第10話 落ち込んだ時、引きあげてくれる人

 その後、引きさがる恵美を無理やり振った俺は、気が抜けたように街をフラフラと彷徨さまよい、そして道に迷っている金髪の少女と出会うことになる。

 この記憶は、出来るだけ自分が思い出そうとしなかったものだった。

 幸せにする、なんて言っておいて。結局、幸せには出来なかった。重すぎる恵美の愛に、俺は答えることが出来なかった。

 浴槽の中のお湯に浸かり、天井を見上げながら、俺はボーッと昔のことを思い出していた。

(幸せにしてくれるって言ったじゃん)

 その言葉だけは、4年経った今でも、こびりついた焦げのように忘れることが出来ない。

 1日たりとも、思い出さない日は、無い。

「はぁ……」

 熱いお湯に浸かりながら昔のことを思い出していると、どんどん気持ちが嫌な方向になって、このまま寝てしまいたくなる。

 寝て、全てを忘れて夢の世界に行きたくなる。

 でも、それはいけない。今日も俺は、勉強をしなければならないのだ。

 上がろうと思って、視線を浴室の引き戸の前に持って行った。

 人影が、そこにはあった。

「……え?」

「あ、バレちゃいました?」

 聞き覚えのある声だ。

 お騒がせサキュバスの声がした。

 どうやら、引き戸の前で服を脱いでいるようだった。

「ル、ルナ! なんでここに!?」

 驚いて、浴室の中なのに後ずさりしてしまう。激しく動くせいで、お湯が浴槽から溢れた。

「男性を落とす効果的な方法の1つに、背中を流す事があると教科書に書いてありました!」

「いつの情報だよ! 現代じゃ背中を流せる男性はもう落ちてるよ!」

 相変わらず、素っ頓狂なことを言う魔族だった。

「え、もう落ちてるんですか!?」

「ち、違う! 俺が落ちてるわけじゃない! というか、どうやって入ったんだよ!」

 影だけなのだが、服を脱いでいる姿が艶めかしすぎる。俺は高校生だ。刺激には、人一倍反応してしまう。今すぐに引き戸の前から消えて欲しい。彼女に胸があったら本当にやばかった。

「魔法を使って潜入しました!」

 シルエットがピースサインをする。

「魔法って便利だね!!」

 さすがに、付き合っても無い女性とお風呂をともにするのはマズい。なんというか、絶対に明日から彼女の顔を見れない自信がある。というか、裸の女性を前に欲望を我慢するのに、2日分くらいの精神力を要する気がする。

 パシャンパシャンと水音を立て暴れていると、リビングから母親の声がした。

「紗智ー、どうしたのー?」

「ちなみに私の声や姿は魔法で消してますが、紗智さんの声はそのままです!」

「えっ……」

 慌てて俺は口を押える。

 裸の女性が入ってくることに怯えている息子の姿を、母親に見せるわけにはいかない。というか、そんな姿を母親に見られるわけにはいかない。

「どうかしたのー?」

 どうやら母親が浴室の傍まで来ているらしい。俺はできるだけ異常を感じさせないように、静かに誤魔化した。

「な、なんでもないでーす……」

「それじゃあ、お邪魔しますねー?」

 ガラガラガラと、引き戸が開いた。

「あっ!? ちょ、ちょっと……!」

 俺が大声を出せない機会を見計らって、入ってきやがった。

 開いた戸の前には、大事な部分はタオルで隠したルナがいた。

 ありきたりな表現だが、透き通るような肌だった。そして、綺麗な体だった。少しやせ型だが、しっかりと肉はついている。

 うっすらと上気した頬と、丸い目は、何かを期待しているようにこちらを見つめていた。

「やっぱり、好きな人に肌を見られるのは恥ずかしいですね……」

 その瞬間、全てのリミッターが壊れた。

「階段を色々とぶっ飛ばしすぎだ!!」

 浴槽から立ち上がり、戸の前にいるルナを押し退けて浴室から出る。

「きゃっ」

 近くにあった着替えをわしづかみにし、濡れた姿のままで階段を駆け上がった。自分の裸がルナや他の人に見られるなどというところまでは気を回している暇はなかった。

 とりあえず1人になって落ち着きたい。

 彼女の裸姿を早く脳裏から消し去りたかった。

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