第17話 月は星よりも明るく照らす

 シャンテさんが、扉の鍵を回して開ける。

 あれだけ散々、入るかどうか悩んでいたのに、結局俺は買い物袋を二つ引っさげてこの部屋の中に入るのだった。

「ただいまー……。って、あれ。まだルナちゃん帰ってきてないんだ」

 そう呟く。

 それを聞いて、俺は嫌な予感がした。

「ルナが出かけてどれくらいになるんですか?」

 部屋の中に入って、机の上に両手に持っていた袋を置く。腕は重い荷物をずっと持っていたせいでかなり痺れている。

「んー……。今朝の一〇時くらいには出てましたよ。何しにでかけたのかは聞いてないですけど」

「……ちょっと、心配になりますね」

 昨晩ルナは落ち込んでいたと聞いた。あの元気なルナに限ってそんなことはないかもしれないが、万が一のことがありそうで不安になる。

「ルナちゃんのことですか? 心配いりませんよ。きっとどこか、ほっつき歩いてるだけです」

 しかしシャンテさんは余り気にしていないようだ。もしかしたらルナは魔界ではやんちゃで、こういうこともしょっちゅうあったのかもしれない。

 いや、それでも。俺は胸の中がざわめくのを止められなかった。

 ルナが思いつめている訳では無くても、もしルナに何かあったら。誰かに襲われていたりしたら。

「紗智さんってすぐ顔に出ますよね。ルナちゃんのこと、めちゃくちゃ心配してます?」

「えっ? いや、そういうわけでは……」

「嘘です。すっごい怖い顔してましたよ。ライオンが我が子を谷に突き落とす時みたいな」

 そうやって人の怖い顔を指摘するシャンテさんの顔は、柔和に微笑んでいた。可憐な表情だ。

 シャンテさんは綺麗なイメージだったので、少し驚いた。この人、こんな笑い方もするのか。

「す、すみません……。人前でそんな強張ってしまって……」

「別に謝らなくていいですけど……。ルナちゃんが少し羨ましいなぁと思って」

「えっ……?」

 彼女は、壁に掛けてあるピンク色の時計を見た。

 腕を背中の方に回していて、いたずらがバレてしまった時の子供のようだ。

「だって、こんなに思ってくれてる人がいるんですよ。で、ルナちゃんもその人のことを手に入れたいと思っていて。そこまで情熱を注げる人なんて、羨ましいじゃないですか」

 もう夕暮れ時も終わりを迎えていて、辺りは本格的に暗くなり出す時間帯だ。窓からかすかに入ってきている夕陽は、シャンテさんの横顔を強烈に印象付けた。

 とても子供っぽい、少女の様な笑みだ。それにどこか、哀愁も漂っている。

「欲しいと思ってる物って、手に入れたら案外がっかりしちゃうんですよね。所有物になった瞬間から、それは消費物になってしまう。だから、これが欲しいって思ってる時間がきっと一番楽しいんですよ。

 それなら、欲しいと想ってる者は、どうなんですかね? それも手に入れた瞬間につまらなくなるのか。それとも、手に入れてからの方がもっと楽しいのか。私は、そこまで恋焦がれた人が今までいないから分からないけど。ルナちゃんはいるんですよ」

 ――それがとても羨ましい。

 彼女の物憂げな問いに、俺は戸惑っていた。

 それは告白というより独白なように感じてしまって。自分の立ち入る隙など、自分が言葉を挟む隙間などないように思ったから。

 だから俺はただ、彼女のことを見つめていた。

 少しだけ哀しいその姿を、ゆっくりと見送っていた。

 時計の秒針が、カチカチと規則的に動いている。時を刻んでいく。

 この瞬間にも、今は過去の自分となって去っていく。

「ルナちゃんはきっと、四年前に案内してもらった高台に居ますよ」

 彼女は俺のことを見ないまま、そう呟いた。

 きっと、彼女にも彼女なりの葛藤があるのだと思う。それは決して、嫉妬とかそういうことではなくて。

 純粋に羨ましいという気持ちが、湧いてくるのだろう。ずっとルナという人物の側にいると。その気持ちは確かに、俺も分かるかもしれない。

 彼女はどこまでも元気で、どこまでも情熱的で、どこまでも一途だ。

 まるで暗い夜を照らし人々の道しるべとなる月のように、どこまでも明るい。

 地球から見る星は、明るさではどうあがいても月には勝てない。

 そんな後ろめたさが、無いわけでは無いのかもしれなかった。

「そうなんですか。……ありがとうございます」

「いえいえ。だから紗智さん、真剣に考えてあげて下さいね。彼女のこと」

 その台詞を俺が聞くのは二度目だ。

「……はい。もちろんです」

 前回より強く、俺はそう言った。

 前回より強く、俺は頷くことが出来た。

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