第29話 嵐の前の静けさ
空を飛び、窓ガラスを割りながら突撃してきたルナは、飛び散ったガラスの破片よりも速く俺を抱きかかえ、飛びながら恵美とデーモンの間を縫って、扉から部屋を出た。
一瞬の出来事だった。周りの景色が線に見えるほどだ。
そしてルナは、部屋から出た後、ぶつかりそうになりながらなんとか廊下を曲がり、飛んだまま階段を降りる。
階段の先には、玄関があった。鍵がかかっていた、その扉だ。
まさか、こいつ、扉も突き破る気か!?
そう思い俺が身構えた瞬間、扉が一人でにバン! と開いた。恐らく、魔法だろう。
遮るものが何もなくなったそこを、高速で飛びぬける。
暗い家を出ると、綺麗な星空がそこにはあった。
「このまま、どこか広い公園にでも行きますよ」
ルナは俺を担いだままどんどん高度を上げていく。
あっという間に俺は、高台よりも上から街を見下ろしていた。
「そ、空を飛んでるのか俺は今!」
いつの間にかデーモンの魔法は解けていたらしい。俺は、声を出すことが出来た。
「そうです。どうですか?」
俺を両手で持ったまま、ルナは前を見てそう言う。
どうもなにも、めちゃくちゃ怖かった。
だって、風が全身に当たっている。抱きかかえられているが、足は宙ぶらりんだ。今まで飛行機やジェットコースターに乗ったことはあるが、こんなに体に触れているものが少ない移動は初めて経験する。
ルナの細い腕は、とても心細かった。
しかし、彼女は特に負担にもなっていないという顔で飛んでいる。一体、どこにそんなパワーがあるというのだろう。
「……怖い」
俺は思った事をそのまま口にした。
「そうですか。しばらくそのままでいてください」
ルナはそう俺に言い放つ。少し冷たい気がする。
いや、当たり前か。
だって俺は、あれだけ大口叩いて、結局ルナに助けてもらったんだから。
「……ごめん」
謝ってしまう自分まで情けない。
しかし彼女は、そんな俺の謝罪など気に留めず、
「落ち込むのはまだ早いですよ。……救いたいんでしょ、恵美さんのこと」
そう言った。
なんというか、本当に頭が上がらないし、足を向けて寝られない。なんならもう今の瞬間から、尻に敷かれているようなものだ。
「……うん。本当に、ありがとう」
「それも、全部解決してからにしてください」
ルナの翼が羽ばたく音が、ときおり聞こえる。
力強い自分の彼女が、とても頼もしく見える。
綺麗な星空に、月は浮かんでいない。
今夜は、新月らしかった。
「恵美が交わした契約では、代償は俺だった。最も憎む相手を連れて来いって契約で」
魔族のことをよく知るルナに現状報告をするために、俺はあったことを話し始めた。
「だから、紗智さんのことを追い回してたんですかね」
「多分。……でも、デーモンの手は、俺を掴めなかったんだ」
ルナからの返答に少し間がある。恐らく、どういうことか考えているのだろう。
「最も憎んでいた人が、紗智さんじゃなかったってことですかね」
そしてルナもデーモンと同じ結論に辿り着いていた。
「最も憎んでいた人が俺じゃなかったら、契約は成立しないの?」
契約が成立しないということは、恵美は魔物にならないということだろうか。
そんな希望的観測も少し含めて、俺はルナに聞いた。
「あー。恵美さんと契約したのってデーモンでしたよね」
「うん」
「デーモンとの契約って二段階に分かれるんです。魔族によってそこら辺は、一回で契約が終わったり、四段階も五段階も踏まないといけなかったりするんですけど。まぁ、デーモンはまだ簡単な方ですね」
二段階に分かれる、というのは、恵美の日記にも書いていたことだった。
「じゃあ恵美は、今は契約の二段階目ってこと?」
「そうです。契約をするという意思表示をした瞬間に一段階目の契約が完了して、人間はレッサーデーモンっていう弱い魔族になるんです。そして二段階目が完了すれば、はれてデーモンになれるということですね」
恵美のあの魔族の姿は、レッサーデーモンの姿ということか。
「日付が変わるときに、恵美は完璧にレッサーデーモンになるんだね」
「はい。……普通は、一段階目の契約が終わってすぐに魔族になるんですけどね」
「え、そうなの?」
恵美の日記では、デーモンと契約したのは一週間ほど前のはずだ。しかも、今もまだ半ば魔族、半ば人間という状態にいる。
「恵美さんが、よほど人間に未練があったということでしょうね」
俺とルナの横を、白色の鳥が横切った。
もう夜も更けてくる時間なので、灯りを点けている家が多い。立派な夜景が眼下に広がっている。
いつも見る夜景は斜めに見下ろしているので、真下に見えるそれは、普通の夜景とは一味も二味も違って見えた。スケールが壮大だ。
「……デーモンって、強い魔族なの?」
あのマブズと呼ばれたデーモンが、近寄ってくる感覚は、未だに鮮明だ。思い出せばまだ足が竦む。
もしかしたらこの戦いは、人間界の命運を左右するかもしれない。恵美を救えなければ、マブズと恵美のタッグは、人間界を支配し、魔界を侵攻しようと考えるかも……。
「普通くらい、ですかね。私にとっては別になんでもない種族ですけど」
「えっ?」
ずっこけそうだった。というか、ここが地面の上ならずっこけていた。
「そ、そうなの……?」
特にルナは嘘を付いている素振りも、強がっている素振りも見せず、淡々と事実を告げるように話す。
「はい。私が魔法を封じても勝てると思いますよ。いっつも影の中に隠れてて、図体と叩く口は大きいくせに、卑怯なことばっかりやって小銭を稼ぐ。そんな奴らです」
あのデーモンが強くないとは予想外だった。強いと思っている時点で、彼らの作戦にはまっていたのかもしれない。
「ってことは、ルナが戦えば普通に勝てる?」
それでデーモンを倒して、この事件は解決と、素直に終わるのだろうか。
「そんな単純な話じゃないですよ。契約してるデーモンに攻撃すると、恵美さんもそのままダメージを受けます。デーモンが倒れるより先に、恵美さんが死んじゃうでしょうね」
まるで数式の答えを言うように、ルナは軽く死ぬという言葉を放った。
それは暗に、恵美を救う事は簡単なことじゃないから、もっと気を引き締めろと言っているように聞こえた。
「……じゃあやっぱり、恵美自身を」
「はい。まだ魔族になりきってない内に、恵美さんの心を魔族から引き離すしかないです」
具体的に、どうすればいいのだろう。恵美を説得すればいいのだろうか。
「魔族になり切る前って、とても心が脆いんですよ。羽化前の
「心が、脆い……」
「だから、簡単に精神を捉えることが出来るんです。私が魔法で入り口を作りますから、紗智さん、その中に入っちゃってください」
「精神に入る……?」
初めて聞く行為だった。
水の中に入る、だったら前例があるのでやり方が浮かぶが、精神の中に入るのは前代未聞なので、それをすればどうなるのか、一体中で何をしたらいいのかが、全く分からない。
「まぁ、やってみたら分かると思います。ほら、そろそろ公園に着きますよ」
ルナはそう言って、急降下をした。
体を襲う浮遊感と吹き付ける強風に身を任せながら、徐々に近づいてくる街並みを見ていた。
この公園が、どうやら最終決戦の場所のようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます