第11話 火照りが醒めぬ夏の夜にて

「す、すみませんでしたぁ~。だから許してくださいぃ」

「ふんっ」

 しばらくして、ちゃんと服を着たルナが謝りに来た。最初は拒んでいたが、どうしてもと言うので部屋にいれると、ずっとこの調子で謝り続けてくる。

 謝られている俺は、ベッドの上であぐらをかいていた。謝っているルナは、ベッドの下でひれ伏していた。王にでもなった気分だ。

「そんなに怒るなんて思ってなかったんですぅ……」

 怒るだろ、当たり前だ。

 だって俺は今、彼女の姿を見るともれなく裸姿を思い出すのだから。風呂から上がってだいぶ経ったのに、まだ体は熱い。勘弁してほしい。

「魔界の教科書を一度見せて欲しいよ、まったく……」

 ウブじゃなかったのか、彼女は。昼に見た恥じらい顔はなんだったんだ。本当に。

 ルナはずっと、俺の部屋に敷かれている緑色のカーペットの上にペタリと上半身の面を全てつけている。扇状に広がっている後ろ髪は、まだ水に濡れていて、蛍光灯の光を反射していた。

 ふと、そこには恵美が来ていたことを思い出した。

 そういえば、ルナが乱入してくるまでは、俺は恵美のことを考えて落ち込んでいた。あのままだったら、きっと今も落ち込んでいることだろう。

 ――ルナの元気いっぱいの姿は、人にも元気を与えるのだろうか。

 荒療治ではあるが、もしかしたら俺は彼女に助けられたのかもしれない。

 ずっと見ていると、彼女が不意に伏せていた顔を上げた。目が合った。

「ゆ、許してくれますかぁ……?」

 すぐ恥ずかしくなって逸らした。少しは発散できていた熱さが、また急に戻ってくる。多分、俺の体は永久機関だ。

「……待ってて」

 俺はそう言い残して、ベッドから降り、自室を出た。

 階段を下りてキッチンに行く。

 リビングでテレビを見ていた母親と目が合った。こちらは別に恥ずかしくなかった。

「風呂場に虫でもいたの?」

「ちょ、ちょっと滑っちゃって……」

 我ながら下手な嘘だなぁと思いながら、冷蔵庫を開ける。中には、カットされたスイカが置いてあった。

 半玉分を二つの皿に盛って、両手でそれを持つ。ウェイターのようだ。

「あら、そんなに持っていく?」

「ちょ、ちょっとお腹すいちゃって……」

「お腹、壊しちゃうわよ?」

 首を傾げる母親にこれ以上言及されないように、俺は早足で自分の部屋まで戻った。

 扉を開けると、ベッドの上で寝転び、漫画を読んでいるルナの姿があった。

 なんというか、お調子者な奴だ。許してほしいのか怒らせたいのかどっちなんだ。

 というか、こちらの方向に足を向けているせいで、下着が丸見えだった。

「……その無防備な姿も教科書に書かれてたの?」

「えっ? あっ……」

 慌てて起き上がって下着を隠した。どうやら、素らしい。

「これ、スイカ」

「え、いいんですか!?」

 ちゃぶ台の上に置く。ルナは綺麗な石を見つけた子供のように、目を輝かせてベッドから降りてきた。

「ありがとうございます! ……これ、どうやって食べるんですか?」

 暑いので開けている窓から風が入って、カーテンを揺らした。外からは、名前も知らない虫の鳴き声が聞こえてくる。ジーッという音だ。

「魔界にはないの?」

「はい!」

 どうやら、魔界にスイカはないらしかった。

 スイカがないということは、メロンも無いのだろうか。

「この、赤い部分を食べるんだ。黒い種は食べれないから吐き出してね。白い種は、噛めば飲み込めないことはないよ」

「分かりまひは!」

 スイカの食べ方を聞きながらスイカに齧りついていた。見たことが無い果実を前に、好奇心が湧いて仕方が無いのだろう。子供かと突っ込みたかったが、彼女が見せた笑顔の前に、そんなことは野暮だと思った。

「美味しい!!」

 口いっぱいに頬張っている。冬眠前のリスか。

 彼女の笑顔を見ていると、どうしてか自分まで笑顔になってくる。

 彼女を傷つけたくない。

 しかし、昨日彼女を振った時に思ったそれとは、また別の感情な気がした。

「美味しい? そりゃよかった」

 しばらく、二人で顔を見合わせながらスイカを食べる。

 小学生の時は、夏だけに出てくるこの赤く甘い食べ物を特別に感じたものだが、高校生にもなると、スイカはリンゴなどの果物と同じように考えていた。

 しかし、久しぶりに、本当に久しぶりに。

 スイカを特別な果物だと思った。

「ねぇ紗智さん。さっき、私のことを無防備だって言ったじゃないですかー」

 スイカを食べきるのももう少しというところで、ルナはそんな風に話しかけてきた。

「言ったけど」

「私が無防備だったら、なんなんですー?」

 そんなことを言う彼女の瞳は、いたずらっ子のように笑っていた。

 俺はその顔を見て、この目の前の女性がサキュバスだということを思い出した。

「な、なんもないよ……」

「んー?」

 目を逸らすが、それに付いてくるように顔を覗き込まれる。

 やっぱり、可愛い顔をしていた。

 先ほどの裸姿を思い出して、体が熱くなる。

「な、なんもないって!」

「なんもないんですかねー?」

 また、風がカーテンを揺らした。

 ルナの綺麗な金髪が、風に靡いた。

 風に当たっても、一向に俺の顔は冷えそうになかった。

 こんな夏も、良いなと思った。

「兄ちゃーん、私のスイカ知らなーい?」

 扉越しに妹の声が聞こえる。

「あっ……」

「えっ……?」

 ルナは、彼女が食べているスイカを目を丸くして見ていた。

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