マーカスの仕立て
「……ようこそ、いらっしゃいませ」
アデリナが小さな声で挨拶をすると、マーカスは眉を寄せてアデリナの頭を叩く。
「声が小さい。客に聞こえるように言わないと駄目だろう」
「……聞こえてるくせに」
「あ? 何か言ったか?」
「何も言ってません」
「よろしい」
マーカスは偉そうにアデリナに指導する。アデリナは、上司はオリヴァーだと言う言葉はかろうじて飲み込んだ。今のマーカスは客だと、何度も自分に言い聞かせる。
「へえ、こうなってんのか」
マーカスは興味深そうに店の中をキョロキョロと見回している。その落ち着きのなさはアデリナにそっくりだ。もっとも本人は認めないだろうが。
「それで本日はどのようなご用件でしょうか?」
確かベールマン邸の執事は、客にそう尋ねていた。見様見真似でアデリナがマーカスに問うと、マーカスが目を見開いた。
「お前、一応来客応対できるんだな」
「失礼ですね、お客様」
「……中途半端だけどな」
マーカスはがっくりと肩を落とす。そこでクラリッサが奥からやってきた。
「いらっしゃいませ、マーカス・ベールマン様。私はこの店の店主、オリヴァーの共同経営者、クラリッサと申します。よろしくお願いいたします」
スラスラと淀みなく笑顔で挨拶をしたクラリッサに、アデリナは思わず拍手を送ってしまった。
「クラリッサさん、すごいです!」
「うふふふ。こう見えても長年働いているもの。任せて」
その大きな胸を張って自慢するクラリッサを、マーカスは胡散臭そうに眺める。
「そうですか、あなたが。妹がお世話になります」
「お兄様、言葉と態度が一致していませんが」
「そりゃそうだろう。お前に変な影響を与えられると困る。オリヴァー様といい、この女性といい、何故こんなに派手なんだ」
「あら、マーカス様。あなたも人を見かけで判断されるのですね。可哀想なアデリナ。こんな人が兄だなんて」
「なっ!」
「クラリッサさん! 抑えて……」
マーカスの言葉にクラリッサは薄ら笑いを浮かべた。客なのにいいのだろうかと心配になり、アデリナはクラリッサを止める。
「ごめんなさいね、アデリナ。あなたのお兄様なのに。いえ、違うわね。お兄様だから許せなかったのよ。全くの赤の他人に言われても痛くも痒くもないんだけどね」
「クラリッサさん……兄が失礼なことを言ってすみません。ちゃんと後で言い聞かせますから」
「いいのよ。アデリナはお兄様と違っていい子ね」
マーカスそっちのけでアデリナとクラリッサは話すが、ちょこちょこマーカスに毒を吐いている。完全に不機嫌になったマーカスが口を挟む。
「私は客なんですが? アデリナも無視するな」
「無視されたくなければそれ相応の態度を取ってください。はっきり言って今のお兄様は最低です。それで何をしにいらしたのですか? 私の仕事の邪魔ですか? でしたら、さっさとお帰りください」
アデリナに正論を言われ、ぐっと言葉に詰まったマーカスは深く頭を下げる。
「……客とはいえ、失礼な態度をとって申し訳ない。今日は普段着を仕立ててもらいに来た。よろしく頼む」
それでもやっぱり偉そうなマーカスにアデリナはため息を吐く。マーカスは悪い人ではないのだが、型にはまりがちなのが欠点だ。男爵家次期当主が簡単に頭を下げるのはどうかとでも思っているのかもしれない。それでも人として悪かったとは思っているのだろう。
クラリッサもそれはわかったのか、にっこりと笑って謝罪を受け入れた。
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。それで、普段着ということなのですが、どういった物をご希望ですか? はっきりとこういった物がいいというご希望がございましたらデザイン画に起こすこともできますし、もしなければこちらに見本が並んでおりますが」
「そうだな……もしよければ、私に似合う物を選んでくれないか? アデリナがいつもお兄様は普通だと馬鹿にするもので」
マーカスはちらりとアデリナを見る。余程アデリナの言葉を根に持っているらしい。アデリナとしては馬鹿にしたわけではなく、アデリナの気持ちも知らずに勝手なことばかり言うマーカスへの当てつけだ。
「お兄様が先に私を馬鹿にしたんじゃないですか」
「俺は別にお前を馬鹿にしてないぞ」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「はいはい、そこまででお願いしますね。仲がよろしいのはわかりましたから」
兄妹喧嘩に発展しそうなところをクラリッサが止めた。クラリッサは何故か楽しそうに笑っている。
「クラリッサさん、別に仲良くはないですよ」
「そうですよ。アデリナは可愛くないことばかり言って……」
「はいはい。また喧嘩になりそうだからその辺で。マーカス様は余程アデリナが好きなんですね。よかったわね、アデリナ」
「え? ええ」
好かれてるという問題ではない気がするが、このままでは話が進まない。アデリナは渋々頷いた。クラリッサは話を元に戻す。
「そうですね……シンプルなスラックスにサスペンダー、それにチョッキを組み合わせるのはいかがでしょうか」
「え? それこそ普通じゃないか?」
クラリッサの提案にマーカスは眉を顰める。そんなに普通は嫌なのだろうかと、アデリナは不思議だった。
クラリッサは頷くと、マーカスの問いに答える。
「はい、普通です。恐らくマーカス様は、普通と平凡を混同されているから普通を嫌がるのだとお見受けしました。平凡というのは特に優れたところがないことですが、普通というのは広く一般に通じること。普通が悪いとは私は思いません。それに、普通のコーディネートだとしても、その方の外見的な特徴を押さえていれば、相乗効果で映えるものだと思います。何も気をてらえばいいというものではありません。おわかりいただけますか?」
これにはマーカスだけでなく、アデリナも驚いた。少し接しただけでマーカスのコンプレックスも見抜いた上で、似合いそうなコーディネートを提案している。
なるほどとアデリナが感心して頷く横で、マーカスは呆然とクラリッサを見ていた。
「何で……」
「わかるのか、ですか? マーカス様の今の服装からも何となくわかるのですよ。それって今流行りの丈が短めのスラックスですよね。ですが、はっきり言って似合っていません。マーカス様は上背がありますし、足が長いので、反対に足が短く見えます。流行りを追うだけでなく、自分に合ったものを着ることでアデリナの評価も変わると思いますよ。ね、アデリナ?」
「はい!」
マーカスは顎に手を当ててしばらく何やら考えているようだったが、表情を改めてクラリッサに頭を下げる。
「クラリッサさん、私に似合う服を選んでください。全てお任せします」
「お兄様?」
マーカスの態度もだが、口調も変わっている。きっとクラリッサの手腕を認めたからだろう。アデリナとクラリッサは驚いて顔を見合わせて、苦笑する。
「もう既にマーカス様から承っているではないですか。最後まで責任を持ってやらせていただきます。それでは採寸を、と思いましたが、私では嫌でしょうし……オリヴァーに頼みましょうか」
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げるマーカスに、アデリナは呆れた。
「さっきまでクラリッサさんを見下すような態度だったくせに単純なんだから」
「お前には言われたくない。お前だってオリヴァー様に悪態ついてたんじゃないか?」
「そんなこと、ありません」
「あ、嘘ついた。目が泳いだぞ。やっぱりなあ」
今度はマーカスが呆れて、やれやれと肩をすくめる。そのやりとりを見ていたクラリッサは吹き出した。
「っ、ふふ。外見はそれほど似てないと思っていたけど、中身はそっくりですね。マーカス様も可愛らしいです」
「なっ」
可愛いと評されたマーカスの顔に朱が走る。美人なクラリッサに言われたことが照れ臭いのかもしれない。マーカスは赤くなった顔を隠そうと手のひらで覆う。
「からかわないでくださいよ」
「からかっているわけではありません。やっぱり兄妹ですね。可愛いところが似ています」
「……もう、やめてください」
マーカスはとうとうクラリッサに背を向けた。二人のやりとりを見ていて、アデリナはほのぼのとした気分になる。
午前中にオリヴァーとのやりとりでささくれ立った気持ちが昇華していくのがアデリナにもわかった。
この後は気持ちを切り替えて仕事ができそうだと、気合いを入れ直すのだった。
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