第15話 求めていたのとは別の人
夏期講習が終わった後、俺はルナが住んでいるアパートまで来ていた。
――もう一度、彼女としっかり話がしたくなったからだ。
陽は暮れかけで、空はオレンジ色に染まっている。どこからか、ヒグラシの哀愁漂う声が聞こえてきた。
朝、叶がかけてくれた言葉について、ずっと考えていた。そのせいで夏期講習の内容が全く入ってこなかったとか、そういうことはこの際どうでもいい。
俺が人を幸せに出来るかどうか。その言葉は、確かに言い訳だったのかもしれない。
自分は人を幸せにできないという防衛ラインを事前に張っておくことで、人と付き合うことを回避していただけかもしれない。
だからといって人と付き合うことがいいというわけではないと思うが。
それでも、俺は自分の予防線を一度全て捨ててしまって、彼女と再び話がしたいと思った。
そうやって、このアパートまで来たのだけど……。
「勇気がいるかもしれない」
彼女の部屋まで行くのが少し怖い。
なんたって、喧嘩別れしてしまったようなものなのだ。それで急に和解しに来た、などと言って許してくれるものだろうか。
悪いのは、こっちだ。
俺が勝手に彼女の意見を遮り続けてきた。
しかも、勝手に解決したのもこっちだ。あっちはまだ怒っているかもしれないし、そもそも俺のことを見限っているかもしれない。
時間を置く方が、互いに冷静になれるのではないか。
そんなことを迷い続けて、もう二〇分ほど、彼女のアパートの前をウロウロとしていた。
「……いやぁどうしようかな。やっぱり、帰った方が。いやいや、でも……」
気を抜くと、このまま引き返そうとする自分が出てくる。自分に甘いから引き返そうとするのか、冷静に判断して引き返そうとするのか、どちらなのかが分からない。
だから、自分は帰った方がいいのか、帰らない方がいいのか、考えても考えても、結局答えが出ないのだった。
ずっとウロウロしている俺を、たまに通り過ぎる人が変な目で見てくる。やっていることは不審者だ。彼女でもない女性の家の前を、行ったり来たりしているのだから。もしかしたら通報されるかも。
「やっぱ、今日のとこは……」
そう決着をつけてアパートに背を向けると、そこの扉が開いた音がした。
「あら、紗智さんじゃないですか」
俺の名前を知っているということは、知り合いだということだ。そのアパートに住んでいる、他人ではないらしい。
ただ、その人の声は、ずっと想像していた声でもなかった。
俺は振り向く。
「シャ、シャンテさん……?」
行こうかどうか迷っていた部屋の前にいたのは、綺麗なベージュでショートの髪を夕焼けに照らしていたシャンテさんだった。
白い手提げ鞄を片手に持っている。これからどこかに出かける用事らしい。
「ルナちゃんにご用事ですか?」
シャンテさんは首を傾げた。
そうだ。彼女に用事がある。彼女ともう一度、真剣に話し合いたい。
ただ、今はその時期ではないかもしれない。もう少し時間をおいてから。
その二つのどちらかで悩んでいると、シャンテさんから思いがけない言葉を渡される。
「ルナちゃんなら、出かけてますよ」
「あ。そ、そうなんですか?」
「はい」
家にいない。その可能性が頭からスッポリと抜けていた。どうにも釈然としないが、家にいないのであれば仕方が無い。このまま帰ってしまおう……。
「この後、お暇ですか?」
俺は踵を返そうとするが、シャンテさんに話しかけられたので止まってしまう。
「暇っちゃ暇ですけど……」
「それなら、少しお買い物に付き合ってくれません?」
綺麗な微笑みでそんなことを言われたら、断れる男はそうそういない。きっとそれも、魔界での勉強の賜物なのだろう。
俺は、釈然とはしないまま彼女の買い物に付き合うことにした。
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