あこがれのノーティー

海星

出会い

 ファレサルド伯爵邸の庭園は、初夏が盛りの花々で溢れている。そんな庭園を自慢するためか、晴れのよき日にお茶会が開かれた。


 まだ社交デビューを果たしていない年頃の少女たちが楽しそうに歓談する中、一人の少女は浮かない顔で一人佇んでいた。


 それもそうだろう。彼女、アデリナ・ベールマン男爵令嬢は明らかに周囲から浮いている。


 彼女の年齢は十七歳なのだが、その年の割に小柄で童顔だった。小作りな顔には薄くそばかすが浮き、眩い金髪はくるくると毛先が跳ねている。何よりも、体の凹凸に乏しく、コルセットで胸と尻を強調したくとも、強調できないほどにぺったんこだ。


 アデリナ自身、それがコンプレックスになっていて、似合わないとわかっていて大人びた格好をしようとし、失敗している。


 今日の格好はフリルの全くない真紅のドレス。しかも胸元が開いた大人っぽいデザインだ。母親の服を着て背伸びしたい子どもにしか見えない。周囲から失笑やヒソヒソ話がアデリナの耳にも届き、密かに落ち込んでいた。


(……子どもっぽい格好だと、余計に笑われるし、私だってどうしていいかわからないのよ!)


 人の気持ちも知らないでと、落ち込みから一転、怒りへ変わる。


 ガタンと淑女らしくない音を立てて立ち上がると、周囲から音が消え、視線がアデリナに集中する。それで胸がすっとしたアデリナは、にこやかに笑う。


「あら、失礼。少々お花を摘みに行って参りますわね」

「え、ええ。どうぞ」


 退席を許されたアデリナは、ファレサルド邸の中にあるお手洗いへと急いだ。正直に言えば、別にお手洗いに行きたいわけではなかった。周囲の嘲笑や噂話に我慢ができなくなりそうだっただけだ。


 元々アデリナは大人しい気性ではない。幼い頃はおてんばで、落ち着きのない子どもだった。それでも淑女教育の賜物か、今はなんとかそれなりには見えている。


 だが、一人になるとやっぱり地が出るようで、ダンダンと廊下を踏み鳴らすような勢いで歩いていた。


「お子ちゃま体型で悪かったわね! 私の身になってから物を言えっての!」


 腹立ちはおさまるどころか大きくなるばかり。そのせいで人がいることにも気づかなかった。俯き加減になっていた足元に自分のものではない影が映って、アデリナは足を止めて顔を上げた。


「おっと、失礼」

「いえ、こちらこそ失礼いたしました。気づかなかったもので……」


 途端にアデリナの目に飛び込んできたのは、アデリナがこれまでに会ったことのないタイプの男性だった。


 黒髪黒目で切れ長の射抜くような瞳。長身でがっしりした体型。シャツがはち切れるのではないかと思うような胸筋がチラチラと視界をよぎる。野性味溢れるのにどこか色っぽい。男性に形容するのはおかしいかもしれないが、アデリナはそう感じてまた落ち込む。


(男性なのに色っぽいって何なのよ……そんなに私に女としての魅力がないって思い知らせたいのかしら)


 すると、男性はフッと笑った。それがまた自分を馬鹿にしているようでアデリナの癇に障る。


「……ムカつく」

「何か言ったかな?」


 男性は面白そうにアデリナに問いかけるが、アデリナは口を引き結ぶと会釈して男性の前から去ろうとした。そこで男性が呼び止めた。


「待って。別に俺は君を馬鹿にしたわけじゃないよ」

「……それならどうして笑ったのですか?」


 言い訳にしても陳腐で、アデリナは怒りを抑えるように低い声音で問いかける。


 男性は困ったように目尻を下げると、頭をかいた。


「いや、こう見えても俺は服飾の会社を経営しているんだが、こうも着る人の魅力を損なう仕立てをした人間は誰なのかと呆れてしまってね。だから君のことを笑ったわけじゃないよ」


 予想外の言葉にアデリナは目をパチクリとさせる。


「え、あなたが、服飾……?」

「ああ。そうは見えないかな?」

「ええ、どちらかというと……」


 男性の鍛え上げた体から、てっきり肉体労働系の仕事をしているものだと勝手に想像していた。しかも色っぽいから、ひょっとしたら男娼かもしれないとも。さすがにそれを言うのは憚られたが。

 男性は苦笑した。


「まあ、よく言われるんだがね。それで君は今日のお茶会の招待客なのかな?」


 忘れそうになっていたが、この男性もここにいるということはきっと関係者だろう。気づいたアデリナは慌ててカーテシーをした。


「申し遅れました。わたくしはベールマン男爵が娘、アデリナと申します」

「ああ、ベールマン男爵令嬢か。俺はオリヴァー・ファレサルドだ。よろしく」

「ファレサルドって……」

「そう、この家の次男だよ。不肖の息子だがね」

「重ね重ね失礼なことを。申し訳ございません!」


 格上であり、ホストに対して失礼な態度の数々に、アデリナは青くなった。深く頭を下げると、頭上からオリヴァーは何でもないように言う。


「そんなに気にしなくていい。俺こそ悪かった。君の気にしていることを笑ったりして」


 その真摯な言葉にアデリナは泣きそうになった。


 色気がない、可愛くない、おしゃれをしても似合わないから、おしゃれをしようという気さえ起きなかったのだ。


「……本当に、申し訳ございません。どんなに努力をしてもドレスも似合わないし、どうでもよくなっていて。それでもこうして外に出ていかなければならないことが苦痛で……」


 初対面の人に何を話しているのかと、アデリナは思いながらも止められなかった。


 これまでずっと笑われる自分が悪いのだと思ってきた。誰一人謝ってくれなかったし、淑女としてそれを怒ってもいけないと。


 だけど、アデリナもずっと悩んでいたのだ。それを理解して聞いてくれる人がいたことが嬉しかった。


「そうか。だが、似合う物を身につけることで、そういった悩みは解消できると思うぞ。そんなに悲観しなくてもいいだろう」

「ですが、わたくしには似合うドレスがないのです……この童顔と体型でどうしても服に着られているようで」


 似合う物がわかっていれば苦労はない。そう考えて閃いた。


「あの! 不躾で申し訳ないのですが、わたくしに似合う服を教えていただけないでしょうか!」


 アデリナは必死だった。この時ばかりは相手が格上のファレサルド伯爵令息ということを忘れていた。前のめりで鼻息荒くオリヴァーに詰め寄っていくと、オリヴァーは顔を引きつらせ、アデリナの勢いに押されて下がっていく。


 やがて壁に追い詰められたオリヴァーはため息混じりに了承した。


「まあ、仕方ないな。俺としても服が可哀想だから協力してもいい。だが、あくまでも協力だ。ちゃんと自分で努力もするんだぞ」

「はい! ありがとうございます!」


 こうしてアデリナは協力者を取り付けた。そこではたと気付く。あれ、私はここに何しに来たのだっけと。


「あ、お茶会! 戻らないと!」

「やれやれ、君は忙しいね。それで俺はもう解放してもらえるのかな?」

「え?」


 夢中になっていて気づいてなかったが、アデリナがオリヴァーに迫っているようにしか見えない構図になっている。


 間近で見るとオリヴァーの色気がすごい。上から三つ目のボタンまで外れていて、上下する喉仏や、綺麗な鎖骨が見える。


 ──私も頑張れば、この人みたいな色気が手に入る?


 アデリナはごくりと生唾を飲む。この時、アデリナの心には不思議な感情が浮かんでいた。


 この人のようになりたいという気持ちと、この人の隣にいてもおかしくないようになりたいという気持ち。


 ぼうっとオリヴァーに見惚れてしまっていたが、再びオリヴァーに声をかけられた。


「アデリナ嬢? 大丈夫か?」

「あ、はい。少しぼうっとしてしまったようです。それで、どうしましょう。後日わたくしがこちらを訪ねた方がよろしいでしょうか?」

「いや、仕事があるから都合のいい日をこちらから連絡するよ。その時に君の服のサイズを測りたいし」


 オリヴァーの言葉にアデリナは赤くなる。オリヴァー直々にサイズを測るということは、彼の前で服を脱ぐということだろうか。


 ここは怒るべきなのかもしれないけど、女扱いされたことがないアデリナはオリヴァーが自分の裸に興味を持ってくれたのかとほんのり期待してしまった。


「あの、オリヴァー様が測るのですか……?」

「いやいや! さすがにそれはまずいだろう。女性に頼んで測ってもらうから安心して欲しい」

「そう、ですか」


 ほっとしたような残念な気持ち。やっぱりどこまでいっても、自分には女としての魅力がないのかもしれない。


 さっきから何なのだろう。気持ちが上がったり下がったりと忙しい。自分はこんなに情緒不安定だったたろうかとアデリナは戸惑った。


 その後、オリヴァーと別れてお茶会に戻ったものの、周囲の嘲笑やヒソヒソ話は全く入ってこなかった。その代わりにアデリナの心を占めていたのはオリヴァーだった。彼との出会いがこれからアデリナを変えていく、そんな予感がしていた──。

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