「待たせて悪かったね」
外は猛吹雪であったが、運転席には小鳥遊少年、助手席には私、そして軽トラックの荷台には緊急事態ということでミュラー少佐とキリロフ氏、そしてヤード氏が乗っている。外套を引っ掴んできたが、冷たい空気が肌に食い込むような痛さを与えていた。
小鳥遊少年の言う通りK教授の自宅は大学やホテルから一キロほど離れたところにあり、およそ五分ほどの時間で到着することができた。もし仮にテイラー氏が事件に何か気付いたことが理由で殺害されたのなら、K教授は相手にとっては最大の目標であるはずだ。
住宅は実に静かな様相を呈していた。車を降りるとそこには吹雪のごうごうと吹き荒れるおとしか聞こえてこない。小鳥遊少年の話によればこの近くに他の民家はなく、現在は雪で覆われているが本来は田畑が広がるばかりだという。
私はミュラー、キリロフ、ヤードの三氏が懐から取り出したものにぎょっとした。二人とも拳銃を装備していたのだ。世界規模の事件が巻き起こっているのだから、世界を股にかけて調査をする彼らに特別に与えられた権利なのかもしれないが、些か警戒心を抱かずにはいられなかった。
「私と先生は正面から、キリロフ、ヤードは小鳥遊と一緒に裏に回ってくれ」
手慣れた様子で指示を出したのはミュラー少佐だった。軍人であるだけにこういった場面への経験は他の面々に比べて遥かに多いのだろう。キリロフ氏と小鳥遊少年は小さく頷くと急いで家の裏手へと向かった。
「先生、銃を撃った経験は?」
「第三次世界大戦末期、私は軍医として大陸に派兵されていました」
「ではこれを」
ミュラー少佐は懐からもう一丁の銃を取り出して私に手渡した。おそらく護身用のものなのだろう、手渡された銃はミュラー少佐のそれより一回りほど小さなものだった。私は手癖でマガジンや安全弁の確認を行ってしまい、その動きにミュラー少佐は小さく笑みを浮かべた。
「戦場帰りは本当らしいですな、安心しました。弾の数は三発、予備の弾倉はないのでご注意を」
「銃を二丁もお持ちとは、随分と準備が良いのですね」
「そっちは撃つつもりがありませんでした」
「というと?」
「お守りなんです。元々は私の妻に持たせていました」
「奥さんは今……?」
「亡くなりました、二年前に交通事故で」
「それは……失礼しました」
「過去のことです。もう乗り越えました。ただしその銃、大切に扱ってくださいね」
「当たり前です! 必ずお返ししますよ」
少佐はふっと微笑むと次の瞬間には一気に集中状態に戻っていた。私は彼の後に続いて玄関の扉の横に張り付いた。右側は私、そして左側は少佐だ。突入の際には少佐が
私はK先生宅のインターフォンを鳴らした。一回……二回……数秒待っても反応はない。眠っているのだろうか? いや、そういったことは中に入って確認すればいいこと。今はK教授の無事を確認するのが第一だ。
私は少佐に目配せし、ドアの取っ手に手をかける。抵抗がある、つまり鍵はかかっているようだ。私は指を三本立てて三秒後に突入の合図をした。少佐が頷き、カウントをスタートする。一、二、三! 私は勢いよく飛び出し、扉を蹴飛ばした。
「警察だ!」
少佐が叫びながら家内に突入していく。数秒して裏口の方でもドアが蹴破られる音がした。私と少佐は暗い室内を速やかに探索していく。扉を開け異常がなければ「クリア!」と互いに声をかけ合う。裏口組みの二人も同じように勧めていき、やがて二組の掛け声は家の中央付近――二階へと続く階段でぶつかった。
最前衛をミュラー少佐、そしてキリロフ氏、私と銃を持っている順に進み、最後に小鳥遊少年が続いて会談を進んでいく。二階には部屋が三つ――まず手前の部屋にキリロフ組が侵入し、それと並行して私とミュラー少佐が隣の部屋へと踏み入った。
我々が突入した部屋は書斎のような場所で壁の本棚にはびっしりと本で埋め尽くされていた。おそらくこれまでの仕事で使用してきたものだろう、本はどれも本格的な専門書ばかりで、私には到底理解できそうもないものばかりであった。
暗闇に慣れてきた目で室内を見渡すが、ここにもやはり人影はない。いや、一つだけ異変があった。室内の異変ではない。我々とほぼ同時に突入したはずの隣の部屋から何も物音が聞こえてこないのだ。異常がなければそれを伝える声が、異常があれば応援を呼んだり場合によっては銃声が聞こえたりしたりするはずだが、一切の音沙汰がない。
これは妙だ――そう思って私が室内を散策中のミュラー少佐を見ると、既に手遅れであった。パンという短い破裂音の後、少佐の大柄な身体は勢いよく地面に倒れこんだ。
その時、かつて戦場にいた際に身に着けた“勘”が私を助けた。咄嗟に横に飛び、大きな書斎机の陰に身を隠すことができたのだ。
少佐が撃たれた! 敵だ! 「この中に裏切り者がいます」。犯人は巨大な犯罪組織――様々な情報が一瞬のうちに脳内を駆け巡った。護身用の小さな拳銃を握る掌がじわりと汗をかいている。落ち着けと何度も自分に呼びかけるが、いつまでたっても心臓の鼓動がうるさいままだ。
一体誰が? という考えと同時に、三人の顔が浮かんだ。隣の部屋に突入したキリロフ氏とヤード氏、そして小鳥遊少年の顔である。三人のうちの誰かが犯人だろう。
コツ……コツ……と足音がゆっくりと近づいてくる。顔を出して相手を確認したいが、理性がその衝動を何とか押しとどめた。今頭を出せば確実に撃ち殺されるだろう。この書斎机は言わば戦場における塹壕そのものなのだ。
足音は書斎机を挟んだちょうど反対側で動きを止めた。いよいよ万事休すか――そう思ったその時、またもや信じられないことが起こった。
「伏せろ!」
発声と同時に響く発砲音――私は書斎机の陰でさらに身体を小さく屈めた。何発かの発砲音が響いた後、室内はようやく静寂を取り戻した。足音が一つ私の元へ駆け寄ってくる。敵か、味方か――
「待たせて悪かったね」
息を切らせながらそう言ったのは何を隠そう――名探偵・猫目石芽衣子その人であった。
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