第12話 最悪の出会い
ミンミンゼミが元気に鳴いているある日のこと。
ルナは俺の部屋に、この前のスイカのお詫びだと言って、果物を持って来ていた。
「ぜひ、妹さんに食べさせてあげてください!」
ちゃぶ台の上に置いてある、彼女が持ってきたそれは、どっからどう見ても肉片だった。
「な、なにこれ……」
「ブラッディザクロっていう、魔界の果実です!」
「こんなの食べさせられないよ!」
俺がそう言うと、ルナはその果実を一つとって、食べ方の説明をしてくれた。
「ここを、こうやると皮が綺麗に剥けるんです。美味しいですよ?」
いやでも、やっぱりどこからどう見ても肉片にしか見えない。どす黒く滴っている果汁は、血にしか見えないし。
スプラッタ映画とかが苦手な俺は、足をガクガクと震わせていた。こういうのは、膝に来る。なんか、ふくらはぎの内側が抉られる感触がする。見るだけでも震えるのに、それを食べるなんて恐ろしかった。
「い、いや美味しいって言っても、これは……」
「はい、あーん」
血が滴るそれを口元に運ばれた。恐怖で、身を引いてしまう。
しかし、漂ってくる香りは甘く、完全に果実のものだった。それが分かると人間というのは現金なもので、目の前のそれを抵抗はあるが口の中に入れることはできそうだった。
目を瞑りながら、恐る恐る果実を噛んでみる。
じゅわっっと、濃厚な果汁が口の中に広がった。ついで、少し噛み応えのある果実の味も伝わる。
「……美味しい」
普通に甘くて美味しかった。人間界でいうと、イチジクに味は近いのだろうか。とても甘い果実だ。
「でしょ? やっぱり美味しいんですよね!」
「なんか、変なもんいれてないよね?」
あんな見た目の果実が美味しいことが信じられなくて、彼女に冗談を言う。
彼女は、目を逸らした。
「お、おい! 何入れたの!?」
ルナの肩を掴んで揺らす。
彼女は何も言わず、気まずそうに笑っている。
彼女の策にハマッたのか!?
そんな馬鹿なことを考えていると、家のインターホンが鳴った。
「あれ、誰か来たんですか?」
「んー、そうみたい。誰だろ、宅配便かな?」
「人間界のインターホンの音ってわかりにくいですよね」
ルナがそんなことを言った。
「魔界では違うの?」
「魔界なら、ガーゴイルって魔物が教えてくれます」
音、とか。そういう次元じゃない気がする。
「そ、そうなんだ……。色々と規格外だね……」
彼女は口を尖らせていた。どうやら、よほど人間界のインターホンに不満があるらしい。自分の部屋で音に気付けなかったりしたのだろうか。
すると、一階から母親の声が聞こえてきた。
「紗智ー! 恵美ちゃんが来たわよー!」
「えっ」
恵美が来ている?
そういえば、また来るって言ってたな。なんの事前連絡もせずに来たのか!
ルナの方を見る。彼女が恵美にばれてしまうのはやばい。
というか、ルナが恵美に気付いてもやばいんじゃないか……? 元カノとまだ関係があると知れば、傷つくのでは……? いや、ルナとは男女間の仲ではないんだけど。
「お友達ですか?」
首を傾げるルナ。
とっ……、友達、だよな……? 付き合ってないし、友達で良いよな?
俺は悩んだ末、ゆっくりと頷いた。
「それじゃあ私、お邪魔した方がいいですよね?」
しかし彼女は別に何も疑問に思わなかったようだ。
「そ、そうだね。今日の所はお邪魔してもらって……」
「分かりました!」
こういうところで変に物分かりが良いルナは、どうしてか敬礼をして、「また来ますねー」と笑顔で俺に告げ、ベッドの下に潜り込んだ。
「……えっ? ちょ、ちょっと何してるの! ?」
ベッドの下に入ってしまったルナをそこから引っ張り出すために、ベッドに近づいたところで扉が開く音がした。
「おおっと!?」
ベッドの下を見ようとしているのがバレたらまずいと判断した俺は、咄嗟にベッドに飛び込んだ。
それはもう、両手を広げて綺麗なフォームで飛び込んだ。
「何してるの……」
後ろから聞こえてきたのは、俺の奇行に軽く引いている恵美の声だった。多分、蔑んだような目をしているに違いない。
「プロレス好きでさ……」
「そうだっけ……?」
「最近はまったんだ……。フライングボディプレスって技でね……」
「そ、そっか……」
とにかく恵美にベッドの下を見られてはいけない。そう思いながらベッドから降りた。やっぱり、恵美は引いていた。
そして、俺が恵美を見たと同時に、頭の中に声が響いた。
(女の人じゃないですか!)
ルナの声だ。ルナの声が頭の中に響いてきた。
いわゆるテレパシーというやつだろう。これも、魔法なのだろうか。
俺は、下にいるであろうルナをベッド越しに睨んだ。
(本当にお友達なんですかあの人! もしかして彼女だったりしないでしょうね!!)
とてもやかましいテレパシーだった。なんでベッドの下に潜り込まれ、俺は怒られているのだろう。理不尽だ、こんなの。
俺も彼女に向って、脳内で喋ってみる。
(違う! 恵美は友達だよ! ていうかなんでベッドの下に)
(私のこと、キープとか嫌ですよ! もしも彼女さんがいるならハッキリとそう断ってください!)
俺の声は遮られた。
もう一度、テレパシーを送ろうとしてみる。
(だから、彼女じゃな)
(後で聞きますからね! もしも彼女だったら紗智さんは女の敵です! キーッ!)
どうやら一方通行の様だった。普通、テレパシーってこっちの声も届かない?
「また今日も話しにきたから」
俺の意識は、その一言で脳内から現実へと引き戻された。
そうだ。目の前には恵美がいる。なんとしても、ルナのことは隠さなければならない。この状態では魔法を使って自分の姿を隠してとルナに言えないし、恵美に見つかったらゲームオーバーだろう。
「……答えは変わんないよ」
「まぁ、そんなこと言わずにさ」
そう言いながら、恵美はちゃぶ台を挟んで扉側に座ろうとしていた。
そっちに座るとベッドの下が見える。いけない。俺は頭を高速に回転させ、ベッド側に座らせる案を模索した。
部屋の隅に積まれている座布団を一枚取り、ベッド側に置く。
「あ、こっち座ってよ。この前、ちょっとそっちでゴキブリ潰しちゃってさ」
出来るだけ普通を装ってセリフを言ったつもりだ。心臓が、ドクンドクンと跳ねる。
「え。潰したの」
「うん。丸めた新聞で」
「もー、スプレーとか使いなよ」
恵美がこっちに移動してきた。何とか成功だ!
俺は、心臓が鳴っているのがバレないように彼女と場所を入れ替え、なんとか扉側に座ることに成功した。
思った通り、ここからはルナの顔が丸見えだった。
(ゴキブリが出てきたら怖がれと教科書に書いてありました!)
今では、ゴキブリを怖がらない女性の方がありがたられるのではなかろうか。やはり、魔界の情報は幾分か古いようだ。というか、あざといようだ。
「……紗智。このグロい食べ物は一体なに?」
目の前に置いてあるブラッディザクロを見て、恵美は目を丸くしていた。こんな彼女の表情は珍しい。それほどまでにブラッディザクロの見た目は奇想天外だということだろう。
「な、なんか妹が置いていってさ。今、流行ってる果物らしいよ?」
これも誤魔化さないといけないという事実に気付き、溜め息が出そうになる。
「へぇー……」
幸い、人間界には存在しないものだと気づいてはいないようだ。手頃な大きさのものを手に取り、恵美は口に運んだ。彼女が咀嚼している間も、心臓のドキドキが止まらない。
「あ、美味しいじゃん。なにこれ、不思議な味」
「そ、そうでしょ。流行るのも分かるよね……」
それ以上、その果物に言及されたらいつボロが出るのか分からない。そして、いつルナが見つかるかも分からない。
俺は、早く恵美との会話を終わらせたいと思い、彼女が話すのを促すことにした。
「で、なんの話しにきたの?」
「いや、また付き合うって話しにきただけだけど」
ベッドが、ガタンと鳴った。
「え?」
いくらなんでもそれを誤魔化すのは無理だ。明確な事象として恵美の前に現れてしまった。
恵美は後ろにあるベッドの下を見て、そしてこちらを向いた。
とても意地の悪そうな笑い方をしていた。
「これが、気になってる子? 説明してもらおっかな」
冷や汗が止まらない。俺は、何を言うことも出来なかった。
「こちらも臨むところです! 紗智さんとどういう関係なのか、洗いざらい話してもらいますからね!」
しかし、俺とは違いルナはとても威勢が良い。その後、ベッドの下からのそのそと出てくる仕草さえなければ、だが。
「……恵美、とりあえず説明させてほしいんだけど」
俺がサキュバスに告白されているという事実がそのまま伝われば、ルナが何をするか分からない。これ以上、話をややこしくしたくない。
俺は、説明という名目で誤魔化そうと恵美に話しかけた。
しかし、その恵美は、俺の方を一切、見ることなく、ルナに質問した。
「まず、あなたは誰?」
顔はずっと、にやけている。絶好のおもちゃ、見つけたりという顔だ。
「私は、サキュバスのルナです!」
ルナはルナで、真面目なところがあるのだろう。話が絶対にややこしくなるのに、わざわざサキュバスだということも一緒に言ってしまった。
俺はもう、頭を抱えてしゃがみこんでしまいたい気分だった。
「ふーん、サキュバスね。紗智とどういう関係なの?」
サキュバスをどう説明しようか、考えていると、恵美は意外にもあっさりと受け入れたようだった。
「……え、そんなにサキュバスを簡単に受け入れるの?」
「元カレの部屋のベッドの下から女の人出てきたんだよ。普通の人間だったら怖いでしょ」
そ、そういう話なの?
「まぁ、いいじゃん。で、そのルナちゃんはさ、なんで紗智に会いに来たの?」
そこに引っかかっている俺を置いて、恵美は話を進めるようだった。
恵美の質問に、ルナは元気いっぱいで返す。
「昔、紗智さんに助けられたからです!」
そんなルナへ、獲物を狙う蛇のように、恵美は湿った視線を送っていた。
「だから、告白しにきたってこと?」
「はい!」
「ふーん……」
二人の会話に入り込めず、俺はずっと見てしまう。交換し忘れていた蛍光灯が、二度三度点滅した。
恵美はしばらく考え込んだ後、こっちを見て笑った。
「迷惑でしょ。いきなりこんなこと言われたら」
それは俺に向けられた言葉らしかった。
ルナが見開いた目で顔をこちらに向け、驚く。
「え……?」
明確な攻撃だった。恵美から、ルナへの攻撃。
それは初撃で終わることなく、第二波、第三派がすぐに押し寄せてくる。
「今、紗智と付き合ってないんでしょ? 断ってるのに何回も言い寄られたらめんどくさくない?」
「あ……、え……?」
ルナは小さく口を開け、どうしたらいいのか分からないという表情でこっちを見ている。そんな彼女は、初めてかもしれない。
面倒くさいかどうかと言われて、俺はどうなんだろう。ずっと、彼女と一緒にいるのは面倒くさかったんだろうか。
俺とルナは今、どういう関係なんだろう?
俺はルナと今後、どういう関係になりたいんだろう?
(真剣に、考えてあげて下さいね)
シャンテさんの言葉がリフレインした。
「紗智のことなんも知らない癖に、付き合うってどういう了見なわけ?」
「あ、あの……」
ルナの声が震えていた。
恵美を止めないと、とは思っていた。しかし、かつて自分が不幸にしてしまった相手を制すなんて、どれほどに身勝手な行動なのだろう、とも思っていた。
「何も用意してないじゃん。そんな独りよがりで紗智のことを落とせると思ってるの? あんたみたいな、泥棒猫」
ルナは、顔を真っ赤にして泣きそうだった。
「恵美」
気づいたら、声が出ていた。
止めないと、ということしか頭になかったので、その先の言葉が出てこずに詰まる。
「それは……、言い過ぎだと思う。ルナは、恵美に別に何もしてないわけだし」
恵美に向かってそういうと、彼女は、口角を上げ、目を細くし、歪に笑った。
その姿は、トリックがバレた推理小説の犯人の様だった。
「ふぅん。そっちの肩持つんだ。別に良いよ、分かった」
恵美の態度は、堂々としたものだ。
「ルナちゃんが紗智を狙う限り、私とあなたはライバルだから。じゃあね」
彼女はそう言い捨て、俺の部屋から出て行った。
いつも、彼女は一人で来て、一人で去っていく。
部屋には、俺とルナが残された。
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