第7話 トラウマは急に近づいてくる
しばらくして、ルナよりかは幾分か背が高い綺麗な女性が入ってきた。ベージュのセミロングに、丸い輪郭と垂れた目尻。清楚な白いワンピースを着ていて、第一印象はおっとりとしたイメージを受ける女性だった。
「どうしたのルナちゃん。私は友達だよー? あ、初めまして」
お辞儀をされたので、自分もすぐ立ち上がってお辞儀をする。
「紗智さん! この人が私の友達でシャンテ=シタダールちゃんです! 二人で魔界から来て、ここに住んでるんですよ!」
「ルームシェアってこと?」
「はい!」
魔界から来たということは、シャンテさんもサキュバスなのだろうか。
ルナとシャンテを、チラチラと見比べる。
……なんというか、個体差というのは人間もサキュバスも変わらないらしかった。どこらへんとは言わないが、そこらへんは魔界も人間界も、現実に直面するらしい。
「あ、その人が紗智さんなんだ。家に連れ込んだってことは、私は外に出た方がいい?」
彼女は首を傾げて、朗らかに笑った。
「えっ、そういうことなんですか!?」
ルナが驚いた様子でこちらを見る。
「い、いやいや!」
もちろん、俺にはそんなつもりは毛頭ない。変な勘違いをされても困る。襲われるのを防止するため、むしろシャンテさんにはここに居て欲しかった。
「あ、別にそういうことでもないんですね。じゃあ、私はここにいるので二人はお構いなく……。そういえばルナちゃん、買い出しは?」
「えっ、あっ……。わ、忘れてた!」
どうやら二人の中の約束があったらしい。慌ててルナは立ち上がり、そして「紗智さん、お話はまたにしましょう!」と言って、エコバッグか何かを取って出て行った。
俺は、今日初めて会うサキュバスの女性と二人で取り残されてしまった。
「あー、ルナちゃん皿も洗ってないじゃない」
シャンテさんは俺のことなど気にせず皿洗いを始める。
……気まずい。一言二言、話しておいた方が良いだろうか。そういえば、もしかしたらルナを傷つけずに振る手掛かりが、得られるかもしれない。きっと彼女の昔馴染みだろう。
自分で考えておいて、傷つけずに振るという行為の漠然さに呆れた。ただ、今の俺は人と付き合うわけにはいかないのだ。頑張って方法を模索しなければ。
「買い出しって、こっちのものを食べてるんですか?」
「はい? あ、食べ物ですか? そうですね。こっちのスーパーで人間界のものを食べますよ。そういう意味では、あまり人間の皆さんと変わらないです」
会話はまた止まってしまった。沈黙が続く。
やはり、共通の話題としてはルナだろうか。でも、何を聞けばいいのだろう。詮索しているみたいで、気持ち悪がられないだろうか。まぁ実際、詮索しているのだけれど。
皿を洗い終わったのか、蛇口から出る水を止めて手を拭いているシャンテさん。
色々と考えていると、不意に彼女が口を開いた。
「断ったんですよね、ルナちゃんの告白」
「えっ……」
核心を突かれたように思って驚く。ルナのことを振ったことによって何か言われるのだろうか。どうして付き合わないのかなどと言われるのだろうか。
身構えていると、どうやら自分が怯えていることが伝わったらしい。シャンテさんは、俺の方を見て柔らかい笑顔をした。
「大丈夫ですよ。別に紗智さんを責めようというわけではないんです。私とルナちゃんは友達ですけど、紗智さんにも色々とあるでしょうし」
「す、すみません……」
自分の中が見透かされている気がして恥ずかしい。やっぱり、分かりやすいんだろうか。
「でも、一つだけ」
シャンテさんは人差し指を自分の口に当てて、こちらに身をかがめた。それはまるで、小学校の女教師が生徒と約束をするときのような、包容力のある仕草だった。
「ちゃんと、真剣に考えてあげてくださいね? ルナちゃんは、本当に良い子ですから」
その言葉には、ずっと彼女たちが歩んできた歴史がある気がした。
なんだ。良い友達、いるじゃないか。
「……分かりました」
俺がそう答えると、シャンテさんは笑顔で頷いた。
彼女は、今度はコップに水を汲んで、見たことが無い魔界の花にあげていた。水で育つのか、それ。
水やり姿を眺めながら、少しだけ考え事をしていた。対象は、昨日に突然現れたルナというサキュバスについてだ。
やはり俺は彼女のことを傷つけたくはない。シャンテさんと話して、さらに強くそう思った。
真剣に考えるというのはどういうことなんだろうか。俺が真剣に考えた結果、彼女を振ることになれば、彼女は傷つかないのだろうか。
多分、そんなことはない。どれだけ時間をかけたとしても、どれだけ理由を並べても、降るという結果に落ち着けばきっと傷つく。
でも、それなら、やはり。
俺は彼女と付き合った方がいいのだろうか?
(幸せにしてくれるって言ったじゃん。嘘つき)
その言葉が頭の中で反芻した。アイツの顔と、その時の景色は、今でも覚えている。
――やっぱり、付き合えない。別の方法を探そう。でも、どうすれば……?
そんなことを考えていると、ポケットに入れていたスマホが鳴った。誰かからの電話らしい。親から、買い物の伝達だろうか。取り出して画面を確認する。
たった今、考えていた名前が表示されていた。
ずっと見ていなかった名前、しかし、ずっと覚えていた名前が、そこにはあった。
「な、なんで……?」
口からつい声が漏れる。
疑問が色々と出てくる。どうして今、かけてきたのだろう。とりあえずはそれを聞きたくて、俺は通話ボタンを押した。
スマホを、耳に付ける。ここ最近は聞いていなくて、記憶からも消えていた声が、スピーカーから流れてきた。
「久しぶり、紗智。別れてからぶりだね」
女性の声。そういうえばそんな声をしていた気がする。けど、前よりも低い声な気もした。
電話の相手は、かつて俺が幸せにできなかった相手、
別れたのは4年前。そこから、一度も連絡を取っていない。なのに、今になってどうして、電話なんか。
「……久しぶり。どうかしたの?」
気を抜くと震えそうな声を頑張って抑えながら、俺は言葉を発した。
いきなり連絡をしてきた恵美に、俺は少しの恐怖を感じ、多くの疑問をぶつけたかった。でも、できることならこれが間違い電話で、そのまま通話を切ってほしかった。
「おばさんに言ってもらって紗智の部屋に上げてもらったよ。今どこにいるの?」
ただ、恵美が返した言葉は、俺の生活に彼女が食い込むことを猛烈に叩きつけてきた。
「ちょ、ちょっと待って? 今、俺の部屋にいるの?」
「うん、いるよ。すぐ来れる? というか来てね。それじゃ」
電話がプツリと切れる。
しばらく、画面を見たまま固まっていた。
何をアイツは考えているのだろうか。全く、予想ができない。
でも、久方振りに喋った彼女は、全く変わっていないように思った。
「……何かあったんですか?」
シャンテさんに声をかけられた。ずっと携帯を見て、俺が固まっていたからだろう。
「い、いやあの……」
なんて答えればいいのだろうか。元カノから自分の部屋にいると連絡が来て戸惑っているとでも言えばいいのだろうか。
ルナから告白をされているのに?
自分がとても薄情で優柔不断な人間に思える。
「大丈夫ですよ。ルナちゃんには私から言っておきますから」
「え……?」
シャンテさんは先ほどの様に微笑んでいた。
俺に何か起こったことを察してくれたのだろう。この人の包容力は他の追随を許さないものだ。
「とても焦ってるの、丸見えです」
やはり、俺は分かりやすい性格らしい。何か起こってももう少し冷静でいれる人間になりたいと切に思う。
「す、すみませんなにか……」
「いえいえ」
取り敢えず、立ち上がって急いで玄関に向かう。
家を出る時に、シャンテさんは俺に向かって呟いた。
「本当に、前向きに考えてあげて下さいね。ルナちゃん、良い子ですから」
そろそろちゃんと、俺は考えなければいけないようだった。
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