第14話 曇りのち晴れ
次の日。まだ夏休みだが、俺は早朝に教室に来ていた。
夏期講習があったからだ。意欲のある生徒の自主参加で、八時から三年の範囲を予習する。
今は七時。
かなり早めに教室に来ていた。
理由は簡単だ。全く、寝れなかったからだ。
結局、昨日は一日ルナのことを考えていた。もう、終わった関係だろうと無理やり自分を納得させようとするのだが、どうしても彼女のことを考えてしまう。
家にいたらずっと考えてしまうかもと思って早めに学校に来たのだが、それでも変わらず考えてしまう。そんな自分と折り合いをつけながら、俺は無理やり勉強をしていた。
まだ教室の担当の先生が来ていないのでエアコンは付けられない。教室の窓を全開にしているのだが、今日は風が強くそれだけでもかなり涼しい。
ときおり、カーテンが大きくはためく。それを見ているだけでも、少しは気分転換になった。
しばらく何もせず、ただ椅子に座って呆然としていると、教室の引き戸が開いた音がした。
「え、紗智、早くね?」
そこにいたのはクラスメイトの叶だった。染められた金髪と、耳に付けているピアスが特徴的だ。何度も先生に服装のことで注意されてはいるのだが、自分を曲げずにその服装を貫いている。
「叶、おはよう……」
「どうしたんだよ。朝からえらい憂鬱じゃねぇか」
俺の隣の机に叶は荷物を置いた。
染められた金髪は、教室の灯りの下ではあまり輝いていない。
ルナの綺麗な発色の髪を思い出した。自分が彼女のことを考えていることに気付き、頭の中で即座に振り払った。
「いやまぁ、勉強ずっとやってるから、憂鬱なのは当たり前だよ……」
「まぁなぁ。三年の予習とか言われても、ピンとこねぇしな」
叶の成績は良い。こんな見た目だが、決して不良一辺倒ではない。そこがコイツの憎いところであり、同時に憎めないところだ。
「でも紗智、お前、勉強で憂鬱なだけじゃないだろ」
叶は、ビシリと俺に指を差し、決め顔でそんなことを言った。
「ん……?」
いきなりの奇天烈な行動に俺は何を言うことも出来ない。ただ、おかしいことが起きたんだなと、やんわりと理解はした。
「お前のその悩み方は、恋煩いな気がするってことだな!」
コイツは、イケメンでその上面倒見がいい。
しかし、その部分がたまに瑕になることも、あるのだった。
「な、何を根拠に」
そもそも、年頃の男性や女性というのは、何に付けても恋愛の悩みを聞いてこようとする。それが聞いて欲しいならわざわざこちらから話すが、別に何とも言っていないのに、入ってこないで欲しい。恋愛についての悩みというのはデリケートであるがために、人に簡単に言う話でもないし、人に簡単に入り込まれる話でもないのだ。
「お前がいつもうわ言のように、自分は人を幸せにできるのだろうかと呟いているのが根拠だ」
「言ってたかぁ……」
偉そうに語っていたが、どうやら俺が分かりやすい人間だったらしい。どうも、いつも気が緩みすぎだ。
一人で恥ずかしくなっている俺を見て、叶は自分の推理が当たっていると確信したようだ。
「やっぱり恋愛事か! 俺の勘もまだまだ鈍ってねぇなぁ」
そう嬉しそうに言った。
相変わらず調子のいいやつだ。俺なんて、絶賛悩み中だというのに。こいつほど能天気に生きられたら、人生楽だろう。
「……叶って、恋愛するとき、自分ならこの人を幸せに出来るとか考える?」
一パーセントでも彼の元気さが欲しくなって、そんなことを聞いた。質問内容は、ここ最近、俺が悩み続けていることだ。
それを聞いた瞬間、叶は笑っていた顔を引き締め、真剣な面持ちになった。どうやら、相談事に乗るときは茶化さないのが彼の流儀らしい。
「あー。幸せに出来るー、ねぇ……」
腕を組んで、目を瞑って考えている。
彼はしばらく悩んだのち、顔を上げ、俺の目を見て言った。
「それって、事前に考えて分かるものなの?」
「……事前に?」
「そう。事前に」
夏の朝の、清々しく涼しい風が頬に当たる。
叶の目には、一点の曇りもなかった。
「紗智が以前、女性関係で痛い目を見ました。だから、全女性と痛い目にあいます、なんてこと、あるわけなくない?」
「そ、それは……」
教室のカーテンが、入って来た風に吹かれて舞った。窓からは、青い空と大きな入道雲が見えていた。
いかにも夏という景色だが、気温は高くなく涼しい。爽やかに夏を楽しめることが、とても贅沢だ。
「俺には、紗智が傷つきたくなくて予防線を張っている様にしか見えないんだよな。一度、痛い目を見たから、もう痛い目を見たくないから、恋愛から逃げている様にしか見えない」
そんなことを言いながら、叶は数歩歩いて、俺の斜め前の机の上に座った。金髪でピアスを空けた男性が机の上に座っているのは、いかにも不良と言う感じで。夏の爽やかな朝というシチュエーションには不釣り合いな、でも絵になっている、そんな不思議な雰囲気だった。
「恋愛って、良いもんだよ。苦労することもたくさんあるけどさ。別れたときの朝の寂しさや、思い出した時の夜の悲しさを味わうくらいなら、恋愛なんてしなきゃよかったって思うことも何度もあるけどさ。
でも、それでもまたいつかはやろうって思えるくらい、恋愛って良いもんだよ」
叶は今、彼女がいないと言っていた。
机の上で俺にそうやって教えてくれている彼の表情は、どこか寂しいもので。彼の元カノを思い出しているのかもしれない。彼も、窓の外を見ていた。
もう一度、教室の中に風が吹いた。今度は、カーテンが窓に対して直角になろうかというくらい、強い風が一瞬、吹いた。
「おー、強い風だな。台風でも来てんのかな? 天気予報、見た?」
叶はこっちを見てニヤリと笑う。
――ああ、良い友達だな。俺は彼を見てそう思った。くさい台詞でもカッコつけでもなく、純粋にそう思えた。
「台風なんて、来てないよ」
気持ちは、晴れ晴れとしたものだった。
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