初めての職場
アデリナがオリヴァーの下で働くことが決まったものの、それには様々な制約がついた。
まず、期限。アデリナが申し出た通り、社交界デビューまでということになった。十八歳になり次第ということなので、あと半年ほどになる。
そして、義務は果たすこと。男爵令嬢として、お茶会には積極的に参加し、慈善活動も行うことを義務づけられた。中途半端は許さないということだろう。
更にこれが一番肝心だ。オリヴァーとは誤解を招くような付き合いをしないようにと念を押された。アデリナは外見は幼いが、実年齢はもうすぐ成人を迎える。
貴族女性にとって醜聞は命取りだ。まだ職業婦人としてやっていけるかわからないアデリナの選択肢を狭めないためにも、オリヴァーと噂になるようなことがあってはならないと厳命されている。
なかなか大変な条件に思えるが、残り半年しかない。その半年の間にどれだけのことを学べるか。そう考えると余計なことを考えている暇はないはずだ。それなのに、アデリナの心にはどうしても抜けない棘のようにオリヴァーの言葉が刺さり、事あるごとに思い返していた。
──恋愛対象としては見られません。
別にオリヴァーにどう思われようが、アデリナには関係ないはずだ。自立している上におしゃれに詳しいので、尊敬や憧れの気持ちはあるものの、それ以上ではないと思う。そのはずなのにモヤモヤする自分がいる。不可解な気持ちを押し殺してアデリナの新しい生活は始まった。
◇
「おはようございます!」
最初が肝心だと、アデリナはオリヴァーの店の扉を開けると元気よく挨拶をした。すると奥からクラリッサが出てきて迎えてくれた。
「いらっしゃい。じゃなくて、おはよう、ね。今日からよろしくね」
「こちらこそ、お世話になります。これからよろしくお願いします」
頭を下げるアデリナに、クラリッサは勢いよく抱きつく。これまたクラリッサの胸にアデリナの顔が当たって苦しい。
「嬉しいわ! ずっと妹が欲しかったのよね。それもこんなに可愛い妹が。オリヴァー様々ね」
「それはいいが、また窒息しそうになってるぞ。いい加減に学んでくれ」
アデリナの背後から呆れたようなオリヴァーの声がして、クラリッサが離してくれた。
「お前、外見が派手で同性には嫌われるからといって、勝手にアデリナを妹にするなよ」
「何よ。オリヴァーだって、男には嫌われるじゃない。だけど、オリヴァーは女には好かれるんだからアデリナを妹にしたいとは思わないでしょう? あげないわよ」
「妹なら、血の繋がったのがいるからもういい。可愛くはないけどな」
オリヴァーの言葉にアデリナは思わず反応する。
「ああ、お茶会の時に少しだけお話しさせていただきました」
とはいえ、彼女もアデリナを馬鹿にしているようだったが。遠巻きに笑われていい気分はしなかった。こうしてオリヴァーを知ると、性格があまり似ていないように思える。苦笑してそれ以上言わなかったアデリナの言葉を察したのか、オリヴァーも苦笑した。
「アデリナにも嫌な思いをさせたようで、すまないな。我が妹ながらどっぷりと貴族社会に染まっていて、性格がよろしくないんだ。他人の噂話ばかりでウンザリするよ。俺は噂のせいで嫌われていてね。わたくしの縁談がまとまらないのはお兄様のせいですわ、って怒られたよ」
「そうなんですか……」
マーカスはアデリナを馬鹿にするような発言もするが、嫌っているわけではない。分かりにくい兄馬鹿なのだろう。オリヴァーの妹もそうではないのかとアデリナは思うのだが、本当のところは当人同士しかわからないだろうと、言葉を飲み込んだ。
しんみりとしかけた空気を変えるように、オリヴァーが声を張った。
「まあ、話はその辺りにして、そろそろ仕事を始めようか」
「はい!」
そうだった。今日が初仕事なのだ。時間もないことだし、多くのことを学びたい。アデリナは気合を入れて返事をした。
◇
「アデリナ! ちょっとそこの針山を取ってくれ」
「はい!」
「アデリナ! 少しここを抑えていてくれないかしら?」
「はい、ただいま!」
午前中は来客の予定がなく、アデリナは二人のアシスタントとして代わる代わる呼ばれていた。初日でまだ二人が何をやっているのかはよくわからないが、どういう仕事をしているのかをとりあえず見ていて欲しいということだった。
型紙を起こしてから、布の裁断、縫製など、服一着を作るのに工程もたくさんあるのだと、アデリナは初めて知った。いつもはデザイン画を見せられて、サイズを測り、次までに仕上げてもらうのだ。
これだけ大変な思いをして作ってもらっていたのに、自分はどうせ似合わないからなんでもいいなんて、仕立て屋に失礼なことをしていたのだと気づいた。
やっぱり現場を見せてもらってよかった。二人が作り上げていく服やドレスに愛着が湧き、うっとりと眺めていて呼ばれていることに気づかなかった。
「……ナ、アデリナ、聞いているのか?」
「は、はい! すみません、聞いていませんでした!」
オリヴァーが縫製をしている傍に立っていたアデリナは背筋を伸ばして返事をする。オリヴァーは呆れ顔だ。
「そんなに元気よく聞いてないと言われると、怒っていいのかわからないんだが……それで、一体何を考えていたんだ?」
「いえ、服に見とれていました。オリヴァー様もクラリッサさんもすごいですね。みるみるうちに布が形を変えていくのは魔法みたいです」
この世界に魔法は存在しないが、お伽話や童話では語られてきた。アデリナ自身信じてはいなかったが、オリヴァーやクラリッサを見て、ひょっとしたらあるのかもと思ってしまった。
「それなら俺はさながら魔法使いってとこか」
アデリナの言葉にオリヴァーは笑う。
「ええ。本当にオリヴァー様は私の魔法使いです。私に魔法をかけて私の外見だけでなく、生き方まで変えられると教えてくださいました。オリヴァー様に出会えてよかった」
心からの感謝を込めてそう言うと、オリヴァーは照れ臭そうに頭をかいた。
「それは褒めすぎだ。それに、あまり男にそういうことを軽々しく言っては駄目だぞ。相手が誤解する恐れがあるからな」
「誤解、ですか?」
「ああ。自分に気があると思い込む男もいるんだ。アデリナが相手を好きじゃないならやめた方がいい」
「え? 私はオリヴァー様のことを好きですよ」
兄のようで先生で。アデリナがそこまで深く考えずに放った言葉に、オリヴァーが固まった。慌ててアデリナは補足する。
「あ、その……お世話になっていますし、兄のような感じで、という意味です」
「あ、ああ、そうか」
途端にオリヴァーは表情を緩めた。それがまるでアデリナの好意を迷惑に思っているように感じて胸が痛んだ。
(わかっていたじゃない。オリヴァー様は私を恋愛対象として見られないって、私の前ではっきり言った。わかっていたのに、なんでこんなに傷ついているのかがわからないわ……)
引きつりそうになる顔に力を入れて、頑張って笑顔を作る。
「大丈夫です。今の私には色恋に関わっている暇はないですから。それに私には魅力がないので、相手が誤解することもないと思います」
「魅力がないなんてことはないだろう。だから気をつけた方がいいと言ってるんだ」
真剣な表情で諭すオリヴァーの言葉が刺さる。
(自分が言ったんじゃない。恋愛対象には見られないって。そう言った口でどうしてそんなことを言うの……?)
悲しみと憤りがないまぜになって、アデリナの心をかき乱す。これ以上このことについて話していたら、オリヴァーを罵倒してしまいそうだ。アデリナは怒りを堪えるように背後に隠した拳を握りしめる。
「……はい。これからは気をつけます。それで、お話の続きをうかがってもいいですか? 仕事のことですよね?」
「ああ。午後に来客があるから、その応対をクラリッサと一緒に頼もうと思ってるんだ。お願いできるかな?」
「はい。ですが、私でいいのでしょうか。仕事のお客様ですよね。失礼がないといいのですが……」
ささくれ立った心はまだ落ち着かない。そんな状態で、初めてなのに客に接するなんてできるのだろうか。アデリナは不安から俯いてしまった。そんなアデリナを慰めるためか、オリヴァーが頭を撫でる。それが余計に子ども扱いされているようでアデリナは傷ついた。
「大丈夫。客というのは君も良く知る人物だから」
「え?」
顔を上げると、楽しそうに笑うオリヴァーと目が合った。
「君のお兄さんだよ」
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