オリヴァーの過去
オリヴァーは即座に笑顔を作った。その反応の速さにアデリナは感心するとともに、違和感に気づいた。オリヴァーの目が笑っていないのだ。オリヴァーの心情を慮って、アデリナは小さな声で話しかける。
「あの、オリヴァー様……」
「……アデリナ、大丈夫だ。ここは俺に任せて欲しい」
オリヴァーにそう言われてしまえば、アデリナはもう黙るしかない。頷いてオリヴァーを見上げると、オリヴァーは作り笑顔のまま女性に答える。
「ようこそお越しくださいました、デーニッツ伯爵夫人。どのようなドレスをご所望でしょうか?」
「あら、他人行儀ですわね。昔のようにローザと呼んでくださってもいいのに」
オリヴァーの冷え切った眼差しに頓着することなく、ローザはコロコロと笑う。彼女は自分がオリヴァーにもクリスタにも嫌厭されていることに気づいていないのだろうか。気づいていて、こんなに屈託なく笑えるのなら空恐ろしいとアデリナの背筋が寒くなった。
(だけど、ここまで嫌がられるなんて、この方は一体何をしたのかしら……)
オリヴァーを押しのけて、クリスタが前へ出る。クリスタの方は敵意を全く隠そうとはしていない。
「お久しぶりですわね。デーニッツ伯爵夫人。しばらく音沙汰がございませんでしたので、とうの昔にわたくしたちは忘れ去られたものだと思っておりましたわ」
「あら、あなた方を忘れるわけはないでしょう?」
懐かしそうにローザはオリヴァーとクリスタを交互に見る。それが更にクリスタの顔を険しくさせる。それでも相手が伯爵夫人ということもあり、必死に我慢しているのがアデリナにはわかった。
「……それが、わたくしたちに申し訳ないことをしたという意味でしたらまだよかったのですけれど。どうやらわかってはいただけていないようですわね」
ローザは愁眉を寄せて目を伏せる。
「……悪いとは思っていますわ。ですから、今日は謝罪を兼ねて参りましたの」
「なっ……!」
クリスタは、怒りのあまり声を上げようとして止まる。序列が上だから言いたくても言えないのだろう。悔しそうに唇を噛んで拳を握りしめた。オリヴァーはそんなクリスタの頭を撫でると低い声で告げる。
「……もう、あれからどのくらいの時間が経っているとお思いですか? あなたに謝っていただく必要はありません。全ては終わったことです」
「そう……ですわね。すぐに謝罪にうかがうことができなかったことを申し訳なく思います。わたくしもいろいろあって……」
ローザの言葉をオリヴァーは遮る。
「もういいと言っています。それで、どのようなドレスがよろしいのですか? 私に話しにくいようでしたら、もう一人女性の従業員がおりますので、その者がうかがいますが……アデリナ、クラリッサを呼んできてもらえるか?」
「はい」
アデリナが返事をすると、ローザは慌ててオリヴァーに懇願する。
「いえ、わたくしはあなたにお願いしたいのです。受けてはいただけませんか?」
「それは構いませんが。それではこちらにどうぞ」
あくまでもオリヴァーは事務的に接しているが、ローザは気にした様子もなく、オリヴァーが受けてくれたことで笑顔を浮かべる。
そして二人は奥の部屋に入っていった。
◇
「ありがとうございました」
もうじき仕事終わりの時間だ。アデリナは最後の客を見送ると店の中に入る。
オリヴァーとローザは二人で奥の部屋に入った後、そんなに時間を置かずに出てきた。そのままローザは帰っていったが、ローザを見送った後、オリヴァーは心ここに在らずといった感じだった。
待ち構えていたクリスタが問い詰めても、心配するなと笑って流すので、クリスタはプリプリと怒りながら帰って行った。
奥の部屋で作業しているだろうオリヴァーのところへ行くと、手を止めてまだ何か考えているようだった。
「オリヴァー様? お客様、お帰りになりましたよ」
そこでオリヴァーはようやくアデリナがいることに気づき、顔を上げて苦笑した。
「ああ、ありがとう。今日は済まなかったな」
「いえ、いいんです。でも、クリスタ様、大丈夫でしょうか?」
「ああ。えらく怒っていたな。まあ、あいつはいつもあんなものだよ。それでもデーニッツ伯爵夫人に怒鳴らなかったから成長したんじゃないか?」
オリヴァーから出た名前に、アデリナの鼓動が跳ねる。一体彼女は何者なのだろう。聞いてみたいけど聞いてはいけないような気がして、アデリナは俯いたりオリヴァーを見たりと落ち着かない。その様子にオリヴァーが噴き出した。
「本当にわかりやすいね、君は。聞きたいんだろう? いいよ。長くなるからここに座ってくれ」
「はい。だけど、いいんですか? 話したくないんじゃ……」
あれだけ冷たい顔になるのだ。いい思い出ではないのだろう。そんな心の傷を暴くようなことをしてもいいのかとアデリナの顔が曇る。
そんなアデリナにオリヴァーは寂しそうに笑う。
「もう、全ては終わったことだ。ただ、聞いても楽しい話ではないとだけ言っておくよ」
「はい。それじゃあ聞かせてください」
アデリナはオリヴァーの向かいに座り、オリヴァーの話に耳を傾けた──。
◇
「……ということだ」
オリヴァーが語った内容にアデリナはただただ呆然とするばかり。アデリナには刺激が強く、信じられないような内容だったのだ。
簡単に言えばこういうことだ。
オリヴァーは昔から外見が派手で遊び慣れているように見えていて、遊び目的の女性から声をかけられることが多かった。だが、外見に反して中身が真面目なオリヴァーは、それに辟易していた。
そんな時に自分の中身を見てくれるローザに出会い、恋に落ちたのだ。彼女は違う、そんな確信を持って。
だが、彼女は裏切った。彼女は人には言えない相手と関係を持っていた。その隠れ蓑のためにオリヴァーを利用したのだ。
オリヴァーに純潔を捧げたが、弄ばれて捨てられたという噂を立てて、その相手との噂を消した。そして彼女は家のためにオリヴァーを捨て、今の夫と結婚した、そういうことらしい。
アデリナは絞り出すように呟く。
「そんな……酷い……」
「いや、合理的だと思うよ。妻子持ちの当主と関係を持っていたとなると、ローザの実家やローザ自身へのダメージが大きい。だが、俺みたいに遊んでいそうな、貴族籍はあっても中途半端な男に引っかかったとなると、ローザは被害者扱いで、まだダメージを抑えられるだろう」
オリヴァーは自嘲気味に笑う。利用された悔しさなのか、それでも好きだったからなのかはわからないが、アデリナには笑えない。
「……オリヴァー様が一番の被害者じゃないですか」
「そうでもない。それで俺も相手を利用することを覚えた。俺も最低なんだよ」
「……ローザ様を恨んでいるのですか?」
「恨んでは……いたな。それは多分、初めて自分の中身を見てくれたと思った人に裏切られたからだろう。まあ、ローザからしたら最初から利用するつもりだっただろうから裏切ったとは思わないんだろうな。本当に今更何しに来たのか……」
辛そうなオリヴァーにアデリナの胸も痛む。思わず聞くつもりのなかったことを口にしてしまった。
「……今も、ローザ様を好きなのですか?」
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