第23話 彼女の過去
「あれ、紗智さんですか?」
熱々のドリアを口に運ぼうとした時、声をかけられた。
まさか自分に声がかけられるなどと思っていないため、そのままスプーンの上に乗せているドリアを口に運ぶ。
「あっつ……」
熱エネルギがー、トロトロのご飯から舌に伝わる。その刺激で、少しだけ世界が明るくなった。
「紗智さん、聞こえてますか?」
「あっ。シャ、シャンテさん……」
明るくなった世界で、ベージュの髪をやっと認識できた。
「ぼーっとしてましたね。何回か呼びましたよ? どうかしたんですか?」
心配そうに覗き込む彼女を見て、自分が落ち込んでいるということに気付いた。
「あ、いや、まぁ……」
「何かあったんですね。大方、恵美さんの件、というとこでしょうか?」
シャンテさんはそう言いながら、机を挟んで俺と対面する席――先ほどまで菫さんが座っていた席に腰かけた。
「よ、よくわかりましたね……」
「まぁ、ルナちゃんとはうまくいっているみたいですから」
いつの間にかフォークを手にしていた彼女は、俺の近くに置かれているカルボナーラの皿を自分の近くに寄せて、そのフォークでパスタを巻き始めた。
「ルナちゃんと付き合ったと思ったら、また別の女性のことで悩むなんて、紗智さんは罪多き人ですね」
「す、すみません……」
痛いところを突かれ、かなり恐縮してしまう。
ただ、シャンテさんに敵意のようなものは全く感じられなかった。いつもの通り、のほほんとしている。
「カルボナーラってあんまり好きじゃないんですよね……。チーズの匂いが苦手で……」
「そ、そうなんですね」
上品にフォークでパスタを巻き取り、ソースが零れない内に口に運ぶ。
詳しくは分からないが、一般の学生である俺にはテーブルマナーが完璧な様に思えた。
「で、今回はどうして悩んでるんですか? 大方、さきほどの女性に考えが甘すぎると叱られたとか?」
「え、見てらしたんですか……?」
さっきのことを見られていたらと思うと、純粋に恥ずかしい。
「見てた、といか。見えた、というか……。人間界のファミレスというものに興味を持って行ってみたら、遭遇した、という感じですね」
彼女はそう言って、また一巻き、パスタを口に運ぶ。
シャンテさんは平常運転だ。ファミレスにいる周りの客も、店員もいつも通りの日常を過ごしている。
今ここで一人傷ついて、何かを求めているのは俺だけだ。
俺だけが、普通の日常を過ごすことが出来ない。
「……普通じゃないんでしょうか、俺って」
「はい?」
何か言葉が欲しくなって、ついシャンテさんに相談してしまう。
「ルナと付き合えて、とても幸せなんです。楽しいし、一緒にいるとこっちまで笑顔になるし。未来はこの人と、って思える人なんです。
でも、そうなるとどうしても恵美の顔がちらついてしまって。俺だけがこうやって、ルナと幸せになって良いんだろうかって思うんです。この気持ちって、普通じゃないんですかね……」
「ふむぅ……」
彼女はカルボナーラを食べながら、それでも頷いてくれたりして、ちゃんとこちらの話を聞いてくれていた。
「世界中の人が、なんて大層なことは言わないです。ただ、自分の手の届く範囲の人くらいは、幸せになって欲しいっていうのは、傲慢なことなんでしょうか……」
そして俺が話し終わった後、テーブルに置いてあるグラスの中を水を飲んで、一言言い放った。
「女々しいですねぇ」
「うっ……」
「真面目すぎだし」
「くぁっ……」
「優しさが人生の邪魔してそう」
「ぐはぁっ!」
スリーヒットだった。
「自分が幸せであればいい、なんて私は思うんですけどねー。でもまぁ、紗智さんにはそういう生き方が出来ないってこと、ですよね? 自分が幸せになればなるほど、元カノが不幸であることが気になると」
「そう……ですね」
自分が幸せだなぁと感じるほど、ルナといて楽しいなぁと思うほど、自分はそうなっていいのだろうか。自分はそうなるべき人間なのだろうかという疑念が大きくなる。
そんなことを思うのは、自分のことを好いてくれているルナにも失礼だということは、分かってはいるのだが……。
「なんでそもそも、恵美さんのことを不幸だと?」
それに関しては、自分の中で一つ、これだというものが確かにあった。
「……この前、ルナとデートしたときに」
「惚気ですか?」
「ち、違いますよ! なんでここで惚気るんですか……!」
「ふふっ。すみません、話を遮ってしまって。どうぞ、続きをお願いします」
シャンテさんはとてもリラックスしているようだ。
心なしか、少し楽しんでいるようにも見えた。
「えっと……。そう、この前、デートに行った時なんですけど。恵美と会って、その時にルナから俺のことを奪うって言ってたんですよ。なんでそんな俺に執着してるのかも分からないですけど……」
「そんなことを思う人間が幸せだとは思えないっていうことですか?」
「まぁ、そうですね……、はい。人から幸せを奪おうとするって、絶対に疲弊していくと思うんです」
あの時見た恵美の顔は、まだ覚えている。
印象的だった。いつもの意地悪そうな笑みに元気がなく、どこかこんなことをしている自分自身を嘲るような、そんな表情をしていた。
「まぁ、一理はあるかもですね。それを紗智さんが助けるかどうかは置いといて」
「……やっぱ、人を自分がどうにかする、なんて傲慢なんですかね」
さっきから話していた、二人組のおばさん達が帰っていくのが見えた。
店の中には聞いたことのないクラシックが流れている。
シャンテさんはいつの間にか、皿に盛られたカルボナーラのほとんどを食べてしまっていた。
「それ、いらないんですか?」
「え?」
シャンテさんは、俺の前に置かれているドリアの皿を指さした。
確かに、一口食べた以降、全く減っていない。ドリアの中心に、スプーンで一掬いされた跡があるだけだ。
「いや、全然食べてないので、いらないのかなーと思いまして」
とても真面目な顔で彼女はこちらを見ていた。
「あ……。は、はい。全然、どうぞ……」
別にこれを食べたいと強く思っている訳でもなかったので、その皿を彼女の方に差し出す。
シャンテさんは俺が使っていたスプーンを、空になったカルボナーラの皿に置き、新しいスプーンを取って食べ始めた。
「これも美味しいですね。まぁ、チーズの匂いはちょっと慣れないところがありますけど……」
「そう、ですね。ここのファミレスは安価で質が良いことで有名なので……」
もしかしたら食いしん坊なのだろうか。
彼女を見ていると、自分が落ち込んでいることがこの場のムードに合わないということがとてもよく分かる。水と油のような、決して混ぜ合わない、そんな感じだ。
「これはルナちゃんに、恥ずかしいから言わないでって口留めされてることなんですけど」
唐突にシャンテさんは、ドリアを口に運ぶ手を止めることなく、重要そうな話を始めた。
「そ、それ言っていいんですか?」
「まぁ、恥ずかしいって理由だったら、言っていいのかな、と思いまして」
彼女の中で謎の基準があるようだ。
それを聞いて、自分が嫌われないかどうかが気になる。
でも、そんな言い出しから始まる話を、聞きたいと思う気持ちは抑えられなかった。
「じゃ、じゃあ聞きます……」
「私が言っていたことは内緒にしておいてくださいね。で、これはルナちゃんの話になるんですが、ルナちゃんって以前はとても暗かったんですよ」
ルナが暗かった。
なんとなくルナに友達が少ないということは分かっていたが、暗いということは予想していなかった。
「今ではあんなに明るいのに、ですか?」
「そうです。あんなに明るいのに、です。昔は教室の隅の方で、本ばかり読んでいるような子だったんですよ。人から話しかけられても、勉強しているから、の一言で済ませてました」
今の、暇さえあれば絡んでくるルナとは似ても似つかない。
「それは……、意外、ですね」
「ですよねぇ。だから、いっつも孤立してました、ルナちゃんは。でも、彼女が孤立する理由はそれだけじゃなかったんですよ」
「それだけじゃ、なかった?」
シャンテさんはそう言うと、彼女の前にあるドリアの皿を少し移動させて、テーブルの上に頬杖を突いた。
大きな胸がテーブルの上に乗り、とても主張してくる。
い、いやいや。見てはいけないと思ってはいても……、どうしてか……。
「これ、サキュバスの特徴なんです」
「えっ、は、はいっ!」
別に何も悪い事はしていないのだが、咎められたような気がして大声を出してしまった。そんな俺の姿を、シャンテさんは微笑んで見ている。
とても恥ずかしい。なんというか、馬鹿馬鹿しい意味で。
「と、特徴って何がですか?」
「大きな、胸です。サキュバスという魔族は、多くの場合、胸が肥大化するんです。そう成長するように生まれた種族なんです」
「えっ……?」
それを言われて、最初に思い出したのは、ルナの姿だった。
彼女には、お世辞にも大きいと言われるような胸は、無い。
「そうなんです。ルナ=クリムゾンというサキュバスは、特異個体なんですよ」
「特異……個体、ですか?」
「はい。ルナちゃんはとっつきにくい性格と、貧乳という物珍しさから、昔は孤立してました。まぁ、要は苛めですよね」
「い、苛め!? ルナがですか!?」
彼女が苛められていたという事実に驚き、テーブルに両手を着いて大きな声を出してしまう。
「昔の話です。あともう解決してますから、大丈夫ですよ」
シャンテさんに宥められてしまう。お店の中だったので何人かが振り向いた。この店に来てから自分は恥しかかいてない気がする。
「あ、そうですよね。すみませんなんか……」
ただ昔の話とはいえ、ルナが苛められていたということが驚愕であることには変わりはない。
彼女の過去の話を、もっと聞きたい、知りたい自分がいた。
「それでですね、その苛め、なんですけど。私も苛めていたグループの一員だったんです」
「えっ……、えっ!?」
座りかけた体がもう一度乗り上げた。周りの人ももう一度振り向いた。
「昔の私も随分とヤンチャをしてまして。全く、褒められたことでは無いんですけど」
今ああやって二人で暮らしているということは、その問題はルナとシャンテさんの二人の間ではもう消化されているのだろう。
それなら自分が口を出すべきではもちろんない。俺はシャンテさんの話を続けて聞くことにした。
「元苛めっ子には全然見えないですね……」
「私も変わることが出来たんです。それも、ルナちゃんのお陰で」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「ルナのお陰で、ですか?」
「はい。そのお話を、今からさせてください」
シャンテさんはそう言うと、椅子に深く座り直した。
ここからは真面目な話をします、とでも言うかのように。
「本当にお恥ずかしい話ですが、さきほどもお伝えしたように、私は昔、ルナちゃんを苛めていたグループの中の一人でした。ルナちゃんが特異体質で、その上愛想が良くなかったという理由で苛めてたんです」
粛々と彼女は話し始めた。眼差しはやや下を向いていて、過去の自分を悔いているようにも見えた。
「最初の内は机に落書き、や物を隠す、などだった苛めは、段々とエスカレートしていきました」
「エスカレート、ですか?」
「はい。落書きの内容も直接的な悪口になったり、ルナちゃんの机自体を隠す様になったり……。そして遂には、ルナちゃんを騙して人間界に送る計画まで建てられるようになったんです」
「人間界に送る……?」
確かルナは、人間界に来るのには、渡航試験に合格しないといけないと言っていた。それなら、勝手に人間界に来るとどうなるのだろう。こっちでの、パスポートを持たずに不法入国とかと同じくらい重い罪なのだろうか。
「はい。紗智さんも知っていると思いますが、魔族がここに来るのには渡航試験に合格する必要があります。それをせずに勝手に人間界に来た魔族は……。
対応次第では殺してもいいことになっています」
「えっ……?」
対応次第では殺してもいい? ということは、人間界に勝手に送り込まれた魔族は命の危険に晒されるということか。
「その計画を実行する日、私は怖くて行けませんでした。だって、自分が加担した計画で死人を出すかもしれないのですから。でも、私が行かなくても、苛めているグループのメンバーは集まり、そしてその計画は実行されたんです」
「と、ということはルナは……」
「そうです。渡航資格を持たないまま、人間界に迷い込みました」
なんということだ。ルナが苛められてただけじゃなく、死ぬかもしれない橋を渡っていたなんて。
沸々と、苛めていたグループに怒りが湧いて来た。
それと同時に、ルナが生きていて良かったと思った。
「ルナは、でも、何事もなく魔界に帰ってこれたんですよね……?」
俺の震えた声にシャンテさんは暖かく笑う。
「はい。ちゃんと帰ってきました。
――忘れない出会いを経て」
「忘れない出会い……?」
ということは、迷った人間界で誰かと出会ったということだろうか。
ルナが、人間界で、誰かと……。
それって、もしかして。
思い当たる節は、そんなに考えなくても出てきた。
「はい、そうです。ルナちゃんは迷い込んだ人間界で、小倉紗智という人間と出会い、助けてもらいました」
「あの時、だったんだ……」
確かに、あの時のルナはとても不愛想で、近づくものを傷つける目をしていた。
傷つけられる前に敵を排除しようとする、野犬のような雰囲気だった。
「帰って来たルナちゃんは、自分のやりたいことを見つけたというような感じで、その時から勉強に熱中しました」
人間界渡航試験の筆記科目は満点だったと語るルナの笑顔が浮かぶ。
自分が、彼女の夢を作るきっかけになった、なんて、ルナから言われている時は余り実感が湧かなかったけど。
こうやってシャンテさんから事実を聞くことで、本当にルナの人生を変えることが出来たんだという、経験になった。
「対して苛めグループは、計画に携わらなかった私を苛めの新たなターゲットにしたんです」
「こ、今度はシャンテさんがですか?」
ルナが苛められなくなっても、今度は別の人が苛められるようになる。それはある意味、自然の摂理のような気がしたけど、目の前にいる人が苛められていたという事実はやはり、関係ない自分まで悲しくなってしまう。
「……はい。でもまぁ、私もルナちゃんへの苛めに加担していたし、その時はしょうがないと思っていました。このまま、私が苛めの標的になり続けようと。
でも、ルナちゃんは自分と同じように苛められている私を見て、ほっとかなかったんです。それがかつて、自分のことを苛めていた人だと知ってても、助けてくれました。人間界へ追い出されたことを学校に報告して、苛めグループを学校から追放したんです」
シャンテさんの言い方だと、ルナはその苛めグループにシャンテさんを含めなかったのだろう。だからきっと、シャンテさんはここにいる。
「そう、だったんですね。そこから、ルナとは友達に?」
俺がそう言うと、シャンテさんは少し頬を赤らめ、伏し目がちに言った。
「……はい。その時にルナちゃんが、友達になろうって言ってくれたんです。キョトンとしちゃいました。私は前、あなたのことを苛めてたのにいいの? って。でもルナちゃんは、私は人に親切をしてもらったからそのおすそ分けって言ってました」
なんというか、その時のルナの姿が脳裏に浮かんだ。あいつなら、言いそうだ。
「親切の、おすそわけ……」
「だから、極論ですけど、私がここにこうやっているのも、ルナちゃんがここにこうやっているのも、紗智さんのお陰なんです。
ルナちゃんの人生は、紗智さんが変えました。そのことによって、私の人生も変わったんです。だから、きっと、そんなに落ち込まなくても、自分への自信を失わなくても、いいんですよ」
シャンテさんはそうまとめた。いつの間にか、ドリアの皿も空になっていた。
「……そっか。俺はちゃんと、ルナとシャンテさんの幸せに一役買ってるんですね」
そう言うと、彼女は可愛らしくウィンクをしてみせた。
「一役どころじゃ、ないかもしれませんよ」
その姿に、一瞬だけ俺は見惚れてしまった。
きっとシャンテさんは、実技試験の点数が高いに違いない。
「ありがとうございます。その話を聞いて、勇気が出ました」
菫さんの言葉で心が折れそうになっていたが、もう一度、挑戦する勇気が湧いて来た。
今度はしっかりと準備して、菫さんに協力してもらえるような作戦を立てよう。そんなことを考えていると。
急に頭の中に文字が浮かんできた。
(紗智さん……、助けてください!)
「えっ……」
その文字列が脳の中に浮かび上がるように固定され、しばらくすると消えていく。
この現象は、以前にも経験がある。
これは、テレパシーだ。
「どうされました?」
俺の困惑している表情を見て、シャンテさんが首を傾げる。
「いや……、テレパシーが送られてきて……」
説明しようとしていると、再び脳内に文字が浮かび上がった。
(高台に、今すぐ……!)
「高台……?」
月が見える、あの場所のことだろうか。ルナが魔界へ帰った、ルナに告白した、あの高台だろうか。
彼女が差す高台なら、きっとあそこだと思う。
「……急ぎ、ですか?」
助けてください、ということは急ぎの用事だろう。というか、急がないといけない。
急いで、ルナを助けないと。
「……はい」
ここから出て、商店街を抜けて、佐藤さんの家を右に。頭の中で道を間違えないようにイメージしながら、会計を払う為に財布を取り出す。
「ここのは払っておきますよ。私がどっちも食べましたし」
シャンテさんにそれを言われて、引き下がろうとするが、急がないといけないという考えも働く。
「紗智さんがそれで納得いかないなら後で払ってもらえれば大丈夫です。だから今は早く行ってあげてください」
「……すみません、ありがとうございます!」
気遣いに感謝して、店を出る。
自転車に鍵を差し、跨いで、前に進みながら乗る。
ここからは一〇分ほどだ。何が起こってるか分からないけど、今すぐに助けに行くから、待っててくれ……!
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