第19話 暗い海の底で二人っきり
夏休みも終盤に差し掛かり、蝉よりも赤とんぼを見ることが多くなってきた頃。
俺はルナと二人で、とある場所に来ていた。
「人間界の魚って綺麗ですね……」
「魚、が綺麗なの?」
「はい。水も綺麗ですけど、そこを泳いでいる魚も、とても綺麗です」
水族館だ。デートの定番といえば定番だし、外しているといえば外している気がする。
一応、二人の初めてのデートだ。水族館というチョイスは、ルナから頂いた。
魔界の魚は禍々しいものや恐ろしいものが多いらしく、テレビで見た人間界の魚に衝撃を受け、そこから興味が湧いたとのことだ。だから、連れて行って欲しいと直々に頼まれたら、彼氏としては連れていくしかない。
「ルナって、魚食べるの好き?」
「うーん、まだ箸が慣れなくて、食べ辛いとは思いますね。でも、普通に好きですよ!」
大きな水槽の中には、アジやイワシなどの小魚から、エイなどの大型の魚まで多数が飼育されていた。ちなみに、先ほどルナが綺麗だと言ったのはイワシの群れだ。キラキラと鱗が光を反射しているのが良いらしい。普通、綺麗って魚なら熱帯魚とかに使うと思うんだけど……。
彼女の感性は、中々独特なようだった。
「紗智さんは、魚好きですか?」
「そう……、だね。最近、もう肉があまり好きじゃなくなって……」
「えー? その年でもう油駄目になったんですか?」
「悲しいことにね……」
彼女はなおも水槽を見上げながら、俺の言葉に受け答えをしていた。
イワシの群れが、相当に気に入ったらしい。
俺も彼女に倣って、イワシの群れを下から覗いてみることにした。
ライトから出されている光が、水槽の中を屈折して光っていた。光の列のようなものが水中に出来ている。そこを何百匹というイワシの群れが通るたびに、鱗が反射して輝いていた。それはまるで、光自体の群れが泳いでいるようだ。
確かに綺麗かも、と、少しだけ思った。
「紗智さん。あの大きな魚はなんですか?」
「ん? あぁ、あれはエイだよ」
「エイ、っていうんですね。空を飛んでるみたいで、気持ちよさそうです」
細かな種類は分からないが、かなり大きいエイが、水槽の上部を滑らかに泳いでいた。
ずっと、エイのお腹側を顔だと思い込んでいたのは、子供の頃あるあるだと思う。今でも、エラが顔のシワに見えてつらい。
「……ルナも、空って飛べたよね?」
「え? あ、はい。飛べますよ」
「やっぱり、気持ちいいもんなの?」
ルナの魔物となった姿は、付き合った日以来見ていない。思い返せば、そもそもルナが空を飛んでいる姿をハッキリと見たことが無いかもしれない。
男の子なら一度は考える、もしも空を飛べたらという妄想。それを目の前の彼女は可能なのだ。一体、空を飛ぶという行為がどんなものなのか、感想だけでも知りたい。そう思って聞いたのだが……。
「一緒に飛んでみます?」
返ってきたのは、そんな返答だった。
「え……。一緒に……?」
「はい。私の背中に乗って」
ルナは自分の背中を指さす。
彼女のウエストは、標準より少し細いくらいだ。俺が跨いだら、簡単に折れてしまいそうで怖い。というか、ルナの翼ってそんなに力があるものなのだろうか。魔法だから、翼の大きさとか関係ないのだろうか。
「嘘ですよ。いくら何でも、紗智さんを乗せて飛ぶのはしんどいです。ジョークってやつです」
「……えー。ちょっと、期待しちゃったよ」
嘘らしい。ジョークとか、どこで覚えたのだろう。それもテレビで覚えたのだとしたら、余計なことをしてくれたなと言わざるを得ない。
「ごめんなさい」
彼女はげんこつをちょこんと自らの頭に当てて、片方の目を瞑り舌を出した。
古典的な、テヘペロのポーズだ。
それもテレビで覚えたに違いない。
良い仕事するじゃないかテレビ。その言葉はグッと飲み込んで、俺はルナの頭の上に手を置いた。
「いい子だな。もう、するんじゃないぞ」
「えっ……」
「…………」
しばらく顔を見合わせる二人。
お互いに相当恥ずかしくなったところで、顔を背けた。
何やってんだ。付き合いたてで浮かれてるとしか思えない。どっからどう見ても、痛いバカップルのやり取りだ。
目の前の大量の水を見て気を落ち着かせなければならない。
水槽の中では、二匹のエイが体を重ねていた。
「…………」
「……魔界の魚って」
「…………なんですか」
「……どうやって繁殖するの?」
「バーカ」
ルナはそう言って、一人で順路を先に行ってしまった。
怒らせてしまったかもしれない。
「まぁ、それでも……」
楽しいことに変わりなはい。
彼女の後を追いながら、とてもリラックスしている自分に気付いた。
肩の力を抜いて、難しいことを考えずに、冗談を言い合いながら話せる。
そんな関係が、あの時、どれほど羨ましかったことか。
「これで、いいんだよな?」
多分、これでいい。
きっとルナとなら、関係が崩れそうになっても、二人で立ち直せる。
「これで……」
二人で幸せになれる。確かにそれは、俺が感じたことだ。
だから、これでいいはずなんだ。
自分の手の届く範囲で、人を幸せにできれば。その上で、自分も幸せであればいいはずなんだ。
俺は、自分の胸の中にあるのかないのか分からないしこりをさすって、それを見て見ないふりをして、彼女に追いついた。
そこは、深海魚ゾーンだった。
暗い照明に、怪しげな雰囲気で展示されている水槽が、なんとも童心をくすぐる場所だ。
「紗智さん……。不思議ですね、こんな生き物がいるなんて」
彼女は一足先に生き物を観察していた。
その視線の先には、白い網目状の塔みたいなものがある。
これが部屋の中に置かれていれば、オシャレなランプとして認識してしまいそうな物体がそこには展示されてあった。
「カイロウ……ドウケツ……?」
水槽のよこに設置されてあるプレートにはそう書かれてあった。どうやらこのランプみたいな生き物は、そのような名前らしい。円筒状の海綿やらなんやらと書かれているが、俺にはこれがどのような生き物なのかは、今いちピンと来なかった。
動きも何もしないそれを、ルナはガラス面に当たりそうな勢いで見入っている。何がそんなに楽しいのだろうか。
「可愛らしいですね」
どうやらこれは可愛いらしい。俺には全く理解できない。どこが可愛いのか、悔しいので探してみることにした。
カイロウドウケツの質感は、よく見れば少しゴツゴツしていた。ここが可愛いのだろうか。うーん……。そもそも、白いから可愛いとか?
ジッとそれを眺めていると、中で何かが動いていることに気付いた。
「……エビ?」
その物体の中に、小さなエビが閉じ込められていたのだ。それも、二匹。
「そうです。中で体を寄せ合って……。可愛くないですか?」
そのエビのことを可愛いと言っていたらしい。入れ物の方じゃないのか。良かった、エビが可愛いなら、まだ俺もついて行ける。
そのエビの説明もプレートに書かれていた。
どうやら、カイロウドウケツの中に住んでいるエビで、カイロウドウケツエビと言うらしい。幼い時に入り込み、そこで成長することでやがて網目より大きくなって出られなくなる。
カイロウドウケツとエビはいわゆる共生の関係で、一つのカイロウドウケツにつき必ずつがいのエビが二匹だけ入り込む……。
一生、この中で二人きりか。中々、壮絶な人生だ。その二人の相性が悪かったりしたら、目を覆いたくなる人生だろうに。雄は肩身の狭い生活をしているに違いない。
「こんな生活、私憧れるかもです」
「えっ」
俺の考えとは裏腹に、ルナはこのような生活をしたいらしい。
「私、お姉ちゃんが優秀なサキュバスだったので、小さい頃に両親からあまり相手にされなかったんですよね。だから、人からの愛っていうのを、きっと独り占めしたいんだと思います」
視線はずっと、水槽の中に向かっている。
決してこちらは向かない。彼女の唐突な自白に、俺は何を返せばいいのか戸惑った。
でも、それを聞いたことで、俺は更に彼女に近づけた気がする。
だから、そんな意見も受け止めることにした。
「大丈夫。俺が好きなのはルナだけだよ」
「……はい。そうしてくださいね?」
こういった台詞はどうしても恥ずかしいものがある。ガラスに映った自分を見れなくて、自然と二人ともその水槽から離れた。
「でも、あんな感じで世界に二人きりって言うのは、ちょっとあれかも。やっぱり、友達とかとも遊びたいし……」
「もう。憧れるって言っただけで、ああしたいわけじゃないですよ。私があんな生活を求めてると思ったんですかー?」
「そ、そうだよね? 良かったぁ……」
「魔法を使えば、紗智さんを部屋に閉じ込めること自体は簡単ですけどね」
冗談なのかどうか分からない。
俺の彼女は、意外と怖い人なのかもしれない。今度、シャンテさんにちゃんと聞いておこうと思う。
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