第21話 曇り空から差した月光

 ルナとデートしたその日の夜、部屋の中に一人で俺は椅子に座っていた。窓から見える夜空には何も見えない。陽が落ちてから曇り空になったようだった。

 とても偏見ではあるが、高校生で付き合いたてだと、もっと情熱的になってもいいと思う。十秒に一回好きって言ったりとか、もう君以外は見えない、だとか。

 それだというのに俺は、今も彼女以外の女性について悩んでいる。

 いくらなんでも少し不誠実すぎないか。そして、難しい恋愛すぎないか。

「兄ちゃーん、ちょっといい?」

 コンコンと扉がノックされた。次に聞こえたのは、最近、父への当たりが鮮明に強くなった妹だ。この前なんか、喋りかけても無視していた。大人が無視されているのを、俺は初めて見たかもしれない。

「んー? 別にいいよ」

 父だけじゃなく、兄である俺にも反抗期だったはずなのだが、妹からこうやって部屋に来るのなんて珍しい。ゴキブリでも出たのだろうか。

 扉を開けて、妹である紗奈が部屋に入ってくる。インナーカラーにピンクを入れているショートの髪型は、夏休みだけに許される中学生の道楽だ。

「どうしたんだよ紗奈さな

「いや、兄ちゃん最近新しいゲーム買ったでしょ。あれやらせてもらおうと思って」

 とても現金な妹だ。

「……ダウンタウンファイターのこと?」

「そうそう、それそれ」

 ダウンタウンファイターは、二人でプレイする対戦格闘ゲームだ。確かに、新作が発売されたので買った。

 ただこのゲームは経験者とそれ以外の差が大きいゲームだ。この妹、ずっとシリーズをプレイしている俺にわざわざ負けに来たのだろうか。

「俺と、対戦、でいいのか?」

「当たり前でしょ。なんで兄ちゃんの前でコンピューターとやらなきゃいけないの。そんな虚しい」

 紗奈はそう言いながらもうコントローラーを手に持ち、座ろうとしていた。臨戦態勢に入るまでの行動が鮮やかだ。

 もしかしたら反抗期の分の鬱憤をこれで晴らす気なのかもしれない。避けているとはいえ、どうしても晩御飯の時には父と顔を合わせる。ストレスは、溜まっているはずだ。

「負けても泣くなよ。昔みたいに」

「こっちの台詞」

「お前に負けて泣いたことなんて俺はない」

 ゲームを起動させ、置いていたコントローラーを持って妹の隣に座る。

 そういえばコイツとゲームなんて久しぶりだな。少し照れ臭い。

 風呂上がりなのだろう。横からシャンプーの香りがする。妹も順調に女性として育ってきているようだ。兄としては、複雑なような、嬉しいような……。

 いや、別に何とも思わないな。単純明快だった。ジャンケンくらい。

「友達の家でやったりしたの? このゲーム」

 ホーム画面からダウンタウンファイターを起動させる。そのロード中に、気になっていたことについて聞いてみた。いくらなんでも、格闘ゲーム未経験で経験者に挑むほど、馬鹿ではないだろう。

「うん。前作は友達の家でやってた」

 やっぱり、シリーズ経験はあるみたいだ。そりゃそうだよな。

 いや、ちょっと待てよ?

「ダウンタウンファイター持ってる友達がいるの?」

「まぁね」

 このゲームはかなり本格派の格闘ゲームだ。技を出すのにコマンドを入力したりしなきゃいけない。

 女友達が、持ってるか?

 いや、現代の女子中学生だったら、別に持っててもおかしくないのか? 少し体育会系の女子とか、こういうの好きそうだしな。いや、そもそも体育会系ならゲーム持って無いか。

 それとも、もしかして男だろうか。

「私トラ使っていい?」

「ああ、別に良いよ」

 キャラ選択画面で、慣れた手つきで操作する妹。もしも家に行って一緒にゲームをするような仲の男がいたら、お兄ちゃん少し心配かもしれない……。

 そんなこと間違っても口に出さないけど。せめて妹の中での好感度順位では、父より上にいたい。

 画面上にファイトという文字が見えた。戦闘開始の合図だ。妹の、お手並み拝見といこう。

 このゲームを持っている者として負けるわけにはいかない。俺は堅実に妹のキャラの体力を減らす作戦を取る。ガード不可の投げや弱攻撃中心の、あまり冒険しない戦い方だ。

「……なんか、兄ちゃんの戦い方、卑怯じゃない?」

「卑怯もラッキョウもあるかよ。バグ使ってるわけじゃあるまいし」

 極悪人みたいな台詞を吐きながら、妹が操作しているキャラクター、トラの体力を俺のキャラは着実に減らしていく。

 そんな俺に対して、紗奈のプレイングはかなり攻撃的だった。次の手を読んで大技を撃ったり、難易度が高い連続攻撃に挑戦したりしている。

 ゲームの腕が上手なら敵を圧倒できたりするのだろうが、そこはゲームを持っていない初心者、失敗して隙だらけになってしまったりしている。そして、順当なこすい手を使う俺にドンドンと体力を減らされ、遂には負けてしまった。

「もー! 兄ちゃんとやるとつまんない!」

「普通それ何回も負けてから言わない? なに一回目で核心突いてくれてんだよ」

「だってそうじゃん。あー! 恵美さんとやるとあんなに楽しかったのになー!」

 妹の顔を見つめる。

 何? 恵美だって? 恵美とこのゲームをやったって言ったのか、俺の妹は。

「恵美とやったことあるの?」

「え、言ってなかったっけ。あるよ」

「な、なんで?」

「なんでって、恵美さんと私、一時期遊んでたから。さすがに兄ちゃんと別れてからは気まずくて連絡取らなくなったけどさ」

 初耳だった。もの凄く初耳だった。そして、驚く情報だった。

 どうして、紗奈が恵美と遊んでいるのか。

「恵美の家で……?」

「うん」

 そういえばアイツ、ダウンタウンファイター持ってた気がする。

 自分が勝負に勝ったことよりも、紗奈が恵美と遊んでいたことの方が驚きだ。

 俺がしばらく呆気に取られていると、紗奈はボソリと呟いた。

「恵美さん、良い人だったなぁ」

 テレビの画面を見ている。遊んでいた頃の記憶を思い出しているのだろうか。

「良い人、だった?」

 紗奈のその発言に引っかかる。

「うん。面倒見が良いお姉ちゃんって感じだったよ。なんで別れたの?」

 自分からはそんな風に見えたことは無い。

 彼氏に見せる顔と、友達に見せる顔は全くの別物とは言うが、ここまで印象が食い違うとは思わなかった。

「なんで別れた、かぁ……」

 昼も夜も、少しメールの間隔が開けば怒りの電話が飛んでくる。連日連夜、死にたいと言われ、その生活に段々と俺も疲弊ひへいしていった。

 付き合っている時点で、どちらが悪いというのはないのだろうが。

 彼女は結局、不幸という生活から抜け出すということは出来なかった。

「まぁ、細かいことは聞かないけどさ。私から見た恵美さんは、良い人、だったよ。ジュースとか奢ってくれたりしたし」

 良い人のエピソードそれかよ……。と思ったけど、当時の紗奈は小学校高学年くらいだ。そして恵美は中学生。それを鑑みればジュース一本でも、かなりの偉業なのかもしれない。

 紗奈はコントローラーを操作して、再びトラを選んでいた。

「もう一戦するの?」

「うん」

 付き合うか。俺も、キャラを選ぶ。

「二人だと、試合を待つ時間が無くていいね」

 試合開始とともに、紗奈はふとそんなことを言った。

「……え。恵美と遊ぶときは二人じゃなかったのか?」

 彼女は、コツを掴んだのか、俺のキャラにコンボ攻撃を当てながら、ゲームをする片手間に言った。

「うん。すみれさんっていう、恵美さんの友達といつも三人だった」

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