデリナは笑顔で話しかける。


「クリスタ様、いらしていたのですね」

「ええ。アデリナのおかげで気分がいいんですの。これからもお兄様をお願いしますわね」

「え? いえ、オリヴァー様にお世話になっているのは私の方なので」


 クリスタはローザを見やってほくそ笑んでいる。アデリナはローザに聞こえやしないかと心配で無難に返した。


 それにしても、婚約は建前だろうに、ここまで周知させる必要があったのかとアデリナには疑問だ。お祝いを言われる度に、騙しているようで謝りたくなる。


 クリスタはオリヴァーから何も聞いていないのだろうかと、さりげなく話を振った。


「……オリヴァー様はお元気ですか?」

「ええ。これまで以上にやる気になっておりますわよ。やはり家庭を持つからでしょうね。そこまで思われてアデリナも幸せ者ですわね」


 クリスタはコロコロと笑う。そこには何の含みも感じられない。クリスタは知らないのだと、アデリナはぎこちなく笑い返した。


「そうそう、そのお兄様が今日のドレスを見繕いましたの? 素敵ですわね」

「いえ、これは私が自分で……いろいろと教えていただいたおかげで、最近はドレスを選んだり、それに似合う髪型やアクセサリーを考えるのも楽しいんです」

「ですが、その割にあまり高価ではなさそうですわね。お兄様に強請ればよろしいのに」


 当たり前のようにクリスタは言う。アデリナは苦笑した。


「うちは弱小男爵家ですから。それにオリヴァー様とは婚約したばかりですし、そんなことお願いできませんよ。高価でなくても私は気に入っていますし、いいんです」


 飾り立てるのは自分の財力や権威を見せるという理由もあるが、弱小貴族であるアデリナがそこまで気張る必要はないだろう。ましてや、オリヴァーの力を使ってまでもやる必要性を感じない。オリヴァーは伯爵家の者だが、次期当主ではないのだ。勘違いしてはいけないとアデリナは思う。


「ふふふ。婚約してもあなたは変わりませんわね。だからお兄様をお願いしたかったんですわ……あの方と交際していた頃のお兄様は、どこか無理をされておりました。あの方の望む物を与えようと躍起になって仕事をして……結局条件のいい方に乗り換えられて、開き直ったように遊び人の噂を振り撒いて……あなたがお兄様を変えてくださったのだと感謝しております」


 クリスタはアデリナに頭を下げる。だが、アデリナにはそれは違うとわかっていた。


 オリヴァーは初めから何も変わっていないのだ。仕事には真摯で、頼ってきた人を切り捨てられない優しい人。だからこそアデリナはオリヴァーに惹かれたのだから。


「いえ、オリヴァー様は何も変わっていません。仕事に誠実で、優しい方です。出会い頭に無茶なお願いをした私を、嫌がることなく面倒を見てくださいましたから」

「アデリナ、ありがとうございます。あなたにはお兄様の姿がちゃんと見えていたのですわね。わたくしの曇った視界ではお兄様がわからなかった。だから子どものように当たり散らして……お恥ずかしいですわ」

「いえ、そんな……」


 仮初めの婚約者がオリヴァーを語ってどうするのか。真摯な態度のクリスタに、アデリナは居た堪れなくなった。


「……クリスタ様、申し訳ありません。少々お花を摘みに行って参ります」

「ええ」


 唐突な話題転換にクリスタは、特段違和感を感じなかったようだ。了承の返事を聞くや否や、アデリナは席を外した。


 ホールを出て廊下を突き進み、喧騒から離れたところでアデリナはほっと息を吐く。


 あのままだと全て打ち明けていたかもしれない。皆を欺いて自分は何をしているのかと、アデリナは自嘲するように笑う。


「ねえ、満足?」


 ふと背後からかけられた声に、アデリナは振り返る。そこにはどこか暗い目をしたローザがいた。相変わらずの美貌だが、以前よりも窶れているように見える。それがより儚さを強調して、アデリナは心配になった。


「ローザ様……お加減が悪いのではありませんか? 私で良ければ付き添いますので、どこかで……」

「……あなたのせいよ」


 ローザは憎々しげに言う。そこからはアデリナが問い返す間もなく、ひたすらローザは言葉をぶつける。


「どうしてわたくしの邪魔ばかりするの? オリヴァーがわたくしに冷たくなったのはあなたがいるからなのでしょう? 噂が立てばオリヴァーもあなたから離れると思ったのに、どうして婚約者の座におさまっているの? どうしてよぉっ……!」


 この細い体のどこから出るのかと思うくらいの咆哮が廊下に響き渡る。ホールから離れているとはいえ、この声量だと他の令嬢に聞こえかねない。


 ローザは伯爵夫人だ。彼女の評判に傷を付けかねないと判断したアデリナは、ローザの手を掴んで、近くにあった客室の一室へと逃げ込んだ。


「……ここなら誰にも聞かれないと思うので。ローザ様、あなたはデーニッツ伯爵家の者として今日はいらしているのですよね? あなたのあの姿を見られてしまってはデーニッツの名にも傷がついてしまいます」


 格上の伯爵夫人には失礼な物言いだとは思うが、ローザからはまだどことなく追い詰められて何を仕出かすかわからない恐ろしさが感じられる。そのため、敢えて忠言したのだが、ローザは鼻で笑った。


「そんなの、もうどうでもいいわ。じきにわたくしはデーニッツを出されるんですもの」

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