第6話 サキュバスの家にて、魔界を感じる

 街の少しはずれにあるアパートに、俺は連れてこられた。

 二階建てのアパートで、家賃はそんなに高そうには見えない。ただ、ボロボロというわけでもない。なんというか、コストパフォーマンスが良さそう物件だった。

「ここが私の家になります!」

 その一室に、ルナは住んでいるらしい。

 サキュバスが人間界でアパートを借りていると思うと、かなり笑えた。

「ちゃんと家に住んでるんだね……」

「当たり前ですよ! 私にだって生活がありますから」

 そもそも魔族という時点で、この世界では当たり前ではない。そのようなツッコミは、無粋なのかもしれない。

 中に入れてもらい、玄関で靴を脱いでお邪魔をする。部屋に入るときに、しっかりと女の子の部屋らしく良い匂いがしたせいで、少しドギマギしてしまう。ルナのことを振ってはいるが、ちゃんと俺だって男なんだ。しかも別に、女慣れとかしているわけではない。

「あれ、紗智さん顔赤いですね。大丈夫ですか?」

 分かりやすすぎる自分が憎かった。ルナの部屋に緊張している自分も憎かった。ついでに言えば、こういう時に心配してくれるルナも憎かった。

 告白を受け入れていない分、照れているなんて口が裂けても言えない。

「ラジオ体操で血圧が上がりすぎちゃったかな……?」

 視線が合わないように、部屋の隅を見て答えた。

 中はかなり広いワンルームだ。入ってすぐの場所にキッチンがあり、その奥に部屋がある。

 内装は、女の子らしいピンクのカーテンや棒状の芳香剤、そして見たことも無い禍々しい花や、読めない字で書かれた本がびっしり詰まっている本棚も置いてあった。

 魔界要素を除けばとても可愛らしい部屋だ。今時の人間界では逆に珍しいかもしれない。サキュバスというのは、好みも一様に可愛らしいものなのだろうか。それとも、そこには個人差があるのだろうか。

「ここに座ってください!」

 部屋の中央に置かれているテーブルの横に座る。なんとなく、落ち着かないので正座になった。

 そんな俺を見て、ルナは少しだけ微笑んだ。屈辱的だった。

「あ、少しだけ待っててくださいね」

 そう言って、彼女はキッチンに置かれている冷蔵庫を開け、何かを取り出してテーブルの上に置いた。

 ガラスの器の中にプルプルとした物体が入っている。金属製のスプーンも添えられていた。彼女自身の分も合わせて二つ、テーブルの上には置かれている。

 俺の対面に座ろうとしている彼女にこれは何かと聞く前に、彼女から説明をしてくれた。

「これ、アイススライムのゼリーです。夏場にピッタリですよ!」

 どうやらこれは、アイススライムのゼリーらしい。

 アイススライムのゼリーというのは、一体なんだろうと少しだけ考えたが、すぐに自分の脳内では答えが出ないと分かった。人間界のものではない。

 彼女はもう、スプーンでゼリーを掬って口に運んでいる。

「よく冷えてておいしぃ♪」

 目を瞑り、至福の瞬間を味わっているようだった。

 俺は今一度、自分の皿に視線を落とした。見た目的には確かに、市販のゼリーに見えなくも、ない。

 意を決して、そのアイススライムのゼリーとやらを食べてみることにした。人生で初めて、魔界の物を食す瞬間だ。

 スプーンでそれを掬ってみる。

 ゼリーよりかは、少し固いと思ったが、一度スプーンを入れて見ると中はプルプルとしていた。

 どうやら表面と中で感触が違うらしい。

 それを持ち上げて、俺は口の中に入れてみた。人間が食べた瞬間に爆発とかするんじゃないかと少しだけ思ったりもしたが、そんなことはなかった。

 口の中に入れると、まずひんやりとゼリーの温度が伝わった。かなり冷たい。アイスみたいだ。

 それを噛んでみると、表面はタピオカのようにコリコリとしていた。噛み応えがある。しかし中身は、ゼリーのようにプルプルとしていて、簡単に歯が通った。あまり体験したことの無い、新食感というやつだ。

 味は、これだと当てはまるものは無かったが、ソーダに近いように思った。甘味の中に、本当に少しだけ酸味が混じっている。

「美味しい、ですか?」

 ルナが、俺の反応をうかがうように顔を覗き込んでいた。

「ん、凄い美味しいよ。今まで食べたことの無い、不思議な味」

 俺がそう言うと、彼女は胸を撫で下ろして安心したようだった。

「よかったぁ……。紗智さん神妙な顔していたから、お口に合わなかったかなと心配になっちゃって」

 どうやら俺は複雑な顔をしていたらしい。恐らく、魔界の食べ物に身構えていたのと、真剣に味を考察していたからだと思う。

「あっ、ご、ごめん。普通に美味しくて、驚いちゃった」

「もっと食べてても、いいんですよー?」

 彼女は机の頬杖を突き、こちらを眺めた。とても笑顔だ。

「い、いやいや。食べにくいよ……」

「私のことなんてお構いなく、ですよ」

 そんなこと言われたって、気になるものは気にしてしまう。

 俺は話題を逸らすために、ここに来た目的である好きなタイプについて、聞くことにした。

「……ルナの、タイプの人は?」

「紗智さんです!」

 身を乗り出して彼女は答えた。いつも彼女は身を乗り出している気がする。

「じゃ、じゃぁ。魔界に、仲のいい男の人とかはいないの?」

 俺がそれを聞くと、身を乗り出していたルナは急に罰が悪くなったように、体を引いた。

「え、えっとそれは……」

 言い淀んでいる。もしかしたら、これは何かあるのかもしれない。あまり褒められたことではないが、俺はそれを詮索することにした。

「男友達、みたいなの、いたりするの?」

 自分は好きだが相手にはもう恋人がいて、とか、結局好きだと言い出せず人間界にきちゃった、とかそういう人がいたっておかしくない。年頃のサキュバスだ。淡くほろ苦い恋の経験談、一つや二つ、あるだろう。かなりサキュバスに対して偏見かもしれないが。

 ルナは口を尖らせて、独り言のように呟いた。

「……友達とかほら、生きていく上で必要最低限で大丈夫だと思いません?」

 過去の恋愛の地雷を探しに行こうと思ったら、別の地雷を踏んだ気がした。

「え?」

「よく分からないんですよね。人の心とか、なんですか、その、友情とか。そっちがどう思ってるとか、こっちはこうしなきゃいけないとか、面倒なんですよ……。空気読めないとか、言われても、いや知らないし、みたいな……」

 もしかしたらルナは、とてつもなく不器用なのかもしれなかった。

 思い返してみれば、俺が彼女と初めて会った時、とても不愛想な対応をされた。あまり俺の前ではそんな姿を見せないが、もしかしたらあの不愛想な彼女こそが、本当のルナなのだろうか。

「もしかして……」

 こじらせてる? 俺がそれを言い終わる前に、ルナはぎこちなく笑った。

「紗智、だけに察知、しましたか? えへっ」

 本当に、人生で見た中で一番の作り笑いだった。むちゃくちゃ素人の特殊メイクみたい。まさに化けの皮だ。

「む、無理しないで良いよ。人には人の生き方があるもんね……?」

 俺には、同情しか出来なかった。自分で地雷を踏んでおいてなんだが、この地雷は自分には処理が不可能だと思う。

 安易に人の内側に入ってしまったことを、俺は深く深く反省した。

「しっ、仕方ないじゃないですか! 人間界渡航試験に受かるために猛勉強しないといけなかったんですもん! 人付き合いなんて、やってる暇なかったんです!」

 人付き合いをやる、と言っている時点でもうボロは見えている。

 いや、そんなことより、何か難しそうな言葉が出てきた気がする。なんのことだろうか。

「に、人間……、なんて言ったの?」

「人間界渡航試験です! 魔界から人間界に来るためには、試験に受かって合格しないと来れないんですよ!」

 どうやら魔界でも人間界でも、勉強はしないといけないらしい。

「え、そんな試験があるの……?」

「はい! ちなみに私は、首席で合格しています!」

 先ほどの哀愁はどこへやら。ルナは、胸を張って誇らしげに言った。相変わらず、胸は無かった。

 試験の首席と聞いただけで、今の俺は少しルナに対して気が引けてしまう。もうこんな心持なら、いざ受験生になれば気負い過ぎてしまうのではないかと、自分が少し心配だ。

「……主席で合格って凄いの?」

 俺が疑問を投げかけると、彼女は立ち上がり、部屋の端にある棚に飾ってある藁半紙わらばんしを手に取った。

「凄いことです! これを見てください!」

 勢いが凄かった。

 ピンク色のカーテンが、窓から入ってくる風になびいた。

 渡された藁半紙を手に取る。人生で初めて、藁半紙に触れた。なんとなく分かってはいたが、ザラザラしていた。

 そこに書かれている文字を読む……。え、いや。あ、そうか。

「読める訳ないじゃん」

 ルナの顔を見てそう言い捨てた。ニコニコしていた顔から、舌がちょっぴり出された。

「魔族文字で書かれていたの忘れてました。てへっ」

 とても腹立たしいのに、可愛いせいで怒る気になれなかった。それ自体がさらに腹立たしかった。

「なんて書いてるのか、説明してよ」

 ここまできたら、その人間界渡航試験というものがどんなものなのか気になる。そして、それを主席で通過したというものが、どれだけ凄いのかも気になる。

 説明を求めると、ルナはまたまた自慢げにふんぞり返り「分かりました!」と言った。ふんぞり返っているのに敬語なのが面白かった。

 いつの間にか、見たことない禍々しい花までふんぞり返っていた。どうやら、周りの動いているものと同じ動きをするらしい。

「ここにはですね、貴殿は六十万人のサキュバスの中で、筆記試験において最も優秀な成績を残したことをここに示す、と書いています!」

「へぇー……。ろっ、六十万!?」

 試験を受けている人数の多さに驚いた。六十万って、相当な人数だ。俺が受けようとしているセンター試験の受験者数と同じくらいじゃないか。

 センターでの一位と同じくらい凄いとすると、急に目の前のサキュバスに尻込みしてしまいそうになった。

「まぁ……、筆記だけ、なんですけどね」

 その言葉を聞くまでは。

「え、筆記以外にも試験はあるの?」

「筆記と、実技があります。どっちも、受けてないといけないです」

「実技試験は何点だったの……?」

 彼女は控えめに笑った。

 中学生の時、勉強していなかった音楽の筆記試験で赤点を取ったことを、親に隠そうとする自分を思い出した。

「別に、いいじゃないですか」

 微笑んだまま彼女は言った。

 ここまで露骨な話題逸らしに、効果があるとは思えなかった。

「……満点は何点なの?」

「実技は百点満点ですね」

 どうしても彼女の点数が知りたい俺は、鎌をかけることにした。

「五十点?」

 ふるふると、ルナは首を振る。

「四十点?」

 哀愁を漂わせる視線で彼女はこちらを見た。

「……二十点?」

「紗智さん。もう止めましょう」

 それより下らしかった。

 というか、筆記試験の点数が高ければ実技試験の点数が二割を切ってても合格らしい。その評価方法はいかがなものかと思った。

 明らかに問題がある魔族が人間界に来てないか? これ。

「……サキュバスの実技試験っていうのは、自然な手のつなぎ方だったり、せっ、接吻せっぷんの仕方を学んだりするんです……。そんなのできるわけないじゃないですか!」

 いきなり彼女は怒った。どこへの怒りかは分からない。魔界の、実技試験の問題を作成した人へだろうか。

 確かに、サキュバスといえば淫魔というイメージがある。やっぱり、魔界でそういうことを学んでこっちに来るらしい。

と、いうか。

「ルナってもしかして、ウブ?」

 もしかして、この目の前の女性は、サキュバスというイメージに合わずそういう経験が無い人なのだろうか。

「そっ、そそそそんなわけないじゃないですか! 私はサキュバスですよ?」

「…………」

 要するに、彼女からの話を聞く限り。

 彼女は男性経験がなく友達付き合いが苦手なガリ勉、らしい。

 一日で人への印象はかなり変わるなぁ、と俺は漠然と思った。

「あっ、なんですかその目! 私のことを憐れんでますね!? 別に、私にだって友達の一人くらいいるんですからね!」

「うんうん、そうだよね」

「聞いてないでしょ!」

 ルナと素人漫才みたいなことをしていると、この部屋の玄関の扉が開く音がした。

「ただいまー」

「えっ?」

 この部屋、他に誰か住んでるの? そう俺が言う前に、ルナが玄関にいるのだろう人物に対して話しかけた。

「おかえりー! シャンテちゃん! シャンテちゃんは私の友達だよね!?」

 どうやらその人はシャンテと言うらしい。

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