あの女

前書き

 探偵小説には「あの女」という存在が必要不可欠である。それは例えばシャーロック・ホームズにとってのアイリーン・アドラーであるし、明智小五郎にとっての黒蜥蜴であるのだが、わが友、名探偵・猫目石芽衣子にもそういった存在があった。

 あの女――名前を病院坂びょういんざか久々利くくりという。なかなかに珍しい名前であるが、病院坂というのは地名姓で、彼女の住む家は長い坂道の途中に建っているのだが、その坂の頂上にはかつて大きな病院があったのだという話だった。「病院坂」と「くくり」という組み合わせから、日頃ミステリー小説に馴染みのある読者諸君は、横溝正史の「病院坂の首くくりの家」を連想するかもしれないが、それはもっともなことで、現に金田一耕助の大ファンである彼女の父親が、その一題からとって彼女の名前を発案したということだった。

 病院坂久々利という女史がどういった人物かというと、とても利発な女性であると言わざるを得ない。人の心への理解とコントロールという点においては、私の知るもっとも優秀な人間であるところの猫目石兄妹を凌ぐほどである。しかも驚くべきことは、彼女がまだ女学校に通う子供に他ならないということであった。

 病院坂久々利が通うのは新首都にある有名私立女学校で、本来ならば地位や名誉、財産を持つ家庭の人間しか通えないようなところなのだが、一介の古本屋の娘である彼女が特待生に選ばれているということからも、彼女のずば抜けた優秀さがうかがえるだろう。

 伝え聞いたところによると、学校での彼女の評判も高いそうで、普通ならば彼女のようないわゆる令嬢でない人間というのは成り上がりとして嫌悪されるきらいがあるが、しかし彼女に関してはその心配は必要がなかった。むしろその高い能力と凛とした容姿が人気を呼び、今では学生議会長を務めているらしい。

 さて、才色兼備にして大胆不敵――そんな病院坂久々利と稀代の名探偵、猫目石芽衣子の初めての対決は遡ること半年前、とある夏の日のことであった。

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