アデリナの不安と予想外の客
「うーん」
その日、アデリナは朝から悩んでいた。それというのも、最近なんだか見られているような気がするのだ。
約束の期限まで残り三カ月。仕事も社交も順調で、ちゃんと両立できている。このまま残り期限まで問題なくいけそうだと思っていた矢先だった。
通勤には男爵家の馬車を使っているのだが、店の周囲は人通りが多くて馬車を停めにくいし目立ちそうなので、離れた場所に停めてもらってそこから歩くようにしている。
そこを誰かに見られている気がするのだ。
てっきりマーカスだと思い、ついてこないように言うと、反対に誰かに跡をつけられているのかと心配されてしまった。このままでは心配性なマーカスが両親に話して、仕事を辞めるように言われかねない。
「どうしよう……」
「どうしたんだ、アデリナ」
店に入ったが、まだ誰かがいるような気がして気持ちが落ち着かない。アデリナが不安からこぼした言葉に、先に来ていたオリヴァーが反応する。
「あ、オリヴァー様、おはようございます」
「おはよう。それで、何がどうしたんだ?」
不思議そうな顔のオリヴァーに、言うかどうか悩む。アデリナの気のせいかもしれないのだ。
「いえ、何でもありません」
「そうか? ならいいが」
オリヴァーは納得していないだろうが、そこで引き下がってくれた。不安だが、何かがあったわけではない。起こってから相談した方がいいのではないかとアデリナは迷っていた。
◇
「それじゃあ、お先に失礼します」
「ああ、お疲れ様」
「アデリナ、また明日ね」
挨拶も済んだし、後は帰るだけだ。わかってはいるものの、帰りも見張られていたらどうしようかと、アデリナは店の入り口で足を止める。
気づいたオリヴァーがアデリナに近づく。
「どうしたんだ、アデリナ。朝からなんだか様子がおかしいぞ」
「いえ、それは……」
「いいから言ってくれ。何かあったんだろう?」
「いえ、あったわけでは、というか、これからありそうというか」
要領を得ないアデリナの説明に焦れたクラリッサが、強い口調で命令する。
「いいから言いなさい! 気になってしょうがないの!」
「は、はい。大したことではないのですが、実は……」
アデリナは観念して、ここ最近のことを話した。気のせいだと笑い飛ばされるかと思いきや、二人とも神妙な顔つきになる。
「まさか、誘拐目的か?」
「ありえるわね。アデリナは男爵令嬢だもの」
「ご両親は知っているのか?」
オリヴァーの問いに、アデリナは項垂れる。
「……言えません。それを知ったら両親に仕事を辞めるように言われそうで……それに、私の気のせいかもしれませんし」
「だがなあ……」
がしがしとオリヴァーは頭を掻く。何かあってからでは遅いと思っているのだろう。また迷惑をかけてしまったと、アデリナは俯く。
そんなアデリナに気づいたクラリッサが慌てて助け舟を出す。
「あ、ほら。それならオリヴァーが馬車まで送ってあげなさいよ。要するに一人にならなければいいんでしょう?」
「いや、俺がいても危なくないか? 相手が一人とも限らないだろう」
「それはそうかもしれないけど……」
「……わかりました。帰って両親に話してみます」
こうなった以上仕方がないだろう。オリヴァーやクラリッサにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
アデリナは頭を下げると店を出た。
毎日決まった時間に仕事は終わるが、日が暮れるのが心なしか早くなった。少しずつ冬に近づいていくのと同時に、期限も同様に近づいている。だが、途中でそれが駄目になるかもしれないとは思わなかった。
トボトボと馬車のところへ向かっていると、後ろから声をかけられる。
「アデリナ、そこまで送る」
足を止めて振り返ると、オリヴァーがいた。クラリッサに送るように言われたのかもしれない。
「オリヴァー様……迷惑ばかりかけて、本当にすみません……」
「迷惑か。俺は別にそうは思わないが」
「え? だって……」
「迷惑ではないが、心配はするよ。それはクラリッサも同じだろう」
心配と迷惑。その違いがアデリナにはわからず黙り込む。するとオリヴァーはまたアデリナの頭を撫でる。
「怖かったんじゃないか? 誰にも言えなくて。もっと早くに言ってくれればよかったのに」
「だって、私の勘違いかもしれないし。お兄様は信じてくれそうだったけど、大したことじゃないことが大事になりそうで……」
「ああ、マーカスはそうかもしれないな」
オリヴァーは苦笑する。
それほど長い付き合いではないにもかかわらず、オリヴァーにも想像がつくらしい。マーカスは、アデリナ同様そそっかしいところがあるので、早とちりで大変なことになる。そんなマーカスが男爵家当主を務められるのだろうかと、アデリナには甚だ疑問だ。
だからオリヴァーも、そそっかしいアデリナの言うことだと軽く受け止めると思っていたのだが、違うのだろうか。
「オリヴァー様は、私の勘違いだと思わないのですか?」
「それもあるかもしれないとは思う。だが、勘違いだとしても不安だったんだろう?」
「はい、それは」
「それなら間違いじゃない。真実は違うかもしれない。だが、それは受け止め方が違うだけなんじゃないか? それはそれであると思う」
「……信じてくださってありがとうございます」
こうして信じてくれる人がいるだけで心強い。アデリナがオリヴァーに笑いかけると、オリヴァーも笑い返してくれる。そんな二人の穏やかな空気を壊したのは、若い女性の怒声だった。
「いい加減になさいませ!」
「え?」
「は?」
アデリナとオリヴァーは声のした方を振り向く。そこには、この場所には不釣り合いに着飾った綺麗な令嬢がいた。オリヴァーと同じ髪色と瞳に、どことなく似た面差し。オリヴァーの妹のクリスタだ。いち早く反応したオリヴァーが驚いた声を上げる。
「クリスタ。どうしてお前が……」
「そんなのお兄様には関係ありません。それよりも恥ずかしくないのですか! こんな往来でイチャイチャと。お兄様が
クリスタは柳眉を吊り上げ、ワナワナと拳を震わせて叫ぶ。その大声に人が集まってきて、オリヴァーとアデリナは慌てる。このままではオリヴァーの名誉が傷つきそうだ。それもオリヴァーの実妹によって。
「ちょっ、クリスタ、やめろ!」
「そうですよ、クリスタ様! 落ち着いてください!」
「うるさいですわ! ずっと怪しいと思ってましたのよ。お友だちがあなたのことを教えてくださったから、あなたがお兄様に近づく理由を探っていたらそういうことでしたのね!」
クリスタはアデリナを指差す。だが、そういうことがどういうことなのかわからない。アデリナは困惑しつつ、クリスタに問う。
「そういうことって、どういうことでしょう?」
「とぼけても無駄ですわ。お兄様の趣味を知って色仕掛けのために近づいたのでしょう? 男爵家からすると、格上の伯爵家と縁続きになりたいでしょうから」
アデリナは絶句した。
そもそもオリヴァーは
言葉が出てこないので、助けを求めるようにオリヴァーを見ると、目が合ったオリヴァーは首を振る。
何を言っても無駄だということが言いたいのだろうか。そこでまた、二人が見つめ合っていることに気づいたクリスタは更に怒りを露わにする。
「二人の世界を作らないでくださいませ!」
オリヴァーは重いため息をつくと、面倒臭そうに口を開いた。
「それでお前は何をしに来たんだ? わざわざ兄を衆人環視の中で貶めるためにきたのか?」
「あら」
ようやく人が集まっていることに気づいたクリスタは、先程までとは打って変わって淑女の仮面をかぶる。とはいえ、今更のような気もするアデリナだった。
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