第27話 虎穴に入らずんば
妹にメッセージを送り、かつて行ったという恵美の家を教えてもらった。
そして、さっそく教えてもらった住所は、高台から少し遠いところにある隣町のものだった。
俺は自転車を漕ぎ、そこまで急ぐ。なんだか今日は、体を使ってばっかりだ。
もう太陽も沈み、辺りは薄暗くなってきていた。
運動しているのと、焦る気持ちで、心臓はこれまでにないくらい拍動している。
紗奈から貰った住所と一致する場所に、先鉾という表札が掲げられている一軒家があった。そこの家の前に自転車を止め、インターホンを鳴らす。
「はぁっ……、はぁっ……」
インターホンの前で、膝に手を付いて肩で息をしている。周りから見たら、かなりの不審者に違いない。
しかしこれ、誰も出なかったらどうしよう。見たところ、家の灯りは、もう辺りが暗くなるのに付いていないように見える。
というか、人が出て来てもなんて説明すればいいんだ?
……恵美が出てきた場合、なんて言えばいいんだ!?
しまった。インターホンを押したのは間違いだったかもしれない。そう思って待っているが、まったく返事は返ってこなかった。
これは、逆に好都合だ。
家に、入り込もう。
そう思いきるのに、躊躇は無かった。
二階建ての一軒家の、まずは扉が開いているか確かめる。引いてみると、開かなかった。
正面の扉が開かないとなると、窓しかない。
周って確かめてみたが、一階の窓はどこも閉まっていた。
とすると次は、二階の窓か。
室外機を足場にし、家の壁を這っている、何に使うか分からないパイプを登り、屋根の上に乗る。
家宅侵入という犯罪をしているという自覚はあるが、そんなこと言っている暇もない。この窓が開かなければ、もう破るしかないな、と考えていた矢先に。
「……開いた」
ガラガラと、一つの窓が開いた。
そこから、恐る恐る中に入り、内側から窓を閉める。
「ドンピシャ、か……?」
その部屋は、物置や寝室などではなく、人が使っている部屋のようだった。
蛍光灯のスイッチとなる紐が、部屋の中にぶら下がっている。それを引くと、部屋の灯りが点いた。
しかも、もしかしたら、どうやら恵美の部屋っぽい。
窓の正面方向に、この部屋に入るための扉があり、左にはベッド、右には本棚と机が置かれた、シンプルな内装だった。
ベッドの枕元には、可愛らしい人形が置かれている。それ以外にも、時計がテディベアが時計を担いでいるものだったり、カーテンがピンクだったり。それが、ここを恵美の部屋かもと思った理由だ。
あいつは意外と、ファンシーな物を好む。それは俺が、誕生日プレゼントを買う時に得た情報だった。
「懐かしいな……」
少しノスタルジックな気持ちになりながら、部屋を見ていく。
靴のまま入っているのは、本当に申し訳ない。いや、今からでも遅くない、靴を脱ぐべきか?
そんなことを思っていると、本棚に一つのものを見つけた。
「……あいつ」
それは、俺が誕生日プレゼントであげたぬいぐるみだった。
中学生一年生の時にあげたものだ。今思い出すと恥ずかしいくらい子供らしいプレゼントだと、自分でも思う。
デフォルメされたウサギが座っていて、耳に人参の飾りが付いている。当時はそれを、どんな気持ちで贈ったかなんて、もう忘れた。
ただ、それを渡した時の彼女の喜んだ顔は、覚えている気がした。
「こんなん、捨てとけよ……」
どうして、別れてから四年経った今でも、アイツはこれを置いているのだろう。
そんなことを考えていると、本棚に置かれているぬいぐるみの後ろに、一冊の大学ノートが置かれているのが目に入った。
オレンジ色の表紙には、日記と書かれている。
「……!」
それを読めば何か分かるかもしれない。
俺は慌ててそのノートを手に取り、部屋の中に置いてある机の上に広げた。
表紙をめくってまず出てきたのは、クシャクシャになったページだった。
「なんだ、これ……?」
一ページ目が全てシワだらけになっていて、ところどころ破れたりしている。そのページに文字は書かれているが、読みづらそうだったので後にまわし、次にページをめくった。
三カ月前の日付の日記だった。
(どうしても心の整理が付かなくてこれを書くことにしたけど、やっぱり昨日は疲れていたみたいだ。ページをクシャクシャにしてしまった。
お父さんが死んでもう一週間が経つ。私にはまだ、心の整理はついていない)
「……お父さんが、死んだ?」
その日記には、そんなことが書かれてあった。
「恵美ってたしか、父子家庭だった……」
あまりあいつは俺に家庭環境を明かさなかった。俺は恵美の家だってどこにあるか知らなかったくらいなんだから。
だが、あいつが父子家庭であるということは知っていた。
そんな恵美の、お父さんが死んだ……?
(私はこれで、本当に孤独だ。お母さんは私達を騙して逃げた。お父さんは、死んだ。身寄りもいない。なんで私ばっかこんなことに。どうして私ばっか不幸に)
そこでそのページは終わっていた。
その後のページは、日付が飛び飛びになっていて、取り留めのないことが書かれてあった。菫さんと遊んでいたという話はよくでてくる。本当につい最近まで、仲が良かったらしい。
日記を読み進めていくと、気になる日付があった。
八月、十七日。俺が恵美と久しぶりに会った日の前日だった。恵美がいきなり電話をかけてきた日の、前の日。
その日の日記には、こう書いてあった。
(今日私は、マブズというデーモンと出会った。そんな話、誰が信じるのかと私自身が思うけれど、本当に出会った。この目で二メートルもある、真っ黒で翼が映えた化け物を見たのだから仕方が無い。
そしてその化け物は、私に会うや否や、父ともう一度会いたいか? と聞いてきた。
会いたいと言ったら、契約を結べば会えるということを教えてくれた。そしてその契約を結べば、私は人間じゃなくなることも。
……正直、この際、お父さんに会いたいかと言われても分からない。ただ、私は純粋にもう。
人間であることに疲れた。
遅かれ早かれ自殺しようと思っていた身だ。どうせなら、マブズが言う魔族というものになってみようと思う。
これはもしかしたら、頭がイカれた私が見ている幻覚かもしれない。ただ、死ぬ前に楽しい思いができるならしておきたかった。
だから明日、私は人間を辞めようと思う)
「デーモン……」
日記には、恵美が魔族と接触したということが書いてあった。
ということは、あの時俺の家に来た恵美は、魔族という存在を既に知っていたということになる。
……そんな日に、どうして俺の家に来たのだろう。
少し、心の中に引っかかる。
次のページの日付は、次の日。つまり、俺の部屋に来て寄りを戻そうと言いに来た日だった。
(マブズは、契約の代償を払えと言った。払えるもんなんか体くらいしかないと言うと、マブズは一メートルくらいの大きな口を歪ませて、この世で最も憎んでいる人間を差し出せと私に言ってきた。
悩んだけど、私はうんと言った。すると、私の体に力が漲った。コンタクトが無くても遠くまで見えるようになったし、遠くでペットボトルが落ちた音も聞こえるようになった。どうやらこれで、第一段階完了らしい。
私が最も憎んでいる人をマブズに差し出せば、契約の第二段階が完了し、私は魔族としてもっと強くなる、とのことだった。
私は早速、アイツを差しだそうとしたのだけど、アイツの家に行くと魔族の匂いがした。しかも、かなり強そうだった。だから、今日のところは一先ず引いて、じっくりと様子を見ようと思う)
「代償は、俺……?」
この日記に書いてあることと、実際に俺が経験したことを合わせてみると、恵美は俺を代償にしてデーモンと契約し、俺を攫う為に家まで訪れたが、強そうな魔族の匂いがしたため一旦引き返した、ということになる。
強そうな魔族というのはルナのことだろうか。ルナのことだろうな、多分。
俺と寄りを戻したいと恵美が言っていたのは、全て俺を攫う為の口実だったってことだろうか。攫うためのカモフラージュとして、寄りを戻すという作戦を取ったと?
つまり俺は、まんまと騙されていたというわけだ。彼女の賢さに慄く。
というか。ルナがもしも来ていなかったら、俺はあの日、連れ去られていたわけだ。やっぱり、いつでも俺はルナに助けられている。足を向けて寝られない。
ページをめくっていくと、どうやら日を増すごとに魔族としての力は上昇して行っているらしい。
そして、日記の最後のページに辿り着いた。
そこの日付は、俺とルナが水族館に行った日の前日だった。
(今日、初めて魔法を扱えた。どんどん、自分が魔族に近づいているのを実感する。そうなっていくにつれて、少しずつ怖くなってきた。きっと今なら、人を一人殺すくらい余裕だと思う。
そろそろ、私もケジメを付けるべきだ。私は人間ではなくなるのだから。
今日、菫の連絡先をブロックした。もう、連絡も取らない。彼女は、ずっと私に構ってくれた。何があっても、私の傍に居てくれると言った。
何があっても、彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。
これで、後は紗智をマブズに渡せば、人間だった頃の私は存在としてこの世からいなくなるだろう。
マブズは、引き出しの中から、魔族っぽくなってきたなと私に声をかけた。全然、嬉しくなかった。女心なんて、これっぽっちも分かっていない。
さようなら、菫。ごめんね)
やはり、菫さんと連絡を断った理由があった。
恵美がどのような方法で人間に戻れるのかは、今は分からない。しかし、日記に度々出てくるほど、菫さんと強固な絆を築いていたのなら、必ず菫さんが、恵美を人間に戻す手がかりになるはずだ。
俺はこのページの写真を撮り、そしてメッセージとして菫さんにそれを送った。
後は、恵美を人間に戻すのを協力してください、と送ればいいか? いや、いきなりそれは説明不足か。恵美が魔族に……。そもそも、魔族って言うのは……。どこから説明すればいいんだ!?
いいや、まずはこの画像だけ送ってしまえ。写真には、ちゃんとこのページ全てが写っているよな。さようなら、菫。ごめんね。という文字までちゃんと収まっている。その前の、マブズは引き出しの中からという文章も、ちゃんと……。ん?
マブズは、引き出しの中から?
日記のその文章に俺が目を取られた瞬間。
ガチャリと、背後で扉の開く音がした。
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